地方行財政制度上地方は、ロンドン・大都市圏・非大都市圏に三分される。1986年以降は、ロンドンおよび大都市圏では、一層制のロンドン特別区(ロンドン・バラ32+シティ・オブ・ロンドン)あるいはメトロポリタン・ディストリクト(大都市圏市)が存在するのみである。
これに対して、非大都市圏ではカウンティ(県)−ディストリクト(市町村)の二層制となっている。基礎的地方公共団体であるディストリクトは、1970年代の改革で統合がすすめられた結果、現在はその多くは人口6〜10万人のものとなっている。
これらの地方公共団体の徴収する地方税は、人頭税(コミュニティ・チャージ)が廃止された後1993年からは、カウンシル・タックスとよばれる資産課税となっている。しかし、地方公共団体の歳出に占める地方税の割合は10%台であり、国庫補助の割合が大きいことが指摘できる。なお、徴税は基礎的地方公共団体であるディストリクト(ロンドン特別区、大都市圏市も)が行い、その中からカウンティの歳出にあてられる分が移転されるシステムをとっており、カウンティが単独で徴収する地方税はない。
地方公共団体の最高機関はカウンシルとよばれる議会である。いずれの地方公共団体とも議員の任期は4年、小選挙区制で選出される。選挙は、ロンドン特別区およびカウンティでは4年に一度、また大都市圏市ではカウンティ選挙のない年に1/3ずつ改選が行われ、非大都市圏市では全員改選または1/3改選いずれかの方法がとられている。地方議会の政党化は相当進んでおり、国政と同様に多数党による支配が行われている。つまり、多数党のリーダーが、その地方公共団体の最高責任者となるのである。
(2)1960年代までの歴史
イギリスの地方自治の歴史では、1800年から1888年までを「地方自治の揺藍期」とし、ついで1888年から1930年までを「地方自治の上昇期」ないし「黄金時代」とする。第一期である揺藍期には、その後地方公共団体の主要な仕事と観念されるようになる救貧・道路・保健衛生・初等教育などに関する法律が次々と制定され、それらの仕事を行うために地方公共団体が設置され整備された。これが、イギリス地方自治のスタートと考えられるのである。その中でも、1834年救貧法および1835年都