リ市長だけでなく、パリ知事の権限も縮小されていることになる。
(3)大都市の特例
パリには、ナポレオン一世の時代以来、行政区(arrondissement)が設置され、各々に区長が置かれて戸籍事務等を担当してきた。また、1859年には、パリ市域の拡大にともなって、現行の20区制が形成されたことも前述のとおりである。
1975年にパリの行政制度の改革が実施された際には、新たに20区のそれぞれに区委員会(Commission d’arrondissement)が設置された。区委員会は、区選出のパリ議会議員のほか、市長が選任する戸籍吏員および市民代表から構成され、市の行政に対する諮問機関として機能した。これは他の市町村にはない、首都パリ独特の制度であった。
ところが、ミッテラン社会党政権による分権化改革が開始された直後の1982年12月31日に、パリ、マルセイユ、リヨンの三市に適用される大都市法が制定され、マルセイユ、リヨンにもパリと同様に行政区を設置するとともに、各区に新しく区議会を設けることになった。この法律は、当初案の段階ではパリだけに適用する予定で構想され、大都市行政を住民に身近なものとするために、区に一般の市町村並みの自治権を与えることを意図していた。しかし、この改革の真のねらいは、当時パリ市長であった保守党党首シラク氏の政治的影響力を削ぐことにあると受け取られ、一挙に与野党対決の政治的争点と化してしまった。このため、急速、マルセイユ、リヨンの両市を加えて、大都市行政の特例という体裁を整えると同時に、内容的にもやや後退し、区議会に与えられる権限は当初の構想よりもかなり縮小された。
以下、大都市法制定後の区制度の概要およびパリ議会にもたらされた変化について説明する。
区議会選挙は、市議会(パリの場合はパリ議会)の選挙と同時に行われる、選挙は各区ごとに名簿式投票によって実施される。第一回投票で過半数の票を獲得した名簿があるときは、これに議席の半数を与え、残り半数の議席を5%以上の票を得た名簿(過半数を獲得した名簿を含む)の間で比例配分する。過半数を獲得した名簿がないときは、10%以上の票を獲得した名簿の問で第二回の投票を行い、最多得票を得た名簿に過半数の議席を与え、残りを比例配分する。これは、人口3500人以上の市町村議会の選挙で使われている方法と同じである。そのうえで、当