失業者数は90年に急激な増加を記録し、同年12月末には110万人を突破し、92年末までに250万人(全労働人口の13.9%)以上に達した。
93年上半期におけるインフレは年率35%、登録失業者数は280万人(失業率15.4%)と推定されている。
90年代初期にポーランド政府が直面した最も重大な問題の一つは、莫大な対外累積債務であったが、91年3月に西欧債権諸国から成る国際金融機関は、ポーランドの債務総額の50%を削減することに合意した。この結果、他の債権諸国もポーランドに対し、債務返済の緩和に協力した。
90年には、国際通貨基金(IMF)、世銀(WB)、欧州再建開発銀行(EBRD)などの援助により、ポーランド政府は大規模な経済安定プロジェクトを開始した。また、EC諸国、米国、日本およびその他の開発諸国もポーランド政府に対し、巨額の財政援助や食料援助を実施している。
90年には、広範囲に亘る民営化計画が開始され、92年末現在民間部門が経済活動全体の約50%を占めるまでに至った。
しかし、経済改革に起因する国民生活水準の急激な低下、失業者の激増は、深刻な社会不安をもたらしている。
92年12月、政府は石炭および鉄鋼業の再建プロジェクトを発表したが、これには生産と従業員の大幅な削減が伴うものと懸念されている。
国際関係では、ポーランドは90年1月、自由市場経済への移行に鑑み、ガット(関税・貿易に関する一般協定)加盟に正式に申請した。
91年1月、ドイツとの友好条約に調印し、1945年のポッツダム会議で決定したポーランド西部国境を承認し、武力の行使を放棄した。
ポーランドは現在、国連・欧州審議会(COE)および国際通貨基金(IMF)の加盟国である。
91年12月に欧州経済共同体(EEC)加盟協定に調印したが、EC統合の見通しが動揺しているだけに、今世紀中にECを通じた西側入りの経済改革が実現するか否かは不明である。
政府は、民営化促進による私営部門の振興、積極的な外資導入、通貨切り下げによる輸出の振興などによる景気の拡大を図っており、また中央銀行も数回に亘る公