ドルの大台を超え、82年には約56億ドルに達した。
しかし、これをピークに、83年以降は縮小に転じ、83〜85年の3年間の輸出入額は合計で平均40億ドルの水準に落ち込んだ。
その後、ゴルバチョフ政権の登場、86年からの第12次5ヵ年計画の実施、旧ソ連のペレストロイカ開始、日本の好景気継続といった80年代後半の好条件を背景に、87年の輸出入は合計50億ドル、90年は59億ドル強に急増した。
その後、旧ソ連邦の崩壊、CIS(独立国家共同体)の中心であるロシアの政治・経済の混乱などにより、91年の貿易額は往復54億ドルに減少し、92年は日本の景気後退もあって更に縮小し、37億ドルとなった。
わが国からの輸出商品としては、鋼管など鉄鋼製品、機械・プラント類が圧倒的な強味をみせているが、近年は自動車、ビデオテープレコーダ(VTR)、カラーテレビ、ミシンなどが安定した輸出実績をあげていることは、ロシアにおけるこれら耐久消費財の不足と民生重視の表れとして注目されている。
ロシアからの輸入品としては、石炭、木材、重油、プラチナ、鉄鋼、アルミなどの金属中間品、金といった原料商品が主流であるが、水産物(特にカニ、タラなど)、原皮・毛皮といった消費物資も徐々に増大傾向にある。
しかし、わが国とロシアとの間には、未だに北方領土問題の解決という難問があり、両国関係を真に安定した墓礎の上に発展させるためには、この問題の解決が是非とも必要とされている。