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2 出生率の低下

わが国における戦後の急速な高齢化は、ベビーブーム以降の出生率が急激に低下し、多産から小産へと出生構造が急激に転換したことと、ベビーブームで出生率の塊が生じた中高年層の、死亡率低下による平均余命の延びによって高齢世代人口の割合が高まってきていることもその要因にあります。
さらに昭和60年以降の著しい出生率の低下が、高齢化のスピードを更に加速させる要因となっています。(図2)
わが国における出生数と出生率の推移をみると、昭和24年(’49)年の第1次ベビーブーム期には毎年270万人近い出生がありましたが、昭和25年(’50)以降から減少に転じ昭和30年代半ばまでは160万人前後で推移していました。その後、ヒノエウマの昭和41年(’66)に136万人に大きく減少したものの、第2次ベビーブームである昭和49年(’74)には209万人の出生をみましたが、翌年をピークに以降、明治32年からの人口動態調査史上の最低記録を毎年更新しました。
平成3年(’91)には18年ぶりに前年を1,660人と僅かに増加し、出生数低下にブレーキがかかりつつあると考えられましたが、その後も減少に転じ平成7年(’95)には119万人となっています。
一般的に出生率というのは、ある年に生まれた出生数をその年の年央人口で割ったものを千倍したものをいいますが、この出生率とは人口の年齢構成を考慮していないため、若い出産適齢期の人口の多い世代の人口構成では高くなり、逆に現代のような高老年層の数が増大し高齢化の進んでいる年代の人口構成では低くなってしまいます。
このように、出生率は必ずしも出生の状況を的確に反映しているとは言い難い面があるため、再生産可能な15歳から49歳までの女性の各歳ごとの出生率をそのままとし、一人の女性が一生の間に産む平均子供数としての指標に合計特殊出生率というものがあります。
この合計特殊出生率は、その年の年令別出産率を全て1と仮定しているため、人口構成に影響されず、地域別比較や時系列観察等に活用されています。
この数値が2.08(これを人口置換水準という)を下回ると新旧世代の1対1の人口再生率ができないことになり、外国からの人口移動がない限り、やがては人口が減少し始めることとなります。
わが国における合計特殊出生率の推移をみると、戦前では4〜5で推移していましたが、昭和22〜24年(’47〜’49)のベビーブームを経た昭和25年(’50)の3.65から、昭和32年(’57)には2.04に低下しました。その後、昭和49年(’74)までは概ね2.0から2.2前後の水準で推移し、ほぼ世代の単純再生産を可能にする水準を維持してきました。
しかし、昭和50年(’75)に1.91と2を切ってから以降、出生率は急激に低下し平成元年(’89)

 

 

 

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