(5)自然を守る理由−白然の恵みと私たちの責任− 私たちが地球の一員である以上、地球の自然生態系が安定して存続していくことは必要不可欠である。では、私たち人類にとって、自然の恵みと私たちの責任を、どのように整理できるだろうか。 1)物質的財産として 私たちの社会は、自然生態系から様々な物を採取し成り立っている。農業や林業、漁業などの第一次産業は、まさに直接的に自然生態系と深い関わりがあることは言うまでもない。しかしながら、そこにも既に危機的状況は現れている。例えば、近年アメリカでは農薬・化学肥料・大型機械・大規模灌漑設備等の「農地の使い捨て」と言われる近代農業を強力に押し進めてきた結果、各地で土壌流失、水質汚染の問題が深刻化してきており、現在農業法に基づき、栄養豊かな土壌の再生をかけて、広大な農地を自然に戻し始めている。さらに、農業の観点から話を進めると、私たちが日頃食べている作物のほとんどは、今やバイオテクノロジーの技術により、より生産性の高い、そして不良な環境下でも育つように、改良が行われてきている。こうした改良を行う際には、やはり自然の中にある様々な生物種の遺伝子が活用されており、どんなに人間の科学技術が発展しても、その素となるものは遺伝子は、全て自然生熊系の中で育まれてきたものなのである。 1991年に世界保健機関(WHO)が主催するシンポジウムにおいて、次世代の子供たちのためにも自然保護がまず必要であるといった声明を出したことがあった。私たちの周りには、既にその価値が認められている生物種はもとより、土の中の微生物など未だ解明されていない種も非常に数多くあり、その中には人間の生活に役立つ遺伝子をもつものもいるかもしれない。そうした可能性含めて、全て次世代に引き継ぐためにも、私たちは現存する自然生態系を守り育てる必要がある。 2)環境財産として 私たちが健全な生活をおくるためには、汚染されていない空気、水、土壌などが必要である。こうしたものを常に浄化する作用こそ、言うまでもなく、人間にとって、そして多くの野生生物にとって、環境財として言われる自然のもうひとつの価値でなのである。近年、各地の池沼で進められているヨシ原浄化もまさにこうした自然の力の利用である。もし、水質浄化を全て人間だけの力で行おうとするならば、莫大な費用がかかることになるであろう。こうしたことからも、環境財としての自然の価値は計り知れないものがあると言えよう。但し、ここで注意しなくてはならないのは、人間の出すゴミは今や無限的であり、その量は現在自然が浄化できる量をはるかに超えてしまっているといった現実も認識しておく必要がある。
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