いるわけであります。
わがまちでは、昭和56年から福祉都市整備要網というのを作りまして、バリヤフリーなまちづくりとの取り組みを進めてまいりました。
先ほども知事の代理の方のお話がございましたが、兵庫県は県単位としては日本で初めて福祉のまちづくり条例というのを作りました。
わがまちも衣替えを致しまして、福祉のまちづくり要綱というふうに書いておりますが、そのような更なる努力を、ハード面のバリアフリーという事から取り組んで行きたいと思っているわけでございます。
それと同時に、今度の震災を通じてやはり人間と人間のつながり、これがいかに大切なものであるかという事がわかりました。例えばこの震災でものすごいボランテイァの高まりがあったと言われておりますが事実そうなんです。日本国中からたくさんの方々が、このまちに応援に駆けつけて頂きました。
これも大変ありがたい事でありました。
それと同時に、このまちの中でもお互いに助け合おうやという気運が非常に高まってきたという事は、未来に大きな希望のもてる事でありました。
実はわが市では、平成4年からコミュニティをつくろうということを始めました。ここで少しこのまちの沿革を申しますと、42年前に宝塚市は誕生したんですが、そのときの人口が約4万人なんです。
何と今20万人に人口が伸びたわけです。それだけ発展をしてきたわけです。
ところがその間に日本の国も急激に発展しましたけれど、ご承知のようにそれに伴いコミュニティというものが崩壊し、そこに住む人たちはバラバラになった。これは全国どこでも都市部ではそのような傾向が多くみられ、わがまちも例外ではございません。
そういうことでわがまちでは、コミュニティを作り直そうということ。21世紀の高齢化社会を乗り切るためにお互いが支えあい、助け合うような緊密な人間関係、住んでいるものが、健常者も障害者もみんなが、お互いに理解し合い支えあう事が出来るような社会を作ろう。わが市では24小学校がございますが、小学校区単位でコミュニテイを作ろうと5年がかりでやってまいりましたが、今年度中には、全部カバーが出来るんではないかと考えています。
そしてその上に7つのブロックに分けまして、7つのブロックの中に又小学校区単位のまちづくり協議会というものがあるわけでありますが、今までご承知のようにいろんな団体がまちの中で活躍をしておられるんですが、例えば民生児童委員の担当区域と自治会区域が違ったり、青少年育成市民会議は中学校区単位だとか、この範囲がいろいろ違うんですね。これは非常に効率が悪いものですから、やはりそれをユつに地域の中でまとめていく事によって従来から活躍をしていただいた人たちが、お互いに連携がとれるという事が1つであります。
それと同時に、これから未来に向けてのコミュニティというのは今までのように少数の人達だけが担いでいる社会じゃなしに、そこに住んでいる人達みんなが互いに能力を出し合って担いでいく、そういう地域社会を作って行こう、我々もそういう理想を持っているものですから、そのための一つの土俵としてのまちづくり協議会というのを今作っているわけであります。
しかしこれが出来たからといって、それで完成というわけじゃないのです。
ここからが皆さんの努力で素晴らしいまちを、素晴らしい地域を作っていく、まさに福祉の心が息づく、障害者の皆さんもそこでは生き生きと暮らせる、そういうような地域を作っていく事がこれから必要であろうと考えているわけであります。
時間があまりありませんので、今申し上げましたように、震災後、我々が震災の中で学びました貴重な教訓を生かしたまちを作っていこうとしているという事のお話を申し上げた訳であります。
それから、ちょっとこれは提言をしたいと思うのですが、このマークはここにおいでになってる方はご存知のない方はないわけでありますが、聴覚陵害者の方のやはり一番のご不便は見た目で障害があるという事がわからないことですね。