ロシアの民主化
ロシアは現在、社会・政治において大きな変化のただ中にあり、この変化はロシア史から見てもパラダイム転換と言って良い。強いて言えば、逆方向への冷酷な兆しを見せた1917年の10月革命のみが、90年代初頭の民主「革命」と比較し得るだけの意味を持っていたと言えよう。
ミハイル・セルゲイヴィッチ・ゴルバチョフ大統領その人が、80年代末、ペレストロイカとグラスノスチ政策によって、ソ連に革命的な変化を引き起こし、ワルシャワ条約機構の解体を促し、我々ドイツ人に国の統一を可能にし、そして東西対立に終結をもたらした。
ソ連崩壊の後、ロシアは民主主義へ向けて出発した。目標は明らかであったが、そこに到る道は分からなかった。全体主義国家を民主主義国家に転換させるためのハンドブックは存在しなかったし、統制経済から市場経済への転換についても教科書はなかった。
ロシアの民主主義者達と西側民主主義の諸国家は、全体主義体制の終焉の後には、直ちに自由を旨とする民主主義国家へと変貌し、市場経済秩序もそれに伴い確立するだろうと願っていた。ゴルバチョフは1990年11月、パリの全欧安保協力会議において、ソ連はこの道を進むことを宣言し、ソ連は独裁主義から民主主義へ、そして統制経済から市場経済へと変わるだろうと述べた。
このことによりヨーロッパに新たなビジョンが見えてきた。大西洋からウラジオストックまでのヨーロッパ、民主主義と市場経済のヨーロッパである。今日、このビジョンは熱に浮かされ過ぎていたと言わざるを得ない。
1991年8月のクーデターが不成功に終わったことで、ロシアにとって民主主義と市場経済への道が開かれた。当時、共産党エリートは力を失い、ソ連の崩壊と後継諸国独立の基礎が堅められた。1993年10月、エリツィン大統領は、力ずくでようやくルツコイ等、共産主義・ナショナリズム的な反対派の抵抗(大統領官邸への突入)を押え、民主主義への道を進むことができたのである。