ねない。中国経済の「大起大落」構造からの脱皮は難しく、安定成長への「軟着陸」までにはなお紆余曲折が予想される。さらには国有企業、所得格差の拡大、エネルギーや食糧問題など、長期的な発展のためには克服すべき困難がなおかなり多いのである。
これまでの改革・開放の枠組みでは、こうした困難や問題の解決が難しい局面に来ている。たとえば経済面では、市場経済体制を確固としたものにするには、中国経済の支柱といわれてきた国有企業の改革が不可欠である。それゆえに、1994年からこれが経済改革の重点項目であるといわれつづけているが、100社の改革実験さえも予定通りには進んでいない。進まないのは、一つに国有企業の改革に本気で取組もうとすれば、公有制など社会主義制度の根幹にふれざるをえず、いま一つに改革というリストラには職場にいても仕事がない3000万人ともいわれる国有企業の「富余人員(企業内失業者)」の大量解雇に手を付けざるをえないからである。
改革・開放の限界は、政治・社会領域でもみえはじめている。1978年以来の改革・開放は、中国の経済や社会を大きく変貌させた。経済発展が国民全体の生活水準を向上させ、それが社会的安定の基盤を強めている。しかし同時に、自由な競争原理の機能する市場経済体制は、利益集団の多元化をもたらし、なお12億の人口のなかではわずかではあるが、1億人近くが教育水準も高く、比較的生活の豊かな中産階層を形成しはじめている。
一方で年収3万元(45万円)以上、金融資産が10万元(150万円)以上の富裕人口が、人口全体の8%に増加している。しかし他方で都市には一人当たり生活費収入が1月で130元以下の貧困住民が3000万人あまりで、一人当たり年収が530元以下の農村の貧困層も減ったとはいえ、なお6500万人である。合わせて9500万人で、人口全体の8%を占めている。「貧富の格差は増大し」、「地域間の差異、都市と農村の間の差異、階層間の差異、業種間の差異と部門間の差異は1996年にひきつづき存在し、一部はさらに拡大する」。それゆえに「もたらされる局部的な事件あるいは個別のもめごとの可能性は排除されない」のである(6)。
こうした複雑多様化した国内社会の要求に、政治面の社会主義制度が応えるのが難しくなっている。共産党独裁を核心とした一元的な政治制度がそれだ。江沢民主席もいずれは、こうした問題に取り組まざるをえない。しかし、一党独裁の政治制度を否定するわけにはいかない。否定は天安門事件のときに責任を問われた当時の総書記の趙紫陽のように、彼自身の失脚を招きかねない、しかし多元的な社会の要求に応えようとすれば、自らの存立基盤である党自体の解体を惹起しかねない。民主化イデオローグの魏京生を1995年12月にまたも14年の懲役で投獄したように、体制外からの政治的民主化の動きに過敏なまでに反応し、また天安門事件の再評価にも踏み切れないのも、まさにこうした理由からであろう。
これまでの改革・開放はタテマエとして「社会主義」制度には手を付けないことが前提であったが、もはやこれでは問題解決は難しくなっている。既存の改革・開放を越えた新しい枠組みが求められているが、それがまだ見えてこない状況にあるのである。