3.3 人口問題の危機
1900年代初め、ほとんどのヨーロッパ先進諸国の出生率は著しく低下し、出生率を高くするさまざまな改良政策がとられていった。スウェーデンも例外ではなく(表1)、1926年以降の出生率低下(平均1.7−1.8)は、人口の減少をもたらすという危機的憂いから社会議論をまきおこし、人口政策を政治課題として登場させるにいたった。議論の中心となったのは、なぜ出生率が年々下がるのか、なぜ人々はたくさんの子どもを生まなくなったのか、人生パターンにどういう変化がおこりつつあるのかなどであった。議論はまた、家族の生活実態調査の必要性を説き、有子家庭、とくに多子家庭の経済水準や生活条件が他のグループに比べて著しく劣ることも、いくつかの調査によって指摘された(Lindblom,1982)。 人口の大きさを普遍的に維持するには、人々が若くして結婚生活に入り、少なくとも3−4人の子どもを産むことが必要であり、そのためには出産、養育への経済的援助が必要不可欠なことが指摘された。当時の課税控除システムは、比較的高所得家庭に焦点がおかれ、低所得者や子どものいない家庭に対しではそれほど考慮されていなかったものである(Lindblom,1982)。 表1 スウェーデンにおける1900年代の人口変化
出所:Elmer(1994) 注:−は、データ欠如 1948年に導入された児童手当金は、スウェーデンでは珍しく出生率の上昇を期待した対策であった。フランスなどでは、従来、出生率の上昇が1900年代の家族政策の重要な目的とされてきたが、スウェーデンでは子どもや家族の生活水準をあげることそのものが家族政策の直接的な目的ではないにしても、家族形成や子どもをつくることを魅力的にする重要な手段として位置付けられてきた(Wennemo,1996)。 このようにして、社会政策の改良と人口政策がスウェーデンでは統合されていくわけであるが、LindbergとNordenmark(1980)によれば、出生率の低下に対する不安は1930年代の家族政策の内容を根本的に決定する要因になったというよりは、む
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