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で採用すると床板の小口接手より腐食を促進する。よって小口接手を避ける方法をとったので斜張りになった…”(66頁)

? 真島健三郎博士と柔剛論争
 氏の随想に舞鶴機関学校の技術史的な意義を考える上で大変重要な指摘一これらの建物が真島健三郎博士の柔構造理論で設計された一との記述があるので引用する。(46頁)
 ”…昭和2年の初冬、京都府舞鶴海軍要港部内呉海軍建築部毎鶴出張所に出頭、所長海軍技師である甚目雅治(はだめまさはる)氏の引見を受け、速刻、仕事内容の説明を受けた。甚目所長は「海軍機関学校を当舞鶴の旧海兵団跡地に建設することが決定したので、その新営工事設計関係の技術者として君を委嘱する。設計する建物は殆ど鉄骨造となる予定であるが、その構造設計は民間における計算方法とは異なり、現海軍建築局長の真島健三郎(ましまけんざぶろう)博士の耐震構造理論に基づき設計せよ。ここにその論文がある。これを貸与する。よって本日よりこの論文を熟読理解して真島理論に基づく実施設計にとりかかるように。」…”(66頁)
 耐震工学の分野で真島健三郎博士というと、後述のように「柔構造論」の提唱者として知られ、関東大震災後から昭和初頭にかけて東京帝国大学佐野利器博士やその門下生との間で議論された所謂「柔剛論素」は、法隆寺の「再建非再建論争」とならび戦前の重要な学術諭争として有名である。しかし、博士は耐震工学に止まらず鉄筋コンクリート造の先駆者として(明治38年に佐世保鎮守府賄所・啣筒所をRC造我が国で初めて建設)、また乾ドック建設の第一人者としても著名であり、他にセメント代用土などの分野での研究も知られている。明治後半から昭和始めにかけて土木建築の幅広い分野で多大の業績を残した屈指の工学者・海軍技師であったといえる。

?真島理論による鉄骨架構の設計の実際
●設計寸法について
 機関学校の設計について真島理論との関連で構造学的な立場から若干考察する。
 真島博士の論文や文献には図(4−3−7)のハッチに示すような梁間・桁行き6.5m、階高(1階4.75m・2〜3階4.3m)の単スパン矩形剛接架構を単位とし、これらを小梁によって両端を単純支持連結した独特の架構が掲載されている。これらの柱は例えば初層は幅400m、成300mでL−75の山形鋼を用いて箱形断面としている。また、柱梁接合部には図(4−3−8a)に示すような曲形方杖が設置され、これについては図(4−3−8b)の様なモデルにより詳しく解析されている。
 以前はこれは仮想の鐵骨柔柵造建築の設計例題であると考えていたが、汲川氏の随想に舞鶴機関学校の庁舎及び生徒館の鉄骨軸組として図(4−3−9)が示されていることから、博士の論文は機関学校の鉄骨架構の可能性が高いことが分かった。即ち、汲川氏の図は戦前の鉄骨はinch、feetで表記しているが、たとえば3階建ての生徒館では基準階高を14.2’=4.25mで一階のみ14.2+1.7=15.9’=4.73m、張間21.0’=6.3mで両者はほぼ一致する。また、庁舎の平面計画は、図(4−3−10)に示すように廊下幅9.0’=2.7m、張間桁行スパン21.0’で、論文の平面にポーチを付属したものとほぼ同一である。
 図(4−3−11)は庁舎の鉄骨の現況である。戦後の配管工事のために天井の一部が倣去されたために、室内の矩形鉄骨ユニット架構の柱梁接合部が見える。接合はリベットであるが、図(4−3−i1.a,c)に示すようにスブリングプレートと大梁下端フランジとの接合部はボルト接合の可能性がある。また梁間方向の大梁の上端フランジの中央

 

 

 

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