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第3章 赤煉瓦建造物モデル調査



3−1 調査報告

  ホフマン窯の調査所見

              京都工芸繊維大学 日向研究室

                     丸山 俊明

 東舞鶴から車で1時間ばかり、由良川沿いの砂利道を抜けたコンクリートエ場。ホフマン窯の調査と聞かされていた。それはどこに?視線はさまよい無造作に並ぶコンクリート製品の後ろ、身の丈以上の草叢から伸びる数本のレンガ煙突をとらえた。まさかこれか?草叢と思ったものは40cm以上にわたりレンガに土砂が堆積し、草が生い茂ったものであった。
 打ち捨てられたレンガの山、この代物の調査を時間内にまとめなければならない。にがいものを胸に野帳を取り上げたが、すぐに軍手と鎌を持ち直した。棘立ち絡み合うイバラを切り開き(蝮の巣であることは後で知った)土をすくい掘る。調査というよりは発掘だった。
 霧のような氷雨の中、数時間に及ぶ作業の末に窯はようやくその姿を見せはじめた。しかし曲面だけで構成される古墳のような形は2次元的実測を寄せ付けない。壁中を走る煙道は折れ曲がり、身動きの取れないところにレンガ片が降る。冷える身体に萎える気持ちは耐え難く、いつしか窯の中に座り込んでいた。
 ホフマン窯、それはレンガ焼成工程を循環移動できる構造が特徴で普通20程度の焼成室を環状や楕円状に配置する。このため各室毎の煙突が林立し、印象的な外観を形成する。燃料消費はそれまでの3分の1、何より休みなく焼き続ける事が出来るため東京府小菅をはじめとして全国各地に設置され、明治20年代には57基を数えたという。
 この神崎の窯は大正末期に平地窯を改造したもので焼成室は10室、規模的に小さいが稼働時間は長く、昭和33年に需要の減少と原料の枯渇で中止されるまで製造を続けた。
 今ここで投光器に写し出される内部はトンネルボールトが楕円ドーナツのように連続し、隅角というものがない。切れめのない空間は休みなく工員を働かせ利潤を求める冷酷な重商主義を思わせる。曲面に飛散する光跡は当時の喧騒を、変色したレンガは夜空を焦がす炎を、すり減った土間は繰り返された人間模様を、時を越えて佇むものの胸にも偲ばせる。
 しかしすべては歴史に沈み、この窯も姿を消そうとしている。壁は崩れ目地材を失い解体修理以外に再生の道はない、たとえそうするにしても今の姿は失われる。できる限りの記録を残す事は目撃者としての義務かもしれない。ヒロイズムからではなく、去りゆくものに花を手向けるような思いに立ち上がりかけたその時、作業の中止を告げる声が窯内に響いた。
 僕たちの作業は終わった。危険性の高さゆえ当然の判断であったが、心に残るものはあった。帰りの車中、乗り合わせた人々の声も遠く結露に曇る窓を何度も拭きながら残されるホフマン窯を見つめていた。 滅びの笛を遠く細く聞くような風景を今も忘れられずにいる。

 

 

 

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