身障青少年の国際体験に参加して
松原茂雄
13時間も機内に閉じこめられてドイツの街の明りが見えフランクフルト空港にヨーロッパ時間17時に着陸。日本と時間差が−8時間もあってさすがに眠い。バスに乗ってハイデルベルクへ向かった。辺りはまさしくロマンチックな街であった。しかし、寒い。
次の日、朝食を済ませて、バスに乗り、プファルツ聾学校へ訪問しました。この聾学校はドイツ一大きな学校でした。この聾学校は、聾者と難聴者と別々にして教育をしている。口話教育が主義としてしゃべられる様に様々な訓練をしていました。日本も同じですね。または、3才〜4才の子供達は、聴力検査を受けて人工内耳にするか、補聴器を付けるかを調べている。ろう学校の先生・耳鼻科の医者・言語教育担当などが集まり決めているそうです。でも、僕達は人工内耳は反対です。まだ小さい子供なのに、ムリに手術してやるとか、何年かに1回にまた手術して交換するといって、体が悪くなるじゃないか、それなら補聴器を付けた方がましだと思っています。でもドイツは医学的な国で技術もトップレベルだから何とも言えません。日本なら反対ですね。他に、ドイツの会社については、就職する時学歴より技術のいい方を採用するみたいです。だからこのろう学校は職業訓練校があっていろいろな面で技術をみがき、資格を取る様に訓練をしています。日本の企業はまだ学歴にこだわっていますね。日本も技術を主義に採用した方がいいかも……。
フランクフルト空港へ向い、オーストリア行きの飛行機に乗ってドイツをさらばにしてオーストリアへ向った。オーストリアウィーン空港に着いて、バスでホテルに直行。このウィーンという街は、世界一うまい水の生産国であり、生水もそのままおいしく飲めるのです。
ウィーン州の社会省を訪問しました。日本といえば厚生省と同じです。この社会省にもろう者が働いているのです。オーストリアのろう者の生活や福祉についていろいろな説明されました。福祉関係の機械(FAXやお知らせランプなど)は、日本と同じ方法だったのです。オーストリアのろう者は約64人いて協会は40団体もあります。
オーストリアのろう学校を訪問しました。このろう学校は217年も歴史をもって、世界一古いろう学校もある。博物館もあるほど歴史がありました。本も作成していたのです。この本を買いましたが、オーストリア語ばかりで文が読めません。各教室へ入りました。よく見ると、先生の顔の表現仕方がおもしろくて、覚えやすい授業です。日本と違うね。コンピューター室は、11歳位の子供達がコンピューターを使ってゲームなどしている。楽しそうだな。僕もやってみたいと思った。他の国の生徒も数人はいた。
ハンガリーの難聴者小学校へ訪問しました。ハンガリーではろう者という名はなくすべて、難聴者と呼んでいます。だから学校名もろう学校ではなく難聴者小学校、中学校と呼んでます。
この小学校は頭のいい生徒の学校で、もう1つは知性的障害の学校もあります。3歳頃から補聴器を付け、話す訓練をしていました。生徒1人に両親やアシスタントが3人も付いているので、いい効果が出ています。ハンガリーでは、3歳〜6歳幼稚の3年制と6歳〜14歳小学の9年制、16歳まで義務教育を受け、日本じゃ中学ですが、ハンガリーでは専門学校みたいなもので2年間技術などを身に付けています。ドイツ語も英語も教えています。日本の教育とは大分違いますね。職員は150人いて、大学で難聴教育専門科があって、卒業した人ばかりです。つまり専門教育なのです。教育レベルは普通と同じ様に教育してます。午前中には、普通の授業で、午後は遊びや習慣など教えているそうです。この学校の職員の中に難聴者もいました。この中の1人が夕べ夕食の時来た人だったので驚きました。美術担当でした。卒業して、専門学校へ行き、技術などを身に付け、就職します。夜になると、ハンガリー難聴者協会へ行って、友流をしました。ハンガリーの人々達に暖
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