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震災直後の相談内容は、棺桶の手配とかドライアイスの手配とか、市とか区とかに関係なしにいろいろな問い合わせがあった。問い合わせについて答えをしたら、その答えを全部大きな字で相談室の壁に張り出して、皆がそれを見て自分で答えられるような対応も当初はとった。

 

〔芦屋市〕

本市は、震災直後から災害対策本部室に電話応対班を置いて24時間体制で応対をしていた。当初は、安否確認や遺体安置の場所や避難先の問い合わせ、震災3日目に大雨が降るということでブルーシートを求めて殺到されたり、罹災証明書、家屋解体の申し込み、ライフラインの復旧状況についての問い合わせ、また、義援金や焚き出しや道路通行証、こういうさまざまな応対があり、関係部署も全部散らばっていたので、住民もどこで何をやっているか分からない状況であった。私の所属する相談窓口職員は4人であったので、他の部課やボランティアの応援を得て「総合案内所」と書いた紙を張り出し、市役所の入口近くで毎日対応してきた。

災害対策本部から1月25日に「法律の問い合わせが出てきている。何とか対応できないか」ということがあって、早速、神戸弁護士会にお願いし、大阪弁護士会を含めて1月末から長期的に支援を受けた。交通の不便な中で滋賀、京都、和歌山の弁護士さんにも駆けつけていただいた。内容は借家借地関係が7割近くを占めていた。

西宮市で「震災なんでも相談所」が開催されるという記事を新聞で見たとき、「こんな相談所があるのか」とびっくりし、すぐ西宮に電話して芦屋市民の相談も快く受け入れてもらった。多くの窓口があっていろいろの相談が一度にできるということは、当時、非常に大きな頼りになった。その後、兵庫行政監察事務所から再々の開設の打診を受けて、地方統一選挙が始まって空いた議会関係の部屋を使って「なんでも相談所」を開設した。そのときには、「やっと芦屋の市民にも総合的に相談を受けてもらえたなあ」という安堵の思いであった。その後、特別相談所も開設し、1年間の支援を受け、約5000件の相談にのってもらった。何人ものお馴染みさんまでできた。

振り返ってみると、小さい市役所が少ない職員で対応しようとしてもなかなか条件が整わない。被災地のど真ん中では、相談窓口も又被災していて相談活動ができない。相談所運営については、市は場所の提供をしただけで、多くは行監をはじめ関係部署にやってもらった。当時、市の状況として、多くの任務を担当していたら、とうてい続かなかった。関係機関が連携をした相談窓口ができて支援が行われれば、非常に被災地は助かるということを実感している。私たちは、震災相談活動を通じて、「相談窓口は復興の縁の下の力持ち」と自負している。

 

〔大阪司法書士会〕

青法協、近畿青年税理士連盟、全国青年司法書士会、大学生の4者が参加して、仮設住宅に直接出向いて、アンケート調査とか法律相談を行った。本当にいろいろな相談が出てきて、中には、この4者だけでは対応することが困難な、すなわち、

 

 

 

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