なる代わりに、扱うセル数が膨大となるため、ソフトウェアによる符号誤り等のチェックを省き、セルフルーチング・スイッチと呼ばれるハードウェアでの処理が行われる。これにより可変速度での多重化が可能となり、動きや色合いの違い等のランダムな情報量の変化に対応できる。また、ATMは段階を追って多重化する必要がないので空きスペースの重複もなく、伝送効率がよい。現在、ATM技術をさらに上回る光交換技術や光波通信、テラビット通信網などの研究も進められている。
日本では1992年、郵政省所轄の「広帯域ISDNに関する調査研究会」の報告に基づき、B−ISDNの利用実験を行う組織として新世代通信網実験協議会が設置され、1994年7月から関西文化学術研究都市で活動を開始している。協議会にはユーザ企業や情報通信事業者、大学、省庁等の産・官・学に経団連や国立国会図書館などの機関が加わり、50にのぼるアプリケーション実験を行っている。
ネットワークのデジタル化や高度化については、通信事業者ばかりでなくCATV事業者や放送事業者も高い関心を持っている。通信事業とはネットワークの構成も経営方針も異なるCATV事業や放送事業が、通信ネットワークの高度化に関心を持つのは、米国でのメディアをめぐるドラスティックな業界再編の影響がある。次項では米国の通信業界の動向を追うことにする。
1−1−2 米国通信政策の与えたインパクト
(1) 米国の情報ハイウェイ構想
B−ISDNの普及には幹線ばかりでなく加入者線までの光ファイバー敷設が必要条件となる。電話の発明以来、今日まで数十年の年月をかけて築かれたメタルによる電話網を、全て光ファイバー化するには莫大な時間と費用がかかる。NTTは1990年、新高度情報通信サービス(VI&P)ビジョンを発表し、B−ISDNサービス実現のため2015年までに全ての家庭を光ファイバーで結ぶ計画を明らかにした。
NTTのビジョンに敏感に反応したのが米国政府である。1980年代後判に深刻な不況と多数の失業者を抱えていた米国では、米国産業が失いつつある産業の国際競争力を回復するため強力な経済政策をうちだす必要があった。当時の米国社会には、自動車や半導体等かつて米国が得意としていた分野に次々に進出し、今日の苦境を招いたのが日本だという認識があった。その日本が、全国への光ファイバー敷設計画を打ち出したため、1991年、ゴア上院議員は全米の研究・教育・医療機関を結ぶ高速ネットワークの構築案
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