戦後、アメリカの積極的な支援のもとに経済復興を成し遂げたわが国は、昭和30〜40年代の高度経済成長を経て、50年代に国際社会における地位を著しく向上させ、アメリカとの強力なパートナーシップのもとに、世界の平和と繁栄に大きな役割を果たすようになった。しかし、日米両国の国民総生産が全世界の3分の1を占めるに至り、両国に課せられた国際的な責務が一層増大する反面で、両国の政治・経済関係には少なからぬ摩擦が生じ始めた。 こうした背景のもとに、日米両国関係のダイナミックな発展を願い、民間レベルで初の助成型国際交流財団として米日財団(本部;ニューヨーク)が55年に設立される運びとなった。これは、日米間の「実り豊かなパートナーシップ」を実現させるには、両国民が相互の社会・経済・政治・文化・教育制度および他国との関係等の分野において、相互理解を深める機会を多くもつことが不可欠であり、日米両国民は協調と対話を通じ緊張、誤解を緩和する努力を重ねてこそ、世界全体の福祉発展のため、相互の経験、情報を生かすことができる、との考えからであった。 本会はその趣旨に全面的に賛同し、55〜58年度に毎年25億円ずつ合計100億円を基金として拠出、同財団はその運用益をもって、他の民間団体が計画する日米相互理解の促進につながる事業に対して資金協力を行うことになった。 米日財団はその目的を達成するため、公共活動部門、教育部門、コミュニケーション部門、技能・技術部門の4部門に分けて日米それぞれの研究機関、各団体・グループに補助金を交付してきたが、60年度からは人物と思想の交流、コア・グループ、大学前教育の3つを主要分野とし助成活動をすすめている。 同財団がこれまで助成してきた主な事業には、アジア・ソサエティーによる日本に関するアメリカの高校生向け教材開発・配布、東アジア・東南アジアにおける日米経済関係に関する戦略国際問題研究センターの研究、アメリカ市長会によるアメリカ市長団の訪日研修、日米協会による21世紀の日米関係に関する研究などがある。 |
セント・マーティン・カレッジでの 日米の教育問題討議風景
アメリカ合衆国理解を例とした授業研究報告書 |