1970年代の半ばに至っても、ネパールでは人口1,000人につき10人のらい患者がいるものと想定され、人口比からみれば世界的にもらい感染濃厚地の一つであった。 同国政府は1976年(昭和51年)かららい対策5か年計画を実施したが、その目標は全人口の約3分の1にあたる400万人の住む地域において、開放性(結節型)患者の90%を発見し、その80%に規則的な治療を施すことにあった。しかし資金、人員、器具の不足のため、一部地域においては計画の実行に遅滞をきたしたので、本会はその促進を図るため昭和52年度に同国政府に対しらい研修センターの建設資金を援助した。 台湾では1977年12月当時、登録らい患者数が約5,000人にのぼり、そのうち約900人は診療所で治療を受けていたが、残り約4,100人は家庭などで治療中であった。しかし登録患者以外にまだ約5,000人の患者がいるものと推定され、同国の行政院は1976年7月にらい撲滅10か年計画を実施した。 そこで、本会はこれに協力するため、昭和52年度に行政院に対し、らい患者の外来診療、リハビリテーション、予防教育・訓練等を行う台湾省らい診療・研修施設の建設資金の一部を援助した。 韓国では1980年当時約5万人のらい患者がおり、そのうち約2万8,000人は大韓らい協会に登録され、規則的に治療を受けていたが、残りの2万人余は治療が施されておらず、公衆衛生上の大きな問題になっていた。 大韓らい協会は従来かららい患者の治療促進とらい撲滅のための啓蒙普及事業を熱心に行ってきたが、らいに対する社会の偏見を払拭し、らいが完治可能であることをよく理解させる必要から、科学的でかつだれにもわかりやすい内容の映画を制作し、劇場、テレビ等を通じた啓蒙運動を展開することになった。 本会は同国の要請に応え、昭和52年度にらい病研究院運営基金の設立を援助したのにつづき、54年度には大韓らい協会が行う啓蒙普及映画制作のための資金協力を行った。 |
らい患者を見舞う笹川良一会長(ネパール)
本会の援助によって建設されたらしい診療 ・研修施設(台湾) |