(財)笹川記念保健協力財団の設立 わが国においては、過去1世紀近くにわたる医療関係者の努力でらいの治療法が急速に進歩し、らい患者の治癒と社会復帰が可能となるとともに、新患者の発生もほとんどみられなくなった。しかし、世界にはいまなお多くのらい患者がアジア、アフリカ地域に密集し、その大半が近代医療の恩恵に浴していないのが実情である。 笹川良一会長は、多年この問題の世界的な解決に関心をもち、インド、フィリピン、台湾、韓国等のらい問題に個人的に協力してきた。そして、75歳の誕生日を期して、らいを克服したわが国医療経験者の豊富な知識・経験を組織的に活用し、開発途上国におけるらい問題の解決に貢献したいと決意を新たにした。本会は世界のらい克服に貢献することはわが国の当然の義務であると考え、笹川良一会長の理想を実現するため、広範ならい専門家の協賛を得て、昭和49年5月、(財)笹川記念保健協力財団を設立した。 こうして発足した(財)笹川記念保健協力財団は、長期的視野に立って、それぞれの国の実情にあった科学的対策をたて、WHOをはじめ国際機関の考え方も十分考慮にいれ、最終的にはそれぞれの国の国民が自分の手てらい問題を解決する体制を築き上げることを目標としてスタートした。そして、西暦2000年までにらいを制圧することができるよう、国際会議の開催、らい対策従事者の育成、現地技術協力、らいの研究開発、教材の開発・供与、広報啓蒙活動、薬品・機材援助等を中心に、事業に取り組んだ。 このうち国際会議については、49年11月、東京で第1回アジア地域らいコントロールセミナーを開いて以来、毎年アジア諸国のらいコントロールの責任者が一堂に会し、日本の専門家を交え、らいに関する諸問題について意見交換するようになった。59年以降は、WHOの提唱する複合療法に関するテーマに重点がおかれている。 海外らい対策従事者研修は、わが国およびらい多発国において実施し、過去16年間の海外からの参加者総数は825名にのぼる。また、将来、海外での奉仕を希望する日本人に対し、らい医療の技術研修を行うため、従来からの国内研修に加えて、60年度から厚手省の後援により海外研修プログラムをスタートさせた。このほか、らい医療を担当する人材を確保する目的で、52年から医大生および若い医療者に対し夏季大学を開校している。 らいの研究開発については、長い間特効薬とされてきたDDSに対する耐性の発生が世界各地でみられ、化学療法のあり方が問われていた時期の52年、マニラで同財団が開催した「第1回化学療法に関するワークショップ」において、らいの治療にはDDS単一療法ではなくリファピジンおよびランプレーンとの複合療法を採用すべきであるとの提案がなされた。 同財団はこの提案に応え、この複合療法の効果を確かめ、最善の投薬量・投薬期間の発見をめざし、韓国、フィリピン、タイ政府の全面的協力のもとに、日本の専門家の参加を得て、54年に化学療法の共同研究をスタートさせた。この研究は、WHOらい化学療法研究グループとの密接な連携のもとにすすめられ、63年に終了、その成果が『国際らい学会報』1990年(平成2年)3月号に発表された。また平成元年10月にはタイ・バンコク郊外に完成した笹川記念研究施設において、タイ政府と共同でキノロン系薬剤の治らい効果の研究を開始した。 一方、薬剤治療と免疫治療との併用研究に昭和55年から着手するとともに、57年7月には、同財団の石館理事長の呼びかけによりらいワクチンの開発協議会が発足し、厚生省、大学、研究所など関係機関と協力して、この研究を推進することとなった。その一環として、フィリピンで開始されたWHO方式による免疫療法のフィールドトライアルに対し60年度から経済援助を行った。また、東アフリカのマラウイで15万人の住民を対象としたWHOの予防ワクチン研究に対しても61年度から応分の協力をつづけている。このほか、同財団は「らい菌の人工培養に関する研究」「らいの疫学的研究」等、その他のらいの基礎研究にも力を注いでいる。 このように同財団はらい根絶を中心とする国際的な医療協力に大きな成果を収めてきたが、この間、時代の要請に応え、50年度に寄生虫対策、59年度にWHO笹川健康賞、61年度に日中笹川医学奨学生制度および笹川記念研究施設、62年度にエイズ対策、平成2年度にチェルノブイリ医療協力等の事業を開始し、国際協力の幅を一段と拡大して今日に至っている。 |
らいコントロール国際会議(クアラルンプール)
タイの笹川記念研究施設と研修風景
ミャンマーに寄贈された治らい薬 |