今世紀初頭より数多くの日本人が南米に移住し、開墾に血のにじむような苦労を重ねながら、子弟の教育とわが国の文化、伝統の維持に努めてきた。しかし、これらの日系一世も時の経過とともに次第に高齢化してきた。1977年(昭和52年)には、ブラジルにおける日系移住者の数は70万人といわれたが、そのうち50歳以上が全体の40%を占めるまでになった。そのころ同国では老後の社会保障制度は十分に整備されておらず、老齢化した日系一世の生活は必ずしも恵まれたものではなかった。 サンパウロ日伯援護協会は日系人のための各種医療福祉施設の運営にあたっていたが、日系一世の社会的な影響力が弱まるにつれ、協会の基盤が弱体化した。日系一世の老齢化に対処するには確たる財政基盤のもとにサントス厚生ホームを運営することが必要であったが、その運営基金調達のめどさえたたない状況となった。 また、アマゾニア日伯援護協会は、日本人移住者のための福祉・健康事業を行う一方、その運営基盤の拡大を図るため付属病院を設け、広く一般市民の医療に供してきた。しかし経営は苦しく、これを打開するには、病院の規模を拡大し、医療設備・機器等の充実を図る必要があったが、そのための資金調達は容易ではなかった。 そのため本会は日系社会の要望に応え、昭和52年度にサンパウロ日伯援護協会とアマゾニア日伯援護協会に資金援助を行い、老移民救済や医療整備のための各種事業を支援した。 一方、1978年はわが国からのブラジル移民70周年、79年はペルー移民80周年にあたり、現地の日系社会ではそれぞれ日本移民の苦闘と栄光の歴史を後世に伝えるために、また日系人とブラジル人、ペルー人との交流の場として、サンパウロとリマに日本移民資料館を建設することになった。これに対しても、本会は資料館の運営基金あるいは建設資金の一部を援助し、日系人の長年の労苦に報いた。 |
アマゾニア日伯援護協会に対する本会の支援を報じる現地の新聞
擁護老人ホ-ム・サントス厚生ホーム
寄贈された物品を販売して経営の一助 とするお年寄りたち |