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(昭和46年度〜54年度)
第2節 福祉・公益事業の拡大
6.多岐にわたる保険・福祉ニーズ 戦没者の慰霊
今日「経済大国」に成長したわが国の繁栄は、過去の不幸な大戦における多くの軍人・軍属・一般国民の犠牲のうえにもたらされたものである。政府は対日平和条約発効後、昭和27年度から海外戦没者の遺骨収集にあたってきたが、相手国の事情から遺骨収集の許可が得られない地域があったり、在外公館などからの情報により新たに遺骨の存在が明らかになった地区もあり、かつての激戦地になお150万柱もの旧軍人の遺骨が残されたままになっていた。
(財)日本遺族会は、終戦後30年を経過した昭和50年に、戦没者の遺児を中心とした遺骨収集団の派遣を計画した。海外戦没者の遺骨を収集し慰霊することは、日本国民としての当然の責務であるので、本会はこの事業を積極的に支援した。戦没者遺児による遺骨収集団は50〜52年度に、フィリピン、マリアナ諸島、トラック諸島、パラオ諸島、中部太平洋、北ボルネオ、インドネシア、ビルマ(現、ミャンマー)、ソロモン群島、東部ニューギニア、沖縄の11地域に延べ482名が派遣され、4万3,388柱の遺骨を収集し、それぞれ現地で慰霊祭を挙行した。
またこの戦争に際し、フィリピンでは約50万人にのぼる日本軍関係者が戦死したといわれる。戦後30年経ったのを機に、日本政府はフィリピン政府の協力を得て、マニラ東南の景勝の地ラグナ州カラリヤにこれら戦没者の慰霊碑を建立することとし、(社)フィリッピン戦没日本人慰霊園建設委員会が設置された。異郷に眠る同胞の霊を慰めるため、本会は同委員会に対しても50年度に補助金を支出した。この資金により慰霊碑の周辺に12ヘクタールに及ぶ慰霊園が建設されて日本庭園が造成され、日本・フィリピン両国の友好親善の広場となった。
さらに、この戦争では多くの一般国民が空爆、艦砲射撃、機銃掃射等の犠牲となった。これら一般戦没者の霊を供養するとともにその悲惨な体験を想起し、再びその惨禍を繰り返さない誓いを新たにするため、本会は53年度から(社)日本戦災遺族会が全国の主要な戦災都市で実施する各種の慰霊行事に対して、毎年補助を行っている。
[遺骨の収集状況」
派遣地域     期間  人員   収号数
フィリピン    80日間 175名 16,148柱
マリアナ諸島   81日間 118名  7,162柱
トラック諸島   20日間  15名   541柱
パラオ諸島    20日間  15名  1,534柱
中部太平洋    35日間  8名   919柱
北ボルネオ    20日間  16名   326柱
インドネシア   30日間  13名   614柱
ビルマ      20日間  40名 12,589柱
ソロモン群島   29日間  12名  1,379柱
東部ニューギニア 15日間  40名   264柱
沖縄 25日間  30名 1,912柱
計 375日間 482名 43,388柱
マニラ湾での遺骨収集(昭和50年)




収集された遺品を遺族に手渡す


慰霊行事

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