わが国経済の高度成長によって海上輸送量の増大、漁業の活発化、石油化学工業の発展などが促進され、それに伴い海上における船舶の交通はますます輻骸化することになった。そのため船舶から流出もしくは排出される油によって海洋が汚濁されるという事故が諸外国やわが国の沿岸で起こるようになった。 このような海洋の油濁は、自然環境をそこない、海洋生物に大きな被害を与え、国民生活に重大な不安を及ぼすことから、政府は昭和30年代から40年代にかけて法制度を整備し、これに対処してきた。 本会はこれらの対策に関する政府の施策に積極的に協力することとし、海水の油濁については、43年度から(社)日本海難防止協会を通じ補助金を交付して、これらの対策のための調査研究を支援してきた。これらの調査研究から得られた貴重な資料と成果をもとに、各種のオイルフェンスや回収装置が開発され実用化されている。 さらに本会は、大規模な油流出事故に対応できる海洋油濁防止装置の開発プロジェクトの一環として、(財)日本造船技術センターに全面的な資金援助を行って、海洋油濁防止装置評価試験施設の整備を行った。これによって筑波研究学園都市に海洋油濁防止研究所が建設され、53年4月より同センターの一部門として発足することになった。敷地面積は約5万6,600平方メートル、そのなかに回流水槽施設、角水槽施設、排水処理施設、研究管理棟施設、付帯施設が整備され、実際の油を散布して平穏な海上のみならず、風浪のある海象下での試験ができるようになった。 そのため、海洋油濁防止装置の開発・実用化に関する試験施設として、海洋油濁防止研究所は、関係業界に対して大きく寄与することができた。 その後海洋油濁防止研究所は、昭和55年(財)日本造船振興財団に移管され、56年に海洋環境技術研究所、62年には筑波研究所と名称変更され現在に至っている。 以上のほか、(社)日本海難防止協会が行っている海洋汚染防止の指導・宣伝事業、海洋汚染防止に関する情報の収集整備事業、廃棄物海洋投棄に関する実験的研究事業などを支援するとともに、52年度からは、(財)海上保安協会が行っている海洋汚染防止推進員620名による海洋汚染発見時の通報、海洋汚染防止に関する啓蒙活動等の事業を支援している。 |
タンカー「ジュリアナ号」の油流出事故現場 (昭和46年11月・新潟港)
海洋油濁防止研究所における回流水槽での油回収装置の実験
角水槽でのオイルフェンス性能試験 |