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(昭和46年度〜54年度)
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第1節 造船不況始まる
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1.経済環境の激動 ニクソンショック
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昭和40年11月からつづいた大型好況“いざなぎ景気”は、44年下期に入って過熱状態となった。その後景気は下降に転じ、45年8月から不況局面に入った。政府は財政投融資の追加、公定歩合の引下げ、長期金利の引下げなどにより景気の回復策を講じた。景気が上向きに転じようとした矢先の46年8月15日、アメリカの景気下降が顕著となりドル不安が表面化した。これに対処するためニクソン米大統領は、金とドルとの交換を停止するとともに一律10%の輸入課徴金を設定、賃金・物価を凍結するという新経済政策を発表した。これにより、わが国の経済は大きな衝撃を受けることになった。 ニクソン声明後、西欧各国は変動相場制に移行、わが国も46年8月、戦後初めて変動相場制に移行、ここに1ドル360円の時代は終わりを告げることになった。たちまち円高がすすみ、9月には1ドル300円と上昇した。この傾向はひとりわが国ばかりでなく他の国にもみられ、世界経済に不況の長期化・深刻化に対する不安感をつのらせた。 このような事態を収拾するため、46年12月、アメリカ・ワシントンのスミソニアン博物館における先進10か国蔵相会議においてドルの切下げ、円とマルクの切上げが行われ、1ドル308円と決定された。そのために、わが国の景気は再び停滞しはじめた。 この大幅な円の切上げでわが国造船業は約2,400億円の為替差損をこうむったが、47年7月成立した田中内閣による列島改造論の展開によって列島改造景気が起こり、国内船需要の膨張とともに、海運市況の好転、円再切上げの思惑から輸出船の受注が増加し、48年度から49年度にかけて造船ブームとなり、手持工事量も急激にふくれ上がっていった。この間、わが国造船業の建造能力も大型投資によって急激に拡張し、やがて48年ごろから表面化しはじめた船腹過剰につづいて、設備過剰が問題化しはじめるのである。 |
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