わが国経済の発展に伴って、造船業においては大規模な輸出船ブームを現出するとともに、超大型船、各種の高速船などの開発が盛んに行われるようになり、そのスケールは一段と大きくなった。また建造量も増大し、世界の過半数を占めるに至った。 このようなわが国造船業界の発展と、海事思想、観光、体育、その他公益事業の増大に伴い、本会の業務も拡大し、これに対処するために、業務体制を整備充実する必要性が生まれてきた。 そこで本会では、昭和40年4月1日、組織および事務分掌の一部を変更し、業務部を2部に分け、業務第一部には業務課(計画係、業務係)と貸付課(貸付係)を、業務第二部には公益事業課(海事係、公益係)をおき、4部7課13係とし、これに係わる定員を増員して58名とした。 さらに、41年4月1日、「海事博物館」建設に関する事務および広報関係業務、ならびに図書室整備に関する業務などの拡充に対処するため、職制の一部を改正し海事博物館建設準備室、広報課を新設、総務課の図書係を広報課に移し、広報課に広報係と図書係をおいた。また財務課を管財課に組織変更し、これに財務係と管理係をおいて、4部1室7課14係とし、これに係わる定員を増員して69名とし、業務の円滑なる処理運営を図った。 なお、海事博物館建設準備室は、42年4月1日(財)日本海事科学振興財団が設立され、同財団へ「海事に関する博物館業務」を移管することになったため廃止された。これに伴って定員も減員され61名となり、43年4月1日には58名に縮小された。 また、昭和42年1月27日、山下正雄が理事長を退任し、同年8月1日、芥川輝孝が理事長に就任した。 |
山下正雄 理事長 運輸省船舶局長、(財)日本船舶工業振興会理事長を経、本会設立と同時に理事長に就任。 昭和42年1月27日、(財)日本海事科学振興財団の理事長就任を前提として退任。
芥川輝孝 理事長 運輸省船舶局長を退官後、昭和42年8月1日、理事長に就任、任期満了により昭和52年9月30日退任。
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