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(昭和37年度下半期〜45年度)
第4節 豊かな社会をめざして
4.医療・公衆衛生の充実 船員医療
(社)日本海員掖済会は明治13年に関係各方面の協力と全国篤志家の援助により創設されて以来、船員の養成と船員およびその遺家族に対する各種の福利厚生事業に主力を注ぎ、幅広い活動をつづけ、わが国海運および水産業の発展に寄与してきた。
終戦後は社会事業団体として再出発し、全国主要港に病院・診療所を設置・経営するとともに、諸種の援護事業、厚生福祉事業、船員育英事業や法定海事図書出版事業等に従事するようになった。
会員・有志の拠出・寄付金が大幅に減少したため、老朽または被災した医療施設の復旧・整備資金の確保には非常な困難が伴ったが、関係各方面の支援により漸次、施設・設備の近代化に着手し、やがて面目を一新した。
本会も昭和37年の発足と同時に、(社)日本海員掖済会に対し補助金を交付し、多年にわたり主要港における医療施設の建設や医療器械器具の整備を中心に、診療事業の充実強化に協力した。その代表的なものに、38年度から41年度にかけて行ったサモア診療所、東京病院の建設および名古屋港「さちかぜ」訪船診療所開設への補助がある。
米領サモア諸島を基地として遠洋漁業に出漁する邦船船員は、温熱と長期にわたる変則労働のため、胃腸障害や外傷にかかりやすく、現地病院を利用しても言語が不自由なため十分な保健指導を受け難いなどの状況下におかれていたので、37年10月、米領ツツイラ島バゴバゴ市に(社)日本海員掖済会サモア診療所(内科・外科)が開設された。本事業の実施により、船員疾病の早期発見・予防や保健衛生思想の普及徹底など格段の成果をあげ、船員の作業能率も向上し、わが国水産業の発展に寄与するところ大であった。
名古屋港「さちかぜ」訪船診療所は、船員労働の特殊性と中間港としての同港の特殊性を考慮して、名古屋港管理組合から専用船「さちかぜ」の貸与を受け、在港中の船舶を訪問して診療を行う目的で開設された。これにより、従来とかく診療を受ける機会に恵まれなかった同港出入船舶乗組員や港湾労働者も迅速な治療を受けることができるようになった。
一方、本会は船員厚生施設の拡充を図るため、神戸海員会館増築((財)日本船員厚生協会)、下関海員会館建設((財)下関海員厚生会)をはじめ各地の海員会館の建設・増改築資金を補助して、その基盤強化に資した。
掖済会東京病院

サモア診療所

「さちかぜ」

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