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(昭和37年度下半期〜45年度)
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第4節 豊かな社会をめざして
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2.福祉事業の推進 保育所の急増
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昭和22年12月に制定された児童福祉法により、従来の低所得層の保護者救済を目的とした託児所は、児童の健全育成を第一義とする保育所となり、児童福祉施設の一種と位置づけられた。また、市町村長は保育に欠けた子供がいると認めたときは、これを保育所に入所させ、保育しなければならないと定められ、保育担当者に関しても保母の資格が明確に規定された。 こうして保育所制度は20年代に基本的な条件整備が図られ、30年代以降、その設置数は急速な増加をたどり始めた。これは経済の高度成長下において人口の都市集中がすすむとともに、共働き家庭の増加や核家族化の進行等により、都市部およびその周辺部を中心に保育所の需要が急増したためであった。 保育所の量的拡大に対処して、30年代後半には保育所入所措置基準の設定、へき地保育所の設置、保育所と幼稚園についての調整等、その制度運営面の充実にも力が注がれた。 その後、40年代から50年代初めにかけて、都市への人口集中が加速化されると同時に、終戦後の20年代前半に出生した団塊の世代が結婚適齢期を迎え、第2次ベビーブームが到来した。加えて女性の職場進出が進行した結果、要保育児童数が爆発的に増加した。 しかも急速な社会変動のなかで、保育所の需要は著しく多様化してきたため、保育所行政は施設整備の計画的推進とあわせ、43年度に小規模保育所、44年度に乳児保育特別対策等の施策が打ち出された。 こうしたなかで毎年全国の多くの社会福祉法人から本会に対して、保育所の建設に関する補助要請がなされるようになったので、本会は44年度から積極的な補助に乗り出した。 以後、保育所の建設補助申請は年ごとに急増し、本会は厳正な審査を行って、可能な限りその要求に応えうるよう努力した。内容面においても、ゼロ歳児保育に対し補助を開始したほか、障害児と健常児の混合保育に対しても補助金を交付するなど、需要の多様化にも意欲的に応じた。 補助申請は52年度をピークに漸減し、全国の入所措置児童数も56年から前年比で減少傾向を示し始めた。本会は引き続き適正配置の観点から必要な施設整備の促進を図りつつ、地域的偏在の解消に努めている。平成3年度までに本会の補助で全国に建設された保育所は518件にのぼる。 |
昭和40年代の保育風景
現在の保育風景(ふたば保育園)
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