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バス事業を振り返る
30年ぶりにめぐってきた収益事業・高速バス・昭和60年以降のバス事業(その1)
交通毎日新聞 生田 達幸
 
 
 本原稿は平成10年に執筆したものであり、表現や内容面で現在と比べて若干齟齬(そご)をきたしている箇所があります。ご理解下さい。
 
バスのルネッサンス
 高速バス(長距離高速乗合バス)が大きく花開く。高速バスの一種であるハイウェイバスは昭和38年名神高速道路の一部開通に伴い翌年名古屋、大阪間で運行を始めたのが最初だが、当時は並行して走る新幹線との圧倒的な所要時間の差から利用者は少なく、その後に運行を始めたハイウェイバスも長らく苦境を強いられた。明るさがみえたのは50年代半ば。高速道路網の拡充に伴い60年代前後から各社は30年ぶりにめぐってきた収益事業と位置づけ路線申請ラッシュが始まる。60年末の路線数は179、年間輸送人員は2500万人にのぼり、一部路線では補助席まで使用した。当時、成城大学の岡田教授は「高速バスの出現はバスのルネッサンスである」と表現した。
 
鉄道に真っ向から挑戦
 高速バスの魅力はレールに比べて運賃が安く、車内の快適性とともに夜行便が多いことから早朝に到着すればその日はフル活動できる。ビジネスマンにはもってこいの輸送手段となった。また、夜は何時に寝なければならないという規範意識が薄らいだことや、国鉄が夜行列車を減便したことも有利に働いた。高速バスは鉄道を中心としたネットワークに真っ向から挑戦するものであり一種の独立宣言という見方もできる。同時にバス事業者の意識も変わり、他力本願的な考え方から自己責任、主体性を取り戻す。換言すれば努力しだいで道が開ける。
 昭和58年、阪急バスと西鉄バスが共同運行した大阪、博多間の路線が真の意味で高速バスの先駆けとされ、関東圏での京浜急行、弘前バス共同運行による東京、弘前間より若干早かった。阪急バスによると「当初33人乗りだったが女性客へのサービスや居住性を考え、3年後には29人乗り3列シートに変えた。このスタイルが当時の標準仕様だった」。その後関越道など縦断道の整備でさらに勢いづき東京、下関間では2階建てバスも登場した。
 
地方の活性化
 高速バスは事業者にとって魅力のある新機軸となったが効用面では別の側面もあった。たとえば京都や奈良といった観光地の場合、地方都市と結べば人のモビリティが活発化し京都や奈良のよさが再認識されるほか、地方都市の活性化にも役立つ。その典型が山陰路線で、関東圏なら東京と東北を結ぶ路線。それまで秋田県の大館や岩手県の宮古市と東京を結ぶ直行ルートはなく、国際興業と秋北バスのジュピターや京浜急行と岩手県北自動車のビームIはそれを可能にした。つまり、町起こしに寄与した。ジュピターはレール運賃の半額であり、なおかつ所要時間も10分早い。
 路線網は年を追って拡充し平成10年5月現在、路線キロ300キロ以上に限っても155にのぼり、それ以下を含めると何倍になろうか。この間京王帝都と西日本鉄道が新宿、福岡バスセンター間1146キロを14時間35分、運賃15000円で運行を始めている。だが路線数とは裏腹に問題点が表面化してきたのも事実だ。
 交通毎日新聞は平成4年の社説で「不振のバス事業を活性化させる希望の灯と謳われた高速バスはこの2年間で大きな様変わりをみせ今や全国各地で乱立、群雄割拠の時代に入った。同時に高速バスの問題点も浮き彫りになった。
 そのひとつがコスト意識。都市部の業者と地方業者とでは原価意識は自ずと違う。同じコストでも都市なら赤字、地方では黒字になるときがあり、したがって都市部の業者が赤字だから運賃を上げたいと言っても地方はなかなかクビを縦に振らない。高速バスは今がピーク」と指摘した。
 
山陰地方の活性化に期待される日本交通の大阪〜鳥取線
地域色豊かなデザインがボディに施されている
 
昭和60年代の高速バスは3列シートが一般的
 
大健闘・関空リムジン神戸線
 高速バスを文字どおり乗合で高速道路を走行するバスと定義するなら関西新空港と同時に運行を始めた関空リムジンもそれに該当する。運行スタイルは南海電鉄と航空3社(JAL、ANA、JAS)が共同出資して設立した関西空港交通と地元のバス会社の共同運行が一般的だが、乗合バスの収益事業として久方ぶりに明るい話題を提供している。震災でいっとき需要は落ち込んだものの、その後順調に回復、大半の路線がペイラインを超えている。中でも神戸路線はドル箱。開港当初一部で不安視するムキもあったが見事にクリア、「正直なところこれほど健闘するとは思わなかった」が関係者の一般的な見方である。好調の背景には湾岸線の渋滞がないことや、空港連絡橋の料金がネックとなりタクシーやマイカーが伸びないことがある。ただし課題もある。ジャンボタクシーに象徴される新たな輸送モードの出現や連絡橋の料金が軽減された時が不安材料である。
 
スペインの空港バス
ワイドボディでノンステップ
 
関空への入口 連絡橋ゲート
 
関空リムジン
 
東急の実験走行
 都市バスは定時性の確保が生命線。逆にいえばこれさえ解決すれば復権する。このコンセプトに基づき東京急行電鉄が61年、補助金に頼らず東急だけの力で東京の目黒通りを中心に4路線6系統で「バス新交通システム」と銘打った壮大な実験走行を行っている。実験に際し同社は「たとえ等間隔で定時性が確保できてもお客さんが減るようでは東京でのバス事業はダメだ」と言明。115台のバスを投用し定時性と輸送需要の相関を試した。新システムのポイントは3つある。(1)目黒駅前ターミナルおよび主要停留所に設けた路上感知機により、バスの運行実績データの収集を行う(2)目黒営業所に設置したコンピューターが収集したデータを基に各バスのターミナル到着時分の予測を行い、効率的なダイヤルの自動編成を行う(3)一ストロークの運行時間表をターミナル到着バスの車載運行時間表示器に表示し運転士に知らせる。また、営業所のCRTディスプレーによって運行情況を把握し、必要に応じて情報の提供や指示を車載運行時間表示器を通して行う。結果はどうだったか。好調に推移し「実験は成功した」。
 
時間・地域限定の優先走行
 定時性確保の一番の近道はバスの優先走行である。前回、名古屋市の基幹バスに触れたが、優先走行は60年代を境に大都市圏で相つぐ。しかし本当にそれでいいのか、マイカーやトラックの排除は「マクロ社会学」の観点から許されるのか、関係者の一部で論議を呼んだ。平成元年、運輸省は「大都市圏における自動車交通の円滑化のための総需要抑制策に関する調査研究」を実施。東京都心部(環状7号線内)への自動車移入抑制策として負担金制度やナンバー別制度の導入をドライバーにアンケート調査で質した。自動車の増加による大気汚染と事故防止の抑制といった側面もあるが、結果は両制度とも「NO」、時期尚早と出た。これを受け運輸省はドラスッチクな優先走行から適用時間、区域などを限定し、なおかつ地域商圏との調整を図る走行のスタンスに変える。つまり歩行者天国にならって時間、地域限定の「運行天国」である。その一例として、近鉄奈良線学園前駅周辺で奈良交通が実施している優先走行がある。同走行は朝の通勤時間帯に限り学園前駅に向かう幹線道路からマイカーをなどをシャトアウト、これによりマイカー通勤から鉄道通勤にシフトした住民も少なくなく、都市バス業界久方ぶりのヒットとなった。阪急バスが川西市で3年前から行っているのもこの方式で、ここでも慢性的な渋滞がキレイに解消されバス利用者が7割も増えている。
 札幌市が2年前に始めたPTPS(公共車両優先システム)はその集大成だろう。午前7時30分から9時までの1時間半、国道36号線の一部区間(5・7キロ)をバス専用レーンにするとともに区間内の信号を自動制御する。つまり区間内に設置された25基の光センサーとバスとの間で光通信を行い、その情報を道警交通管制センターに伝達する。同センターから32ヶ所の対象信号交差点の信号を調整する。「従来信号で10回ストップしていたのが3回に減り運行時間も30分から10分短縮された」と上々のすべり出しだった。
 
 次回は都市バスが復権を賭け相つぐ新機軸・落ち込み激しい地方バス。長期低迷の貸切バス。


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