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李 敏龍(り みんよん)
(1932.5.23生)韓国
 
 日韓両国で受けた教育と生育歴に基づく両国の歴史文化に対する深い造詣を生かして、両国間の活発な民間交流と円滑な意志疎通、正しい相互理解の促進に貢献した。
推薦者:百崎 英
 
Mr. Rhee Min Yong (born May 23, 1932) Republic of Korea
 
 Using the great knowledge of both Japanese and Korean history and culture that he acquired during his education and growing years in both countries, Mr. Lee has helped promote active private-sector interchange, smooth communication, and accurate mutual understanding between Japan and South Korea.
Recommended by: Mr. Hideru Momosaki
 
 李さんは、1930年東京に生まれ、小学校一年の時に父親の転勤で韓国京城の日本人学校に転校した。学年で唯一の韓国人児童だった。中学は韓国系中学を卒えた。朝鮮動乱終結後、李さんは梨花女子大学日本語科講師、共同通信社ソウル支局の翻・通訳などを歴任し、66年に世邦旅行社に入社、71年から5年間日本支社長として東京に駐在した。82年「銀星旅行社」を起こし、日本などへの旅行団の派遣、日本からのミッションや旅行団の受け入れに従事した。現在は、高麗大学一民国際関係研究院委嘱の日本関係の諮問委員を務めている。
 李さんは日韓両国の歴史・文化に対する造詣の深さを生かし、日系小・中学校同窓会の人脈を通じて来韓した各種団体と中味の濃い交流を行った。韓国訪問の日本人には、単なる観光案内を超えて両国の歴史に対する深い洞察と博識に裏打ちされた説明を行い、冷静で客観的且つ率直な意見を述べて深い感銘を与え、日韓関係の正しい理解の促進に寄与した。その博識と人柄に魅了された日本人は多い。また、日本訪問の韓国人に行き届いた案内を行い、日本理解を助けた。旅行社退職後も、個人的に招かれて日本各地で講演を行うなど、日韓の民間交流活動を続けている。
 歴代天皇の名前を諳んじ、日本人以上に練達な日本語を話す李さんは、日韓民間経済協力の会議等の通訳も務めてその力を遺憾なく発揮し、両者の円滑な意思疎通と相互理解の促進に貢献した。また、元韓国外交通商部長で駐米韓国全権大使の日本関係アドバイザーとして調査報告を担当し、日本に対する誤解を無くすべく努めた。更に、日本での人脈を生かして、日韓関係正常化について目立たないが多様な活動を続けている。また、雨の日も風の日も街角に出て、地図を開いて場所を探している日本人の道案内役を買って出ている。日韓両国間の円滑な関係を進展させるには、民間レベルでの冷静で客観的な相互理解の積み重ねが欠かせないが、その意味で李さんの活動の持つ今日的意義は大きい。
 
 
受賞の言葉
 夫 李敏龍はこの度の表彰式典からの帰途大阪にて倒れ、手当ての甲斐なく74才の生涯を同地で閉じました。
 韓日両国のために多年尽くして参りました功績が認められ、栄えある表彰を頂いた喜びを胸に生を受けた国日本で他界いたしましたことが、せめてもの慰めでございます。
 生前の御厚情に心から感謝申し上げます。 (金 錦玉)
 
日韓オピニオンリーダー交流団の講師として訪日
 
カルチャースクールでの講演
 
高麗大学−民研究院を訪問した羽田孜元日本国首相を迎えて
 
韓国経済人グループの北海道視察を案内して
 
荒井 裕司(あらい ゆうじ)
(昭22.5.24生)東京都渋谷区
 
 不登校や、ひきこもりの子どもの家へ自ら出向く『夜の家庭訪問』を20年以上続けて1000人以上の子どもと関わり、東京国際学園高等部や「登校拒否の子どもの進路を考える会」を設立して社会復帰を援けるなど、不登校やひきこもりに苦しむ多くの親子を救ってきた。
推薦者:武藤 啓司
 
Mr. Yuji Arai (born May 24, 1947) Shibuya Ward, Tokyo
 
 Mr. Arai has helped many parents and children struggling with the problem of school phobia and withdrawal from society. For over 20 years, he has taken it upon himself to make "night-time home visits," in which he goes to the homes of children who are rejecting to go to school or who have withdrawn from society. Through these visits, he has come into contact with more than 1,000 children. He has also established the Tokyo Kokusai Gakuen and the Toko Kyohi no Kodomo no Shinro wo Kangaeru Kai (association for considering the paths of children who refuse to go to school) to help such children return to society.
Recommended by: Mr. Keiji Muto
 
 荒井さんの活動は、30年程前近所の子どもたちの勉強を夜間下宿で見ていた20代の頃に遡る。そこには、学校に居場所のない子ども達が次々と集まってきた。そんな子ども達のために赤字を覚悟で日中も塾を開いた。予想に反して更に多くの生徒が通ってくるようになった。子供達に何か大きな問題が起りつつあることを感じた。
 その後、高校再受験のための予備校、フリースクールを経て、92年に通信教育との連携で高校卒業資格が取得できる東京国際学園高等部を設立し、ひきこもりや、不登校の子どもたちを積極的に受け入れた。また、不登校などで悩む人たちへ参考情報を発信したいと考え、95年に『登校拒否の子どもの進路を考える会』を設立。講演会やセミナーを開催し、参加した医師や教師、カウンセラー等の協力を得てネットワークを拡げていった。そして、セミナー参加の医師等を通じて不登校の子どもを持つ親からの相談が徐々に来るようになっていった。
 しかし、ひきこもりや不登校の子は外出が出来ないため、学園に来ることが出来ない。相談には当人ではなく親がやって来る。当人が外に出られないなら自分が会いに行こう。これが20年以上続く夜の家庭訪問の始まりだった。試行錯誤を重ねながらの家庭訪問だった。子供のもとを初めて訪れる時がその後の問題解決の成否を左右すると分かった。荒井さんは、訪問時の第一印象を非常に大切にする。突然の訪問で不意を衝いて会ってしまうこともあれば、会えなくても無理強いせずドア越しに声を掛けて帰ってくることもある。どんな状況であろうと一人一人に向き合い、望まれればどこへでも出掛ける。こうして今まで1000人以上の子どもたちを救ってきた。荒井さんの取り組みは、学生が高い確率で社会へ適応してゆく東京国際学園の成果にも現れている。
 
 
受賞の言葉
 この度は多年にわたる功労という名誉な賞をいただき誠にありがとうございました。
 30年ほど前から不登校やひきこもりの子どもたちと関わってきました。子どもたちと信頼し合うことが問題の解決のポイントと感じ、家庭訪問を20年続けてきました。この仕事は私のライフワーク。これからも子どもたちの許に訪問を続けます。
 
 
校内で生徒たちと
 
作業中の生徒たちと


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