砂漠の民と森の民
それから砂漠の民と森の民という分け方もあります。これはもう皆ご存じのことでしょうが、砂漠に住んでいると天が見える、星が見える。だから星占いを信ずるようになる。天上には何かいるような気がする。神様はお前たちの髪の毛一本まで数えているぞと聖書に書いてありますが、そう言われればそんな気がするほど夜は満天の星空です。しかし、森に住んでいると、天なんて見えない。特に日本はしょっちゅう雨が降るし、山があるから、天という考えは日本人からは出てこない。
天は、中国から輸入したんですね。中国では天と地の間に人間がいる。「天地人」という考えは中国から入ってきたので、日本ではあまりそういうことは思いつかない。誰かが思いついてもあまり広がらない思想です。
森に住む人は、森の中ならではの考えが身に付く。これはアジアのジャングル地帯へ行ってみたときに思ったのですが、植物がものすごい勢いで伸びている。そこに動物の死骸があっても、一週間もすれば植物がみんな餌にして食べてしまう。表面を隠してしまう。だから死骸も何もない。植物のほうがよほど侵略的です。攻撃的です。動物のほうが弱々しく見える。
これは法則がありまして、同じ猿でも南のほうの猿は小さい。ひょろひょろで脂がついていない。北へ行くほど脂がつく。熊でも北極熊はでっかい。丸々としていないと寒さのために死んでしまう。脂がついていなければ寒いところでは生きていけない。同じ熊でも、マレー半島の熊はひょろひょろやせています。体も小さい。人間も同じです。
というふうに南へ行くと動物が弱々しいんです。そういうわけで、インドの森の中に住むと輪廻転生を信ずるであろうなと思います。要するに植物のほうが元気がいい。動物もお互いに食い合いしていますが、スケールが小さい。砂漠のほうへ行くと、これも動物は小さくて、その中間地帯にはライオンとかトラという強い動物がいて、弱肉強食です。
そういったことは宗教や思想に影響するでしょう。和辻哲郎は乾燥地帯と、日本のように年中モヤがかかる湿気の高いところという分類で書いています。まさに砂漠と森、乾燥地帯と雨が降るところという違いを立てて日本を見ると、確かに日本はかなり極端に「雨が降る」ほうの側である。だから反対の乾燥地帯のほうを見ると、アレッと思います。
こんな話を思いつきます。聖書の中に「我、山に向いて目を挙ぐ。我が助けはいづこより来るか」とあるのを、日本人は助けや救いが山の上から下りてくるのを待ち望んでいると思って読みます。
しかし、イスラエルの現地に行ってみると、山はハゲ山ばかりで、現地の人の考えでは、これは絶望状態を表す一文だそうです。助けはどこからもこないという意味だそうです。自然状態が人々の思想や宗教にも影響するという例になるかと思います。日本人は救いは必ずあると思い、また天地自然は人を救うと思いますが、砂漠の民にはそんな甘い考えはないのです。このへんが一神教と多神教の違いが生ずる所以(ゆえん)かもしれません。
それから次は歴史の長短です。日本は歴史が長い、他国は短い。これは世界史を習えば分かるのですが、日本人はあまり気にしませんね。自分と同じように世界各国も長いのだろうと、なんとなくそう思っている。
しかし、それは大間違いです。アメリカにヨーロッパからやってきたのはコロンブスが一四九二年。それから北のほうへ上がってきて、国を建てたのが二二〇年前のジョージ・ワシントン。それまではインディアンをやっつけて、ただ生きるために生きていただけで、アメリカの歴史はその程度の長さです。
まあ、アメリカについては誰でも短いと言いますが、ではフランスはと言ったら、フランスもたいして長くはない。あそこがフランスになってから何百年ぐらいしかたっていません。かつてシーザーがローマから攻め込んだときは、あの辺はガリア地方と言い、そこに住んでいたのはケルト人で、ケルト語を話していた。これを征服したときに書いたのが『ガリア戦記』ですが、そのとき一部の人は逃げてイギリスヘ行った。逃げないで残った人はローマに征服されて、ラテン語をしゃべるようになった。それからカソリック教徒になった。昔のケルト人のことはもう忘れてしまった。血には残っていますけれども。
それから何百年もたってから、セーヌ地方のセーヌ語をフランス語とするということにした。みんなこれを使え、小学校ではセーヌ語を教えろとなった。パリとかベルギーのほうで工業が発達しましたから、出稼ぎするとセーヌ語を使わなくてはいけない。というので、仕方なくセーヌ語を覚えたがそれが今のフランス語。逃げてイギリスヘ行った人はそのままケルト語を話していた。だから英語のもとはケルト語。
さらにフランス人が軍事力でイギリスを征服して、上の人はフランス語で政治をし、裁判をしていた。だからイギリスの支配階級はフランス語。今でもその名残が残っているのは料理の名称です。上の人が牛肉を食べようというとき、皿にのったらフランス語のビーフ。生きているときは英語のオックスとかカウ。豚は生きているときはピッグで、お皿にのるとポークになる。これは上の人が召し上がるわけですね。鶏も生きているときはヘンで、皿にのってごちそうになるとチキンになる。羊はシープとマトンです。というふうにごちそうになるとみんなフランス語になる。これはフランスからきた貴族がフランス語で食べていた名残ですね。
そういう名残があって、英語にはフランス語がたくさん入っている。ケルト語も入っている。それからノルマンディーのほうからも人が入っていますから、要するに混合物が英語です。
だから英語はいつできたかというと、だいたい四百年前ごろから英語らしくなってきた。それは聖書を英語に一生懸命翻訳して、広めたからみんながそう話すようになった。ただし最初に聖書を英語でつくった人は死刑です。そういうことをしてはいけないというわけですね。みんなが神様の教えを知ったら、教会は都合が悪い。という時代を経て、いま英語があり、イギリス人がある。あまり歴史が長いとは言えないわけです。
あるいはイラクはメソポタミア文明発祥の地で楔形の字があります。しかし学のある人は、我々の先祖が使っていたとは言いません。人類最初の文字の発明は楔形文字と言うが、それは場所であって、使っていた人間はもう全部入れ変わっている。あるいはエジプトでピラミッドをつくった人は、もうどうなったか分からない。今いる人はアラブ人ですから、エジプト文明の自慢をする資格がない。五千年前を自慢する資格がない、というふうに世界各地はなっていますが、その点日本はだいたい一万年前から同じ人が住んでいる。血も言語も続いている。そういう歴史の長い国です。
ここでやっている虎ノ門道場で、イスラエル大使のコーヘンという人が来て話をされたことがあります。コーヘンというのはユダヤ人で、神職の人の名前です。アブラハムから始まった名字がずっと続いているそうです。だからたくさんいる。そしてたくさん学者になっている。
そのコーヘンさんと食事をしたとき、「私はコーヘンという人を三、四人知っています」と話しました。学生のとき覚えたのは、コーヘンという人が日本へ来てB29による「戦略爆撃調査団レポート」というのをつくった。二二〇の都市を焼夷弾で焼いて、工場も見渡す限り残骸だらけになったのを、コーヘン調査団は全部調べて「工場は半分ぐらいしかやられていない、半分以上の能力は残っていた」とまとめた。それはなぜかというと、石油・石炭がなくて動いていなかったが、その動かない工場を一生懸命爆撃したんだというようなことが、その「戦略爆撃調査団レポート」に書いてありまして、その著者がコーヘンさんです。日本の戦後経済学の出発点はこのレポートで、もうありとあらゆる人が、これを使って「日本はこれだけの工業を持っていたが、戦争でこうなりました。そこから再出発して、ここまで来ました」という、工業発達史が最初に使う本です。
それから中国で法律づくりを指導した人もコーヘンさん。中国は「我々は法治国です、これだけ法律があります」と言うが、あれはだいたいニューヨークの弁護士のコーヘンさんが書いた法律です。ユダヤ人が書いたから、中国の法律とは言いがたいところが探せばあるでしょう。
というような話をしたら、「当然である」という返事でした。「コーヘンというのはユダヤ人の中では一番多い名字です。鈴木とか田中とか、そのくらい多い。これは名誉ある名字だからずっと伝わっている。このまえ遺伝子調査をして、世界中にいるコーヘンの遺伝子を調べたら、ちゃんと共通性があった」と言う。アブラハムから数えて六千年ぐらいたっても、ちゃんと遺伝子が続いているという。彼はそれに続けて、世界でこれだけ長いのは、天皇とコーヘンと二つしかない、と日本の顔を立ててくれた(笑)。
これはユダヤ人が血筋を守ってきたからですね。守らなかった民族は、その場所にその子孫はいないという状態になっています。歴史の長短、日本は長い、他は短いというあたりをもっと真剣に考えるべきだと思っています。
こういう歴史の長短からくる風俗、習慣、伝統、文化の違いが反映して、日本の思想とか、日本の精神があるわけですね。
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