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キャラクター創造力研究会 第7回(2005年11月24日)
鎌田東二氏「キャラクター神話民俗学事始め」
 
 キャラクター創造力という問題に迫っていく際に、私は神話学・宗教学・民俗学・文明論など学問領域からアプローチしていきたいと思います。今日は、1万年くらい前に日本海ができて、現在のような日本列島が成立してきたころから、キャラクターというものがどのように進化発展してきたのかを、私自身の直感と独断と偏見によって大つかみにして問題提起をし、皆さんからご批判を仰ぎたいと思います。
 
●呪術的な力をもっているキャラクタ―
 『東京キャラクターショー』が2005年7月に行われて、アニメ・コミック・ゲーム・ホビー・映画等から誕生した人気キャラクターが一堂に会して多彩なイベントを開催しました。それは今、マーケットとしても世界中に市場規模を広げている状況にあります。
 そういう中で数年前から「かわいい(KAWAII)」という言語が世界語になってきていると聞いています。僕は、「かわいい」という感覚価値要素の中には「面白い」とか「楽しい」という要素が含まれていると思っています。何かかわいく、面白く、楽しくなるもの。それが「KAWAII」という語を呼び出すのです。
 この「KAWAII」ウサギのキャラクターは、一週間前に鎌倉で行われた私の友人の結婚式の引き出物です。結婚式を挙げた52歳の男性、41歳の女性二人はともに再婚同士で、女性には9歳の女の子がいます。東慶寺という昔の駆け込み寺だった禅宗のお寺で結婚式を挙げた後、鎌倉パークホテルで披露宴が行われたのですが、そのときの引き出物にこのウサギのぬいぐるみが出て、僕はすごく気に入ったのでちょっと皆さんにそれにまつわる話をしたいと思います。
 このウサギのキャラクターには4色あります。白、ピンク、ブルー、茶色。それぞれの色には独自の意味があります。たとえば、白は健康運、ピンクは恋愛運、ブルーは成功運を示すとか。だから結婚している人にはピンク・ウサギは渡さない。年老いて健康に不安のある人には健康運を意味する白を渡す。そしてブルーは仕事がうまくいくようにと願っている人に渡すという、仕分けがあるようです。
 それ以上に僕がこのキャラクターを面白いと思ったのは次の事情があったからです。
 実は、その9歳の女の子が未来のお父さんに全然なつかなかった。だから3年ぐらい結婚を迷っていたらしい。子どもがなつかない状況では結婚はしたくないと思ったからです。女の子は新しくお父さんとなる人とは話もしない、電車に乗っても1人だけ離れて座る、未来のお父さんには近づかない。友人はほとほと困りはてましたが、これ以上結論を引き延ばすこともできないので結婚を決意し、ある時、このウサギ・キャラクターを作っている友だちのところへ行きました。
 そこへ行ってみると、女の子がこのキャラクターにたいへん関心を示しました。何でも好きなだけ持っていっていいよと言われたので、9歳の女の子のみなみちゃんは自分の気に入ったいろんな色のウサギ・キャラクターを持って帰ることにしました。ところが、帰りの電車の中で、気が付くと、未来のお父さんが真ん中で、両隣にお母さんとみなみちゃんが横に一緒に座っていたというのです。電車の中で3人が初めて並んで座ることができたのが、お父さんにとっては、ものすごくうれしかった。
 未来の父と娘の距離を一挙に近づけたのはこのウサギ・キャラクター以外には考えられません。二人の仲を取り持ったのは、ぬいぐるみのウサギ・キャラクターだったのです。
 その話を直接当事者から聞いて、キャラクターの力は、現代の魔術ないし呪術のような局面があるのではないかと思ったのです。そこで、呪術の観点からキャラクターの問題を考えて見るのは面白いのではないかと最近感じているのです。実は、「かわいい」という日本語に含まれると言った「面白い」「楽しい」という語には文字通り呪術的な要素が含まれているのです。
 太陽の神、アマテラスオオミカミ(天照大神)が岩戸に隠れたときに、アメノウズメノミコト(天鈿女命)が神がかり状態になって踊るという場面があります。その時に胸乳を露わにし、女陰(ほと)を露わにしたので、神々が大いに笑った。その笑い声を不審に思ったアマテラスオオミカミが外の様子を覗こうとした時、アメノタジカラオノミコト(天手力雄命)が力いっぱい岩戸の扉を押し開くと、再び日の光が戻り世界の秩序が甦ったという、有名な天の岩戸の場面が日本の神話にあります。
 『古語拾遺』という平安時代の文献によると、その時に、神の光がさーっと照った、つまりアマテラスオオミカミが岩戸から出てきたことによって光が出てきた。そして天が晴れたという意味で、「あはれ、天・晴れ」と神々が口々に言い囃した。その次に、その光を受けて顔の面が白くなる、それが輝いてああ面白いという意味で、「あなおもしろ」と言い合う。そして手が自然に伸びていって踊りを踊って楽しいという意味で、「あなたのし」。同時に笹がサヤサヤと「さやけ」、草葉も一緒になってスイングして「おけ」。と、このように神々が喜びの言葉を掛け合って一緒になって語り合った、という記述があります。「あはれ」、「あなおもしろ」、「あなたのし」、「あなさやけ」というのは、正に世界が真っ暗闇になって混とんとしてパニックの状態で、様々な災いが満ちあふれていた状態の中で、光が戻ってきた時に顔が白くなり手が自然に伸びて踊りが始まって、状況を切り替えていく、シフトしていくということなのです。
 これが神楽の起源になるわけですね。ですから、「面白い」「楽しい」には、いま言ったような神事・芸能や呪術につながっていく側面がありまして、それを後ほどキャラクターと関連付けてみたいと思います。
 
●縄文の偶像崇拝に見るキャラクター創造力の原型
 キャラクターというのはやはり大衆性や消費社会の中で、さまざまな形で消費され、増殖していくもので、船曳先生がご指摘している偶像崇拝というモーゼ以来厳禁してきた伝統を持っていると思います。そこで縄文時代の土偶を取り上げて、偶像崇拝とキャラクター創造力の関わりを仮定して見たいと思います。有名なハート型土偶がありますが、観察すると現代のさまざまなキャラクター商品や、更には現代芸術に結びつけられるようなデザインセンスがあります。非常に抽象的な現代芸術に近い感覚と、先程来問題としている「かわいい」感覚と、両方の要素を持っていると感じます。
 土偶は縄文人の信仰や祭儀に関わって制作されていますから、豊穣、増殖、生産への願いに深く関わっていると考えられます。特に股の下のところのカーブ、空洞みたいな丸い感じ、頭のところのハート型のカーブなんかは形として、とてもきれいでバランスが良く、かわいい感じで原寸30センチくらいですから、家の中のどこか、寝室の枕元や身近なところに飾って置きたい感じがします。ミミズク土偶なんかは、顔は大きく、頭は大きく、足は短く、丸々していて、そのままマンガやアニメのキャラクターに出てきそうですね。これは18センチですからちょっと手のひらに乗るというようなかわいいものですよね。ここのお腹のところの割れ目が女陰です。土偶というのは妊娠土偶だとかいろんなものがありまして大体女性を表しています。女性の陰部とか乳房が豊穣とか多産という生産力を表しています。
 有名な遮光器土偶は現代のさまざまなキャラクターのモデルを想像させますが、これは宇宙人だと言っている人たちもいるように、この造形のほんとうの意味は十分に解読されていません。考古学においても、縄文時代の図形研究は非常に遅れているので、一体この図形、図像、造形がどのようなシンボリズムを持っているのかという意味解析については詳しく分かっておりません。日本でもケルトでも、他の民族文化でも共通して渦巻き図形が大体胸の下とかお腹の辺にありまして、やはり生命力の発現を象徴的に表していると考えることができます。縄文後期のころの土偶には、乳房や豊満な腰や陰部の割れ目が造形されていて、妊婦土偶の形態がはっきり表現されております。まるで、アリスティッド・マイヨールという現代彫刻家の「地中海」という作品のような印象がありますね。こういう豊かな妊婦の土偶を見て縄文の人々はおそれを抱いたでしょうか、かわいいと思ったでしょうか。畏怖と親しみ・魅惑と両方を感じたのではないでしょうか。そしてやっぱり、何か可愛いらしいという感情を抱いたのではないのかなと想像します。
 こういう縄文土偶の造形は遮光器的な形態も多種多様であって、何百年、何千年にも渡っておりますから、何万体という土偶が作られてさまざまな形態を持ち、そのごく一部が考古学的発掘資料として我々の目に触れているのです。
 昭和61年に長野県の茅野市、尖石の棚畑遺跡から後に「縄文のビーナス」と呼ばれるようになる土偶が出土しました。紀元前2500年ごろの、三内丸山遺跡にも近い年代で、日本最古の国宝に指定されました。その腰つきは豊満な盛り上がった太ももと脚など、キャラクターとしては最高の感触を表しています。小さなかわいい乳房ですけれど、太陽のような豊満な腰つきとの絶妙のバランスというかアンバランスが何ともいえない初々しい感じをもっています。そしてお腹はちょっとふくらんでいるので妊娠しているのだろうと考えられます。それが切手という公共商品としてキャラクター流通しているのですね。例示したどの土偶も、共通の造形的特徴として、ある部分を強調したり、誇張したり、デフォルメが入っていて、アンバランスを感じさせます。それが、かわいさと、グロテスクの境目となっています。
 さてここで、ちょっと縄文の笛のレプリカを吹いてみます。大体セラミック製で、造形的には魚やフクロウやミミズク型をしています。縄文のような模様がついていて、穴が開いていて、かわいらしい音やお化けが出てくる時の音がでます。こういう土笛の中心にも筋目があって、女性の性器を模しているのです。それを筋目に向かって息をフッと吹いて音を鳴らします。こういうようなものを作った縄文人のセンスには、いつも感心させられますが、5000年とか、4000年前のものなんですけれども、いま私たちのマーケットの中に流通しているさまざまなキャラクター商品に非常に近いものを含んでいると思います。
 
●神楽とキャラクター
 牧野先生はマンガ家でもありますからご存知だと思いますが、永井豪さんの『凄ノ王』、美内すずえさんの『アマテラス』、星野之宣さんのアメノウズメノミコトを取り上げた『サルメの舞』というマンガを始めとして、神話のキャラクターを素材として描かれた作品はたくさんあります。ゲームやグッズといったいろいろな分野で商品化もされています。実は日本人は古来から、そういう神話のキャラクターを神楽として楽しんできたのです。だから私は神楽というのが1つのキャラクター化のプロセスの第一にあるものだととらえます。特にアメノウズメとかサルタヒコ(猿田彦)とかスサノヲというのは日本人が好んできた神話の中の英雄的存在として、人気キャラクターとなっています。それらの神々はもちろん神社に祭神としてまつられています。例えばスサノヲは私が住んでいる大宮の氷川神社、あるいは京都の八坂神社など、日本全国の実にたくさんのところに祭られています。スサノヲノミコトをおまつりする神社はおそらく全国で3万社以上あるんじゃないでしょうか。各地に勧請されて次第に増殖していったものだと思います。その祭りのキャラクターは例えばスサノヲならスサノヲでも、ちょっとずつ違っていて、サルタヒコにしても、アメノウズメにしても、各地で少しずつバリエーションを違えていて、多様に変化しています。先ほど少し話しました「あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ」という言葉が発せられた天の岩戸神話の場面を各地の神楽で異なった身振りや音曲や衣装で表現しています。
 たとえば、この映像は戸隠神社のバージョンですが、アマテラスオオミカミは岩戸の中から出てきます。この岩戸そのものは女陰や子宮を象徴しますので、その子宮の中から新たな生命が出生することを意味しています。アメノタヂカラオ(天手力雄)という力の神さまが、その岩戸をグッと大力で開いた。この開いた岩がスーッと空を戸隠まで飛んでいって、戸隠山になったとされています。そのアメノタヂカラオという怪力をもつ神さまを奥社(おくしゃ)にお祭りしているのが、戸隠神社です。ここでアメノウズメノミコトの神が、胸乳をあらわにし、女陰(ほと)をあらわにして踊ります。女性性器をあらわにして踊ったので神々がやんややんやと騒いでいます。
 ところで、全体をコーディネートしたのはアメノヤゴコロオモイカネ(天八意思兼命)の神といって、8つの心を兼ねる神さまだとされています。つまりプロデューサーやディレクター、当時の電通。神さまの世界にも電通はあったわけですね。みんなをとりまとめて祭りのプロデューサーをやっているのは、オモイカネという神で、たくさんの思いや意見を兼ねてそれを集めて総合するという神さまなのです。その神さまは戸隠神社の中社(ちゅうしゃ)にまつられています。そして戸隠神社の中に火之御子社(ひのみこしゃ)という摂社がありまして、そこにアメノウズメノミコトがまつられています。それで先ほど言いましたプロデューサーのオモイカネの神の、アメノヤゴコロオモイカネの神の息子、アメノウワハルノミコト(天表春命)という神が宝光社(ほうこうしゃ)という戸隠神社の摂社の一つにまつられています。こういうストーリーを戸隠では、いろいろな部分をとって絵解きしたりいろんなキャラクター作って、戸隠に伝わる神楽10曲にして伝承しています。これはその中の9番目のクライマックスで天の岩戸の場面ですね。
 サルタヒコに関する本を私はすでに4冊出しております。『謎のサルタヒコ』という本では、サルタヒコの神さまはたくさんの図像を持ち、庚申さんとか道祖神とかいろんなものになっていろんな神社にまつられていることを紹介しています。伊勢の二見が浦の興玉神社(おきたまじんじゃ)にも祭られています。興玉神社は沖のたましいをまつるという意味合いで、100メートルくらい先の沖に、サルタヒコの神が降臨してきたという神石があります。この石は海面よりも50センチぐらい没していて普段は海上には見えません。藻がそこからブワーッと出ていて巻き込まれてしまうので船は近づくことができません。
 その手前の海岸沿いに巨岩の男岩と女岩があって、そこにしめ縄を張り、年に2回しめ縄を張り替え、ここから出てくる朝日を拝みます。夏至の日には男岩と女岩の間から太陽がさし昇っていくのが見えて、かつその太陽は富士山の真上のところからさし昇ってくる様子を見ることができます。ここにサルタヒコの神さまが祭られています。いまは本殿がありますが、昔は社殿なき神社で海の方を遥拝していました。
 『サルタヒコの旅』という本では、巻頭論文を文化人類学者のレヴィ・ストロースさんに書いていただきました。サルタヒコは道祖神、庚申さんとか、いろいろな形で習合して、ウズメとのペアで表現されている場合もありますし、男根と女陰という形の陰陽石で表現されているものも全国各地にあります。ちょうどペニスの亀頭の下のところにしめ縄を通しで張って、これを豊穣祈願として人々がやってきているわけですね。このようなものは縄文時代からずっとあるので、縄文の遺跡、神社遺跡からこういう男根の石棒、陽石や、女陰を象る陰石がたくさん出土しています。
 石見神楽は出雲地方の代表的な神楽なので、スサノヲとオオクニヌシ(大国主)の話が中心となります。スサノヲの話ではヤマタノオロチ(八岐大蛇)退治が一番よく知られているわけですが、石見神楽ではヤマタノオロチの造形をキャラクター化して観光資源にしています。どんどん観光が盛んになるにつれて大仕掛けなものになって、いまは電飾で、電球を入れてパッパッと花火のようなものが出たり、目がチカチカしたりするような非常に派手なヤマタノオロチを開発しています。8つの頭と8つの尾が出てくるわけで、その真ん中にスサノヲノミコトが刀を振りかざして退治をしているところから、アメノムラクモノツルギ(天叢雲剣)、後にクサナギノツルギ(草薙剣)といわれる神剣を取り出して、神楽キャラクターグッズとして売り出されています。石見神楽では、ヤマタノオロチの八頭のいろいろなパターンを造形して商品化しています。
 先ほど触れた星野之宣さんの『サルメの舞』について補足します。フリーのジャーナリスト忌部神奈(いんべかな)という女性を主人公として、『神奈火』という単行本の第5話に『サルメの舞』が描かれています。これはアメノウズメノミコトを現代のマンガの中に取り込んだものですが、サルタヒコについて従来にない具体性をもって描写していることに驚いています。というのは、サルタヒコは神話の中では鼻の長さが七咫(あた)とか、目が八咫鏡(やたのかがみ)のようにらんらんと輝いているとか、はっきりと具体的に記されています。そのサルタヒコのイメージをどう造形したかというと、彼は目と鼻を巨大に細長い昆虫風に表現したわけですね。


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