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施設改善
 昭和三十九年、収容能力の限界が漸く表面化をはじめた年である。丁度博多港改修計画に基づく臨港鉄道が、レース場の西端、競技部門と事務所の附近を通る事になり、併せて移転、改築の具体的検討に入った。
 昭和四十年、開設以来、最大の転かん期といえる。用地取得、スタンド建設に総計八億円近い巨費を投入する事になり、附近の官民有地を総経費の半額をかけて買収、臨港鉄道引き込みに伴う減少分との差引計算で、余り広くはならなかったが、国有地の交換取得と敷地内にあった海上保安部官舎の移転を半年足らずで片付け、当事者の海上保安庁や北九州財務局から全く異例な事だと、あきれられたり感心されたりの一幕もあった。
 種を明せば、老巧化していた官舎を建て替えて戸数を増し、海上保安部の便宜を考えただけの事であるが、国の方も非常に協力してくれたし、ただ、これには又しても地元出身大臣!中村運輸大臣の完全なバックアップがあった。よくよく福岡競艇は運が良いと思う。
 隣接の福岡製氷も買収、開設以来の砕氷塔、もっとも此の頃では殆ど動いてはいなかったが、これが除去された。ここまでを年内一杯に終了。
 昭和四十一年一月から建築工事に着手。全面窓口、完全エアコンの投票所を備えたスタンドを完成。コーヒー、お絞りつき三百円の特別観覧席五百六十席も併設して、七月、こけら落としにモーターボート記念競走を開催、新スタンドは非常に好評を受け、折からの泰平ムードと空前の経済好況を反映し、売上は驚異的な急カーブを画き、再び上昇を始めた。
 
昭和41年7月に完成した新スタンド。全面窓口、完全エアコンの投票所が併設されている
 
イメージチェンジ
 昭和四十二年五月、どんたくシリーズで一日売上一億円を突破、以後一億円がべースとなった。又、改善を機に再び積極策を取り、毎月一節特選レースを開催、変化を与えて観客の好みに応えると共に、今回の積極策は若干行き方を変え、競艇事業そのもののPR、いいかえればイメージアップを図る事にしたのである。新聞広告に、正面きって競艇事業の有用性と娯楽性を訴え、機会ある毎に、これを繰り返した。更に年に一回、謝恩レースを行ない、目的レースと称して直接緊急な事業に収益金を投入して見た。第一回目は、玄界の孤島玄界島に通電施設をつけ、第二回、第三回目は学童交通安全のためガードレールを作り、交通教材に信号機セットを纒めて贈った。第四回目は成人病対策に癌検診車を寄贈、むしろ当然の事をしたと考えるべき事と思うが、非常に効果を挙げている。
客層の変化
 これと合わせ、観客層の向上というか、レベルアップも積極的に推進し、客層の開拓を図った事も改善後の新しい運営方針の一つとして考えられる。
 先ず、従来になかった新しい若年有閑層に的を絞ったのであるが、約二年間で完全に切替えに成功、場内に若いホワイトカラー、アベック、家族連れが多いのも、現在の福岡の特色といえるのではなかろうか。
 だが、今後の行き方としては、長期的展望に立った庶民の息抜きの場所、明朗な娯楽の施設としての運営を特に心掛けるべきであると思う。公営競技は庶民の娯楽として定着したようである。業界における大レース場としての責務もある。十六年の歴史を糧として、更により高き理念を求め事業の発展のために努力を続けて行きたいと思う。
 
福岡競艇発売額等調書
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競艇事業益金の使途明細
(拡大画面:75KB)


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