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競艇沿革史

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


住之江興業株式会社
一 会社設立の動機
 昭和二十六年六月十八日、モーターボート競走法公布直後の同年九月二十一日、社団法人大阪府モーターボート競走会が認可された。モーターボート競走法制定の推進力であった笹川良一氏と親交のあった瀧脇宏光氏(故人・当社初代会長)は、かねてじっ懇の南海電気鉄道株式会社(南海電鉄)社長小原英一氏(故人)を訪ねて、競艇場の建設方を進言した。当時、南海電鉄は、在阪大手私鉄中最大の戦災を被り、輸送復興に腐心しつつあったが、後年南海汽船による四国航路開設を実現しただけあって、競走法の立法趣旨である海事思想の普及は、最も共鳴するところであり、同時に地方財政に寄与するという名分とともに、同社は、競艇施設会社の設立を企図することとなった。
 
二 準備の概況
 かくて、昭和二十六年暮れには、南海電鉄本社内に創立事務所が設置され、翌年二月十四日には第一回発起人総会が開催された。
 発起人は、次の十二氏であった。
伊藤武雄、飯田慶三、石原重太郎、池田徳蔵、小原英一、小田原大造、吉野孝一、田中俊逸、吉田卯之吉、瀧脇宏光、松原与三松、北沢敬二郎
(順序不同)
 創立業務は、円滑に進行して、昭和二十七年五月十五日大阪競艇施設株式会社として設立登記を完了。六月五日には、大阪府南河内郡狭山町字半田狭山池池畔に大阪競艇場建設の起工式を挙行、翌六日より建設に着手した。当初における資本金は三、〇〇〇万円、株式数六万株で、初代役員並びに相談役・顧問は次の諸氏であった。
取締役会長  瀧脇 宏光(後日代表権設定)
取締役社長(代表)吉田卯之吉
専務取締役(代表)廣川 龍雄
常務取締役  藤村 重夫
取締役  伊藤 武雄
 同   小田原大造
 同   松原与三松
 同   植田 俊一
監査役  中村 利孝
 同   田中 俊逸
相談役  小原 英一
 同   吉野 孝一
 同   北沢敬二郎
顧問   石原重太郎
 同   池田 徳蔵
 
三 競艇場選定の経緯(1)
 当社の競艇場は、後述のとおり、会社創立以後約四ヵ年間は、狭山池を利用した狭山時代と、昭和三十一年六月十九日以降の現住之江時代に分けて記述せねばならないので本項においては、狭山競艇場について回顧する。狭山池は垂仁天皇が御子印色入日子命(いにしきのいりひこのみこと)に造成を命じられたと伝えられる極めて古い潅漑用池で、水面の広さ五〇万m2もあり、大阪府下有数の大きさがあり、池畔の風趣も極めて優れている。特に、東岸地区は旧狭山藩主北條家の下屋敷で、一帯は俗称、明神山と呼ばれ、開こんの祖神を祀る式内堤神社(現在金剛駅西方狭山神社境内にあり)の遺址でもある。
 この土地は、昭和の初め子爵北條氏の好意により南海電鉄に割譲され、同社は、昭和十三年五月一日、さやま遊園として開園したものであった。
 戦後、同社は遊園復活を企図し、数百万円を投じて工を起し、遊園地としての形態を整えつつあったが、ここを候補地とすることに同社も同意し、同地の貸借について契約を締結した。
 一方、地元狭山町は、町長田中俊逸氏、助役林部光伸氏以下競艇場の開設に賛同され、特に田中俊逸氏は、発起人に列し、会社設立後は監査役に就任し、さやま時代を通じ尽すいされるところ大であった。
 また、使用水面については、昭和二十七年七月二十八日狭山池土地改良区より使用の許可を得、同年九月一日には大阪府都市競艇組合との間に競走場使用契約の締結を了した。かくて、昭和二十七年六月六日着工以来、工事は着々進捗して、同年九月四日には、めでたく竣工し、翌五日大阪府都市競艇組合(管理者・堺市)主催による初の第一回レースを開催するに至った。
 
四 競艇場選定の経緯(2)
 狭山競艇場は、諸種の対策樹立にもかかわらず、業績の不振を打開できなかったので、ついに地の利の良い新競艇場を取得(移転)する以外に方途なしとして、昭和二十八年十月頃より、当時の社長吉田卯之吉氏(故人)以下全力を尽して新競艇場候補地の物色に腐心した。
 求めるところ、北は十三、神崎川、寝屋川沿岸地区より南は大和川河口付近や堺市の三宝海岸まで、大阪府下全域にわたって懸命の探求が続けられた。
 しかしながら、いずれも候補地として理想の線に程遠く関係者は徒らに疲労困ぱいするに止まり、全く窮地に追い込まれた心境にならざるを得なかった。
 そんな時であった。吉田社長一行が、大阪市の南西、大和川河口付近実査の帰途、たまたま住吉区南加賀屋町に差しかかった際、付近一帯の低湿地に着目し、帰社後検討を加えたところ、現場付近は塵芥捨場及び沼地と湿地帯が広く連なり、周辺には朝鮮人部落も散在していて、地勢・環境共に良好ではなかったが、大阪府立住之江公園(昭和五年十月十八日竣工の運動公園、面積六万六、〇〇〇m2)に隣接し、当時そこに住之江競輪場(昭和三十九年五月廃止)があり、また、大阪市電停留所及び市バス停留所も至近距離にあり、南海電鉄住吉公園駅よりは約一・五kmの距離にあって立地条件はむしろ良好であったので、ここを候補地に選定することとなり、昭和二十九年二月初旬より土地獲得のための交渉を開始した。
 この土地は、付近一帯の大地主浜田史郎氏の所有するところであったが、地主には当時、賃貸や売却の意思がなかったため、交渉は進展せず、関係者は用地選定の労苦に引き続き、更に困難な問題に逢着したのであった。
 しかし、それに屈せず地主と知友であった府会議員小西重太郎氏に斡旋を依頼するなどして、ついに地主を説得。条件としては、南海電鉄を相手としてならということであったので、同電鉄の好意により又借りの形式をとって、用地入手に成功することが出来たのであった。
 かくて、昭和三十年十一月九日付で、狭山より移設建築の認可を得、関係者一同は、新しい期待に胸をふくらませたのであった。
 さて、工事請負ということになると、予想外に請け手のないことがわかった。
 そこで、こんどは施工業者探しに、一苦労も二苦労もしたのち、ついに、故小西寅松代議士の親友であった西川組の故西川万太郎氏が請負うことに落着き、付帯工事もまた日電商会他八社が施工することとなり、昭和三十一年一月六日住之江移設工事の起工式を挙行するに至った。
 しかし、新しい希望に満ちためでたい起工式も、形ばかりの極めて質素なもので、いまにして思えば、実に感慨無量のものがある。翌七日より建設工事を開始したのであったが、もともとの低湿地であったうえ、塵芥の堆積した土質のため予想外の難工事となり、工事の進行につれて近年にない大型雨期に入って、工事は困難を極めた。
 そのため、半歳にわたって難工事、突貫工事を続けた末ようやく同年六月十九日竣工式を挙行、大阪府都市競艇組合主催の下に、住之江競艇場移設第一回の初レースを華々しく幕あけしたのであった。
 なお、本競艇場は、住吉公園西方十三間堀川より分流する住吉川(もと入江)南岸にあり、東側は、住之江公園とそれに隣接する大阪護国神社(昭和十五年五月四日鎮座)に相対しているが、付近一帯は、南加賀屋町と称し、いまを去る二二〇余年前、桜井甚兵衛氏が新田の造成を始め、子孫四代にわたり約一〇〇年間に一〇五町余(一万〇四四五アール余)を開こんして、蘆荻(ろてき)におおわれた海辺の地を良土と化したもので、氏の屋号加賀屋をとって加賀屋新田と称し、明治四十三年に至って南加賀屋と改称されたもので、先人が苦闘開発した由緒深い土地であり、ここを再起の地と卜し、繁栄を招来せんとしたことは、まことに意義深いことであったというべきであろう。
 
五 発足及び経過過程
(1)会社概要
 昭和二十七年五月十五日、大阪競艇施設株式会社の商号にて設立した。概要次のとおり。
本社所在地 大阪市南区難波新地六番町十二番地
資本金 授権資本 一億円
払込資本 三千万円
発行株式数 六万株
営業所 大阪府南河内郡狭山町大字半田 狭山遊園場
主な競艇場施設
狭山遊園地(約五万六五〇二m2)を南海電鉄より借受け、これに次の施設を行なった(食堂・売店・貸ボートの直営を行なう)
(1)地上施設
主要建物
観覧席 建坪 六八四m2七五
鉄筋コンクリート造二階建、二五階段、階下に特別室、審判室、払戻室
投票券発売所 建坪 八二五m2〇〇
木造平家建一部二階
出札口一六〇
付属建物(各木造平家建)
選手控室 建坪 二三七m2六〇
艇庫    〃 四六二m2〇〇
短艇検査所 〃  九九m2〇〇
食堂・売店 〃 一六一m2七〇
(2)水面施設
時計台  二ヵ所
浮桟橋  二ヵ所
固定桟橋 一ヵ所
(3)収容能力
観覧席 三、〇〇〇人
立見席 七、〇〇〇人
計  一〇、〇〇〇人
 
狭山時代業務組織略図
(昭和28・7・1現在)
(施行業務代行当初従業員総数 四九名)
(注)
1 本社総務・経理課長は、施行業務代行の部署責任者を兼ねる。
2 昭和二十九・十一・十一、箕面豊川競艇組合参加により事務局において両施行者の代行事務を取り扱う。
3 事務局局員は専従者を以って構成する。


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