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お台場の海はどんな海?
〜カブトガニをものさしにして〜
日野明日香・福島朋彦
 海の“きれい”または“きたない”はどのように判断すれば良いのでしょうか?
 
 私たち大人は“経験”という便利なものさしを持っています。だから、知らず知らずのうちに目の前の海を“きれい”とか“汚れている”とか、何らかの評価ができるのだと思います。例えば、故郷の海辺と比べて・・・、または、新婚旅行で訪れたハワイより・・・とするなどです。
 
 しかし、経験も少なく、人生の歴史も浅い子どもたちの場合、評価するための確固たる基準も存在しませんので、対象物をぼんやりと眺めてしまいがちです。もちろん、このようにぼんやり眺めることを繰り返して“経験”という“ものさし”が醸成される訳ですが・・・。しかしながら、現在のように情報過多の時代に育つ子供たちには、自分自身で“ものさし”をつくるまえに、テレビやインターネットから、お仕着せの基準が与えられることも少なくないように思えます。
 
 何も疑うことなく“東京湾は汚くて沖縄のサンゴ礁はきれい”だとか、“生物多様性が高い場所は良い環境”など、テレビや大人の言葉を鵜呑みにしてしまう子どもたち、ちょっと痛々しい気がします(拙文 東京の青い空 28号参照)。
 
 前置きが長くなりましたが、今回のフィールド研修では、“カブトガニ”というちょっと変わった生き物の生息環境を基準にして、お台場の海を眺めて見たいと思います。カブトガニだったら、お台場の海をどう感じるのでしょうか。
 
カブトガニとは
 カブトガニは生きている化石として有名ですが、2億年前からほぼ形を変えずに生きながらえてきた種のひとつです。他の生物が環境によりよく適用しようとして変化する一方で、カブトガニはずっと同じ形で生き延びてきました。そんなカブトガニは時代に取り残されたかわいそうな生物なのでしょうか?2億年も形を変えずに生き延びてきたということは、もう進化するところがないくらい環境に適応した最先端のベストモデルかもしれません。
 
化石のカブトガニ
(西条市HPより)
 
現在のカブトガニ(子供)
(成体の大きさはどのくらいでしょう?)
 
 カブトガニ類は東南アジア沿岸に広く分布しています。日本はその北限で、九州北部沿岸と瀬戸内海沿岸で見ることができます。近年、国内の生息数は減少傾向にあり、水産庁のレッドデータブックでは絶滅危惧種に指定されました。
 生息数が減少した最大の原因は、高度経済成長期の海洋汚染や干拓・埋め立てなどによって生息環境が悪化したことです。ということは、今でもカブトガニがすんでいる海は、「良好な自然が残されている海」と評価することができるでしょう。カブトガニは地域の環境を評価するための「指標生物」にも使えるのです。
 
溶存酸素とカブトガニ
 溶存酸素とは、水の中に溶けている酸素のことです。酸素をつくるのは、海であれば海藻や植物プランクトン、陸であれば木や草などの光合成生物です。一方、消費するのは、光合成生物を含めて、地球上の大部分の生き物たちです。
 沿岸域の場合、時として、バクテリアによる酸素消費が無酸素水をつくる原因になります。つまり、過剰な有機物があると、過剰にバクテリアが繁殖し、その結果、著しい酸素消費が起こるからです。東京湾でよく見られる青潮とは、沖合いの海底に溜まっていた無酸素水が何かの拍子で沿岸に流れてきたものを言います。
 
 時々青潮が発生するような東京湾は、カブトガニにとってどんな環境と言えるでしょうか?特に産卵に適しているかどうかに着目して評価してみたいと思います。
 
 カブトガニが産卵するのは7月から9月の大潮の満潮時です。メスの後ろにオスが連なって波打ち際にやってきます。波打ち際で月明かりをあびて産卵する様子は昔話に出てきそうな光景です。
 産卵に適した溶存酸素量はおよそ5〜9mg/lだといわれています。溶存酸素量が3mg/lだったときには、産卵に来た力ブトガニがそのまま帰っていったという記録もあります。今日のお台場では安心して産卵できそうでしょうか?
 
産卵中のカブトガニのペア。前がメスで後ろがオスです。
 
塩分濃度とカブトガニ
 海水中には、塩素(Cl-)、ナトリウム(Na+)硫酸(SO42-)、マグネシウム(Mg2+)、カルシウム(Ca2+)、カリウム(K+)などの塩分が含まれます。
 塩分は外洋であれば34psuほどです。雨の量によって濃度が低くなることもありますが、沿岸域と比べて安定しています。沿岸域の場合は、雨の量もそうですが、なんと言っても河川の流入量が塩分濃度を規定しています。
 
 カブトガニの好む塩分濃度はどれほどなのでしょうか?
 
 カブトガニは幅広い塩分濃度に適応できます。例えば24時間蒸留水につけた卵も、再び海水に戻すと正常に孵します。ただし、ずっと淡水につけていては正常に孵化しないようです。実験では、卵が正常に育つ塩分濃度は15〜35psuであり、濃度が高いほど孵化率がよいことがわかっています。産卵地の塩分濃度は潮の満ち引きによって10〜30psuと変化しますので、短時間の変化には強い仕組みになっているのだと考えられます。今日のお台場の塩分濃度はカブトガニにとって甘めでしょうか、辛めでしょうか?
 
***カブトガニの目はどこに?***
出典:カブトガニの棲む干潟(大分県)
 
海の汚れとカブトガニ
 栄養塩とは、生命を維持するために必要な塩類のことで、窒素、燐(リン)、ナトリウムや微量元素などのことです。“栄養”と名がつくだけあって、植物プランクトンの増殖には必要不可欠です。植物プランクトンが豊富な海域であれば、それを食べる魚もたくさん養うことが可能ですので、栄養塩が豊富な親潮からはたくさんの水産物が得られます。これに対して栄養塩の少ない黒潮は、漂っている生物が少ない分、光の反射も少ないので、黒っぽくみえます。
 
 外洋域では栄養塩が多いことは、生物を養う意味で申し分ないのですが、閉鎖性の海湾などのでは少し事情が異なります。過ぎたるは及ばざるが如し、です。栄養塩の供給が多すぎる場所では植物プランクトンが異常増殖した状態、つまり赤潮を引き起こす原因になります。赤潮によって増殖した植物プランクトンが海底に沈むと、バクテリアに分解されますが、その時に大量の酸素を消費し、無酸素・貧酸素水を作ることになります。つまり栄養塩の多すぎるのは汚れた海と言うことになります。
 
 海には汚染に強い生き物や弱い生き物が生息しますが、カブトガニはどんな海を好むのでしょう?
 
 成体のカブトガニは生命力が非常に強いことが知られています。例えば陸上に上げて餌をやらなくも1ヶ月近く生きていたという報告もあるほどです。しかし卵は重金属汚染や富栄養化に影響を受けやすく、水の交換率が悪い環境では変色したり発生異常が起こります。
 カブトガニは一時的な海の汚染には生き延びられますが、富栄養化や重金属汚染が長く続くと子供が育たないため、絶滅してしまうと考えられます。
 
カブトガニの生きる環境
 カブトガニは生息するために海のいろいろな場所を必要とします。まず、産卵には河口に近い砂浜が必要です。高さは大潮の満潮時に水がかぶるくらいのところが好まれます。卵は15センチくらい掘った穴の中に産みますが、一箇所にたくさん生むのではなく、少しずつ場所を変えながら何箇所にも分けて産卵します。狭い砂浜だと他のカップルが生んだ卵を掘り返してしまい、せっかくの卵が海に流されることもあります。つまり、適当な高さと広さのある砂浜が必要なのです。
 
 砂浜で孵化した子供は、大潮の満潮時に砂の中から泳ぎ出て、干潟へとたどり着きます。3〜4年を干潟で過ごすと、もう少し深い場所へと生息場所を移します。そして孵化から10数年後にやっと卵が産める成体になると考えられています。
 このことからは何がわかるでしょうか?まず、産卵地の近くに、子供が育つための干潟が必要なことがわかります。つまり、砂浜と干潟が連続している環境が必要なのです。そして干潟の先の海底の環境もえさが取れたり呼吸ができるような状態でないといけませんね。
 
 お台場の海はどうでしょうか?お台場には歩きやすい砂浜がありますが、孵化した子供が泳ぎ着けそうなところに干潟はありませんね。また、砂浜の形もお台場は凹型ですが、多くの産卵地は凸型です。砂浜の形は川と海の水の流れに影響を受けて決まります。近くに干潟がなく、凹型の砂浜しかないお台場は残念ながらカブトガニの好みではなさそうです。
 
カブトガニ好みの砂浜(広島)


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