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うらやましいつがね コラム
津金の子どもたち
伊勢華子
いせ・はなこ
東京都生まれ。「人ハ美シ」をテーマとしたプロジェクト『WORLDING』を中心に文筆業を勤しむ。著書に、世界各地の子どもが自分の宝物や心の世界地図を描いた絵本『「たからもの」って何ですか』『ひとつのせかいちず』。詩集『みみをすませば』。この他『Kinki Kids』への作詞提供。NHK『視点・論点』出演等。現在、日本の素顔に触れるべく離島を東へ西へ。www.isehanaco.jp
 
 みんなが一番大切にしているものは何だろう。そんなことを思い立ち、画用紙とペンを片手に世界をめぐり、各地の子どもに自分の宝物を描いてもらっていたことがある。そうして集めた絵は三年の歳月を経てめでたく一冊の絵本となり、同時に、私は再び日本を飛び出し世界をめぐり、描いてくれた子どものもとへ届けにでかけた。
 帰国してからのここ数年、日本の子どもにも、自分の宝物を大切にしてほしい。となりの席、となりの国にいる子にも同じように大切なものがあることを知ってもらいたい、という思いから「旅するスクール」というものを開校している。縄文杉でも名高い屋久島、清らかな水をたたえる大垣。日本各地で開校する一日学校であるけれど、開校地に共通しているのは、昔ながらの美しい暮らしを今も譲らずにいることだ。
 その記念すべき第1回が、津金だった。東京から車を走らせること、約2時間。晴れた日はそそり立つ南アルプスと八ヶ岳が望め、雨の日は穏やかな坂道にたたずむ茅葺屋根が優しい。そんな津金を始めて訪れたのは春のこと。農家の昼食に招かれると、そこには朝採ってきたばかりの山菜をはじめとする山の幸が、処狭しと並んでいた。このためにどれだけの気持ちを重ねてくれたのか。ありがたく囲んだ食卓は忘れられない。
 開校にあたり拝借した教室は、津金のシンボル・旧津金学校。明治・大正・昭和、各々の時代に子どもが増える度、建てられた三代校舎が仲良く並んでいる。小さな机や椅子、黒板、オルガンが、当時のままの面影を残し、歴史的にも建築的にも興味深い。
 『おはよう』。林檎の収穫祭に合わせた開校当日、子どもが集まる。1時間目は『お絵描き』、2時間目は『おやつ作り』、3時間目は『世界の子どもの宝物』。昔ながらのチャイムを合図に好きな席に座ってもらい、画用紙とペンを配る。「一番大切なもの、宝物を描いて下さい」。そういった途端、窓の外を眺める子、鼻唄まじりに好きな色のペンを手にする子、いろんな子がいて健やかである。そのなかのひとり、ユウ君(4歳)はうつむくばかり。さりげなく横に腰をおろすと、一層もじもじしてしまう。「一緒に描いてみようか」。そういって、彼が好きだというオレンジのペンをふたりで握る。そっと私は触れるだけ、ちゃんとひとりで描けている。ユウ君の宝物は、好物の『みかん』だ。
 生まれた場所、育った環境、性格や興味によって、描きはじめられるまでの時間はいろいろである。エリトリアの難民キャンプでは、カラフルなペンを目前に興奮してしまう子もいたし、キューバでは、お父さんに開口一番「うちの子は絵が下手だから」といわれ恐縮して描きだせない子もいた。中国では、「マネー」と元気に画用紙に向かったものの母親にひっぱたかれ、「宝物は家族」と描き直した子もいた。ただいずれにしてもいえるのは、宝物を描けない子はいないということだった。
 一時間ほどかけユウ君の『みかん』も完成し、2時間目のおやつ作りへ。農家でわけてもらったもぎたて林檎でパイ作り。津金の林檎は、蜜がぎゅんとつまった日本が誇れるものだ(流通にのるほどの収穫量がないため、知られる機会は少ない)。笑い声に振り向くと、さっきまで表情を変えることのなかったユウ君が先頭をきってパイ生地の型抜きをしている。好きなことに出逢うきっかけは、いろいろあるようだ。
 自分達の描いた宝物を眺めながら味わう、甘酸っぱい林檎パイは格別だった。「絵なんて嫌い」と前席の子にいたずらばかりしていたショウ君(10歳)は、「本当は宝物があるよ」と最後の最後で一気に描きあげた。「これは何?」というみんなの質問に、小さな声で「あるもの」と答えたエリカちゃん(4歳)は、この日はじめてはにかんで、神秘的な模様を披露してくれた。
 こうして授業は3時間目へと流れ、『世界の子どもの宝物』の絵を紙芝居のように眺める。アニメやマンガが豊かなアジアでは、アニメの主人公のように人や動物の目が大きくキラキラしていた。緑茂るアフリカでは、花や太陽を描く子が多かった。ここで忘れたくないことは、細かな違いはあるけれど、世界の子ども、日本の子ども、津金の子ども、その根は変わらない。真っ直ぐだということだ。
 いつか大きくなって、子ども達は生まれ育った地をでて行くこともあるだろう。この子達のなかにも津金をでて行く子もいるかもしれない。都会に憧れる子もいるかもしれない。ただ、ここ津金はいつでも帰れる場であり、自分のことを待っていてくれる人がいることを、ふとしたとき、困難にぶつかったとき、思いだしてもらえたらなと思う。
 
 
津金歩いてスケッチ
南 雄三
みなみ・ゆうぞう
東京生まれ。木造住宅の断熱・気密化技術及びエコハウスのアドバイザーまた住宅産業全般のジャーナリスト。新宿にある自宅は大正の古住宅を再生し、屋根緑化や蛍の居るビオトープ等を試み、都心の共生住宅として新名所?になっている。若い頃、世界50カ国を放浪した貴重な経験をもつが、現在も建築を見に世界を歩き続けている。
 
 津金の楽しみといえばまずは散歩。
 なんどもなんども学生達と散歩した。スタートはもちろん三代校舎から、下津金を下って、上津金を上っていく。そして棚田開発地を歩いて元に戻れば、もうすっかり津金が好きになっている。
 津金の楽しみの二つ目はスケッチだ。
 なんどもなんども学生達とスケッチした。スケッチポイントは幾つもある。まずは明治校舎。そしてグランドの桜。外に出たら小さな地蔵が隠れている。その辺から津金の集落が下にみえる。郵便局の屋根に郵便マークが描いてある。下津金では道祖神と鏝絵が待っている。
 上津金に向かうと火の見櫓があって、その辺で見上げる明治校舎は風格あり。スケッチされるので一番人気は酒屋さん。映画の撮影に使われるだけのことはある。そこから脇道に入ると渋いお寺、豪邸、そして、お月様を描いた鏝絵がある。
 散歩して、スケッチして3〜4時間。スケッチとは見ること。見るから発見する。スケッチするたびに新しい津金がみえてくる。津金の空気を吸い、津金の緑に染められる。そんな気持ちでスケッチマップをつくった。
 えっ!雨が降ったらどうするかって?
 雨が降らないようにと祈れば必ず青い空。津金は山梨、いつも明るく晴れている。願わくばポイントに小さなベンチが欲しい。一つでいいからトイレがあれば嬉しい。湧き水があって冷たい水が飲みたい。
 それくらいなら津金の素敵は変わらない。
 
画 南 雄三
 
津金の風景
大山 勲
おおやま・いさお
山梨大学医学工学総合研究部
社会システム工学系 土木環境工学科 助教授
土木環境システム(景観工学、地域計画)が専門。2004年度から、NPO文化資源活用協会と協働で津金地区での空き家対策に関する学術調査や古民家再生イベントなどを開催。市民協働型の景観デザイン、まちつくりなど、学生と共に現場を重視する。現在、市川大門など山梨県内各地の景観つくりに係る。
 
 つがねの風景には人々を惹きつけ感動させる何かがあります。私は、その何かは「風景の本物性」にあると考えています。風景はそこに暮らす人々の暮らし方(生活そのもの・生き方)が現れたものです。暮らし方が、「その場所の自然(地形や川や植物など)に溶け込み」「先祖から子孫に繋がる「歴史の積み重ね」の上に成り立つ」とき、「本物の風景」が生まれるのだと思います。
 この風景は有名デザイナーであっても作ることはできません。「作られる」のではなく、必然的に「なる」風景と言ってもよいかもしれません。必然ということは、つまり当たり前なので、そこに暮らす人々はその価値に気が付かないことが多く、大規模開発など急な環境変化によって風景が失われたときはじめて気がつくことが多いのです。都会やその郊外に暮らす多く人々は、短期的な金儲けや一部の便利さだけを追求する暮らし方が生みだす風景に囲まれています。そのため、より敏感に、つがねの風景に魅力を感じるのでしょう。
 今、つがねは、人口減少と高齢化によって、暮らしそのものが失われる急激な変化の中にあります。外に出て行った家族が帰ってきてくれることが理想ですが、それが困難であれば、外からの人を受け入れることが必要になります。そのとき、つがねの本物の風景に感動し共感し共に育ててくれる仲間を見つけてほしいと思います。暮らし方はこれからも時代とともに変化していくでしょう。その変化が、自然や歴史と繋がる暮らし方を失わないような、ゆっくりとしたものであれば、つがねの魅力である本物の風景は持続していくのだと思います。
 
どの蔵も素材は白い漆喰と瓦屋根ですが、そのデザインはひとつひとつがこだわりを持つかのように個性的です。よく考え抜いて作られた形は時代を超えて美しい。
 
飾られた神様に、そこに暮らす人々と自然との繋がりの深さを感じます。
 
道を歩く人に向けられた風景にもてなしの心を感じます。
 
石工の匠、庭木の匠、大工の匠、そして地形に導かれた道の曲線がつくる風景。つがねの風景はどこを切り取っても絵になってしまう。百年以上手塩にかけて使い続けている民家には生命が宿るような重みがあります。
 
集落(住む場所)は背を山に守られ南に太陽を受ける絶妙な場所にあり、集落は地形の中に美しく収まっています。棚田の斜面は土と植物でやさしく覆われています。
 
津金遊学記
鈴木輝隆
すずき・てるたか
江戸川大学社会学部ライフデザイン学科 教授
「住民自治と情報力で地域経営」が研究テーマ。北海道ニセコ町や長野県小布施町、秋田県田沢湖町乳頭温泉「鶴の湯」、高知県「四万十ドラマ」などのまちづくりに関わり、全国の地域づくりのネットワークを構築している。東京では、毎月1回、社会人と学生が一緒になって、生きがいのある地域社会の実現をめざす「ローカルデザイン研究会」を主宰している。著書は、「田舎意匠帳(ろーかるでざいんのおと)」(社)全国林業改良普及協会ほか。内閣府のホームページに「わがまち元気」を掲載中。
 
 たった一人の人間が強い意志を持って、地域への愛着の思いで再生を実践することから物語は生まれた。平成11年、地域資源を有効活用することをミッションとしたNPO「文化資源活用協会」(文資協)が津金に誕生した。ここ津金には質の良い民家が多く、周辺の自然と同化する知恵から、美しい風景が現在も存在する。都会の若者は懐かしい美しさにあこがれ、NPOを窓口として訪れるようになった。住民は血縁・地縁関係のない若者と交流を楽しみ、徐々に田舎社会の閉鎖性を持たなくなってきた。私が津金から学んだことは3つ。都会の学生との相互作用から住民に元気が出てきたこと。微かで自発的な活動が閉鎖的な田舎社会をオープンにしつつあること。空き家が地域再創造に役立つこと。NPO活動に感銘を受け、私はなお津金遊学を続けている。
■空き家の活用は意外と難しい
 津金を歩くと、落ち着いた田舎がさわやかに存在する。主要道路から離れて奥まった地に、里山やリンゴ畑が広がり、大きな美しい古民家が点在している。時間が断絶することなく続く景観は永遠を感じさせる。日本人は、古く汚れた中に美を見出す独特な感性、「わび」「さび」の美の世界を発見した。時間の蓄積から美しい風景はにじみ出てくるものであるが、日本の近代化はこれを壊し続けてきた。
 近代化が進むに従って、若者は落ち着いた風景を見捨てて、勤めるのに便利で効率的の良い都会に出て行った。人口は減少し、結果、空き家は増え寂しい地域社会となる一方で、最近ではコスト削減・時間短縮の人生観から離れ、新住民が田舎に移り住む。しかし、空き家の所有者は、新住民に家を売らないし貸さないことが多い。未利用の地域資源である空き家は歴史的に見ても貴重な地域財産であり、活用しなければもったいない。
■住民と学生、NPO文資協との相互作用が生む地域の元気
 東京で毎月1回、社会人と学生が一緒になって開催する「ローカルデザイン研究会」(筆者主催)にNPO文資協は協力する。NPOはその参加者の社交の場となってきた。研究会に参加する東京や静岡、山梨の大学生が、南雄三さんを中心として集まった自主ゼミは、四季を通じ津金に訪れるようになった。
 高橋副理事長は、学生の宿泊場所を住民に提供して欲しいと住民に交渉して歩く。住民だけでなく空き家の所有者もお世話になった地域に役立つならと耳を傾ける。地域の世話役でもある住民リーダーがいることが社会関係資本の基礎となる。最初、住民は面倒だと思いながら学生を泊めていたが、学生は礼儀正しく、家や地域へのお手伝いが住民の心を溶かした。独居老人はたった1日で寂しい夜が楽しい時間に変わった。交流から住民が変わっていく。「次はいつ来るのか」と電話や手紙を出す。空き家活用は元郵便局員の高橋副理事長の空き家発見から生まれ、山梨大学学生の大野真平さんの空き家の所有者や住民、来訪者の意識調査となった。それが今回の調査・修復へとつながった。
■自発精神が感情的なハードルをなくす
 学生たちの津金来訪は自発的活動である。地域の役に立とうと、マップづくりやPRビデオづくりを行った。彼らの宿泊場所は、横浜在住の早川雅脩さんが気持ちよくNPOに無償で貸してくれた空き家や民泊など。
 高橋副理事長はNPOが自由に使える家が必要と考え、30年以上も空き家となっている江戸幕末時代の古民家「なかや」を個人負担で買い求めた。NPO文資協は新住民で家具職人の山下夫妻やミュージシャンでディレクターの阪野夫妻と空き家の修理を「結い」で行うことを提案。住民も大いに活躍し、学生も参加した。
 今年4月からNPO文資協は、「旧津金学校明治校舎・須玉歴史資料館」の指定管理者となった。経営上の工夫として明治カフェを創設しようと考えた。時を同じくしてふたりの女子学生が現れ、古材カフェを経営することになった。彼女たちは毎週、日曜日に訪れ、ゆっくりと準備している。偶発的で微かな活動の集積は住民の閉鎖意識をだんだんとなくし、人間関係基盤は再創造され、地域への新規参入ハードルは低くなっていく。
■NPO文化資源活用協会の役割
 地域はみんなの夢でできているが、市町村合併もあり未来を語ることがなくなってきている。NPO文資協は夢を持っている人の実践の場として人が集まってくるようになった。高橋副理事長はじめ、元洋服仕立て屋さんの樋口均さん、なんでも器用に完璧に作る向山正明さん、パン屋で早朝から働くドイツ留学帰りの吉本標実さん、北杜市職員で発想が冴える親切な山路恭之助さんなど、みな心優しい心の人たちばかりだ。
 NPOは財政的に厳しく、いつ壊れてもおかしくない弱い組織。しかしネットワークのレベルは高く、多様性と柔軟性に富んでいるゆえにダイナミックな活動が生まれ育つ。古いモノに新たな価値を見出して、再び生命を甦らすことに情熱を傾ける心意気と実行力が心を打つ。NPO文資協の役割は、経済至上主義によって見捨ててきた日本の「わび・さび美学」を取り戻す場となっている。わさびのように一つまみの微かな「変化」でも、人間の精神にピリッと効くのが小気味いい。


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