日本財団 図書館


笹川フェローでの経験と現在の私
8期生 高岡 志帆
<前文>
 エンパワーメントとは誰かが誰かに力を与えるということではなく、人々自身の中から湧き起こってくるもの、ということである。
・・・「いのち・開発・NGO」(Werner, David; Sanders, David著)
 
<厚生労働省の私> (学生時代に私の中から湧き起こってきたものの中間結果とこれから)
 私は現在、厚生労働省において臓器移植等を担当している。厚生労働省で働くことは、学生時代からの夢であった。学生時代に国際保健に興味を持ち、海外に赴き海外に思いを馳せることをある種生きがいにしていたのであるが、ある時「自分の土地の公衆衛生を考えずして海外の公衆衛生を考えるとは、何たるミーハーさらに非効率」とふと思い、大阪市もしくは日本国のために働きたいと思った。この「ドメスティックな仕事をしたい」という考え(国際的フィールドで働くことから外れる考え)は、(皮肉にも?)国際保健協力フィールドワークフェローシップ(以下、笹川フェロー)へ参加したことが大きく影響していたと思う。これが、私が厚生労働省で働きたいと思ったきっかけである。
 
 現在、厚生労働省で臓器移植対策を担当するにあたり、「自分の担当している分野(もしくはエリア)しか考えないということは、何たる無責任さらに非効率」また「自分の担当している分野(もしくはエリア)において着実に仕事をすることは、海外の人の健康・平和にも必ずつながっていく」と思うようになった。(つまり、笹川フェローで教わった「Thinkg globally, and act locally」をドメスティックで働きながら実践することの重要性にあらためて気づいた。)例えば、よく言われていることは、日本国内で小児の脳死下臓器提供ができないために、先天性心疾患で移植治療を要する患者は大枚をはたいてアメリカ等へ渡航し移植を受けに行っている。また、日本では移植用腎臓の平均待機期間が14年で、これを待ちきれない患者が中国等アジアに腎臓を買いに行っている。私が直接海外に赴くことはしないものの、海外に思いを馳せながら仕事をすることは、むしろここで働く私の責任である。今後とも、自分が携わっている仕事について、世界の状況を捉えながら、日本国民のために、最終的には世界中の人たちのために、仕事をしていきたいと思っている。このように思えたのは、笹川フェローでの経験の賜であると思う。
 
<国際的フィールドヘ出る学生へ>
(自分自身の中から湧き起こってくるものがある人へのおすすめ事項)
 卒業して3年目、まだまだ学生に毛の生えたもののような私から言うのもおこがましいが、国際的フィールドへ学生として出るにあたり、身に着けていくといいと思うこと(そして現在なお私が身につけたいと思っていること)は、以下の6つである。
・インプット能力
 相手の言わんとしていることと、その状況がつくられた背景等を的確に察知する。その的確度は、事前の情報収集と、洞察力、そして積み重ねられた経験により、向上する。また、集中力も必要である。決して、ぼーっとしていてはならない。
・アウトプット能力
 自分の伝えたいことを的確に相手に伝えることができるよう、わかりやすく物事をプレゼンテーションする。これは、(私はまだまだたりないところであるが)、「ロジカルシンキング」関係の本を一冊読めば、ある程度カバーできる(のではないかと思う)。
・好奇心
 そもそも、何かをインプットしたいと思う気持ち。
・フットワーク
 好奇心を形にする原動力。じっとしていては何も始まらないという感覚。
・思考能力・長期的視野形成
 インプットをアウトプットヘつなげる思考能力。自分なりのメッセージを、自分の頭で考える。
 また、その考えは「100年後の地球」等、長期また大規模であるほうが望ましい。
・感謝の気持ち
 人との出会いを大切にすること。
 
<参考>
 私が笹川フェローに参加した後に書いた文章を、下記参考で転載する。
 
未来への責任
 エンパワーメントとは誰かが誰かに力を与えるということではなく、人々自身の中から湧き起こってくるもの、ということである。(「いのち・開発・NGO」より)
 私自身の中から湧き起こってきたものとそのきっかけ:
 私が「国際保健」に興味を持ったのは、医学部3年生の秋であった。歯科医である父が、NGOでネパールに行くというので同行した。異なる言語や文化を持つ社会の中で「ボランティア」することがとても新鮮であり、楽しかった。強烈なインパクトを与えてくれたこの経験が私の内なるエネルギーとなり、世界中の医学生と交流をもつようになった。その中で、様々な「楽しい出逢いと出来事」があり、様々な生き方や価値観が私をゆっくりと発酵させてくれた。一方、大都市・大阪の負の遺産と言われている釜が崎で、路上生活者達におにぎりや生活必需品等を配るようになった。このような過程で、救いがたい貧富の差や解決の糸口の見えない政治的問題を抱えた「社会」という大きな壁にぶち当たり、私のエネルギーは徐々に尽きていき、気がつくと疲れきった私がいた。
 この疲れた自分とは裏腹に、やはり私の「国際保健」への興味の残り火はまだ燻っており、この度の笹川フェローに参加することになった。研修の間中、様々な光で私の心は暖められ、心のエネルギーが充電されていった。ゴミ山で私の髪をずっと引っ張っていたあの黒い瞳の少女、力強さと優しさとで多くの研修生を魅了した先生、太陽のような笑顔で私を癒してくれた同志・・・。私は彼らを好きになった。そして、彼らの思いに応えていきたいと思っている。
 未来への責任(responsibility)は、今応える(response)ことである。不安や疲れを感じるときは、前へ前へと進まずに一歩後ろに下がればいい。その一歩は責任の放棄を意味するのではなく、螺旋のように連なる軌跡を描く未来を築いていく過程の一歩である。そんな中、本研修で応えていきたい対象を見つけることができたことを嬉しく思う。
 最後に、全ての人に感謝の意を表したい。
 
笹川フェロー12周年記念に寄せて
8期生 後藤 杏里
 私と国際保健協力フィールドワークフェローシップ(以下、笹川フェロー)との出会いは、大学5年生の時のことだ。
 学生の頃の私は、弓道部と地域医療研究会の2つに所属しており、夏休みは、東医体が終わるとすぐに医師過疎地域での合宿へ向かい、家庭訪問や健康教室を開催し、地域の介護保健施設を訪問するなどの活動で忙しかった。部活動を引退したその春、ふと部室に送られてきた笹川フェローの募集要綱を見て、新しいことにチャレンジしてみようと思い立った。単純に日本以外の地域医療を見たい、海外の医療にふれたいと思ったのもあるが、小学生の頃から何となく国際協力に対する疑問があったこと、フィリピンは、今は亡き祖父の出向いた戦地であり、当時の話を聞いて訪れてみたいと思っていた国の1つであったのが応募を決めた理由だ。
 今、当時を振り返ると、現地での沢山の思い出と感動があるが、中でもBarua先生と14名の仲間に出会えたことが一番の宝である。それは、10日間という驚くべき短期間で築き上げた人と人、心と心の強いつながりであった。そして、Barua先生のお話は、自分にできる国際協力へ1歩、自分自身の生い立ちと未来〜アイデンティティー〜を深く考えさせるきっかけとなった。これらが現在の自分、仕事との向き合い方に大きな影響を与えてきたと思う。
 卒業後、私は、東京慈恵会医科大学で研修を終え、同大学のリハビリテーション科へ入局した。以前からリハビリという分野に漠然と興味を持っていたのだが、笹川フェローを終えた頃には、将来の進路として確信を持つようになっていた。笹川フェローに参加する学生には、もともと国際保健、熱帯医学などに興味をもっている学生が多く、実際に厚労省や公衆衛生の分野に進まれる先輩が多い。その中で、私はやや異色の道に進んでいるように思われるかもしれないが、リハビリについて理解してもらえれば、けっしてつながりがないわけではないことを分かって頂けると思う。
 リハビリという言葉を知らない人はいないだろうが、医療従事者でも整形外科的な物理療法やスポーツ選手の訓練のようなイメージを持っている方が多い。しかし、実際にはもっと幅広い分野であり、それらはごく一部にすぎない。新生児から老人まで様々な疾患を対象としているが、リハビリの真髄となるのは、医学的管理・治療に終わらず、社会復帰に至るまでをいかに援助するかという所にも主眼をおいている点だと思う。全身症状だけでなく、日常生活としての自立度、経済的問題、家屋の問題の有無、復学・復職の手助けまで患者さんの生活に密着した切り口からアプローチ方法を検討していくのだ。例えば、最も多い脳卒中患者を例に説明すると、まずは病態の把握と運動麻痺や嚥下・構音障害、失語や注意力低下などの高次脳機能等の評価を行うことから始まる。これらの症状による日常生活動作、基本動作・歩行能力の分析を土台に予後予測を行い、歩行・ADLに関してある程度具体的な短期・長期でのゴール設定を行う。そして、基礎疾患・合併症の加療と共にリハビリを進め、ゴールへの達成度が具体化してくると、退院に向けた環境調整を始める。実際に患者宅を訪問して改修案を立てることもあるし、特に高次脳機能障害を有する患者の場合は、周囲の障害に対する理解の推進、対応の工夫が大切であり、家族だけでなく職場や学校と連絡を取って、情報を共有することもある。このような対応が重要なのは、いくらゴール設定をしても最終的な方針は、家族や社会資源などの環境調整によっていかようにも変わりうるからだ。医療者側が望んでも、独り身の方や家族自体が望まない場合は、在宅不可能であるし、逆に非常に難しいケースでも、地域のサービスが充実して、介護力が確保できれば可能となることもある。また高次脳機能障害が残存しても、周囲の理解が得られれば、復職につながるケースもある。すなわち、最終的に重要視されるのは、身体機能の改善だけでなく、家族への介護指導や介護保険・身体障害者制度など社会資源の活用、住環境、職場(学校)の環境など本人をとりまく生活環境と社会なのである。私は、このように社会に密接したリハビリ医療の姿にとても魅力を感じた。「病気を治してあげたいけれども、それだけでは駄目だ。健全な身体へ治すと共にできるだけ元の生活に戻してあげることが大切なのだ。」と思ったのは、この笹川フェローによる影響が大きいのである。
 日常の医療で大きな比重を占めるのは、当然病気の治療、そして予防だ。その医療技術は、ますます高度専門化していく一方であり、診療形態自体も電子カルテの導入によって簡便化する反面、患者さんよりパソコンと向き合っている時間の方が長いように思える。しかし、笹川フェローで実際に見聞きしたこと、学んだことは、人と人が向き合うこと、地域と地域がお互いに協力し合っていくことの大切さであった。その根底には、歴史や自然環境、教育を軸とした人間性があった。つまり病気を治そう、患者さんを癒そうと思った時に、ただ診断して薬を使って治療しようとするだけでは解決できない問題が数多くあることに気付かされたのであった。「人間として人間のお世話をする」「いのちはレントゲンに写らない」とBarua先生はおっしゃられているが、この根本的な思いやりの心と姿勢をけっして忘れてはならないと思う。
 この笹川フェローに参加したからこそ、一患者の周囲には、それを取りまく生活環境、地域社会、さらには国、世界というレベルで様々な問題が広がっていることに気付くことができた。問題は山積みであるが、この思いを分かち合えた仲間がいるのだから、様々な角度、立場から取り組んで共有しあっていくことは可能だと思う。それがこの笹川フェローの素晴らしさだと思う。私は、リハビリテーション医師としての立場から、障害者がhandicapを乗り越えて生活できる手助けが出来るよう、患者さん、その家族の視点で医療以外の問題にも取り組んでいけたらと思っている。そして、今後もこの笹川フェローを通じて、同じ思いを共有できる新しい後輩、仲間が増えることを切に願っている。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION