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2005 国際保健協力
フィールドワークフェローシップ 参加報告
フェローを終えて今思うこと
岡田 拓巳(熊本大学医学部医学科6年)
 フィリピンから帰ってきて2週間弱が経った。ひとまずマッチングのほうも一段落し、改めてあの怒涛のように過ぎた12日間についてゆっくり振り返ってみる。
 始まりはシンプルなもので、掲示板で募集を見つけ応募したのは、海外旅行中、気になっていた途上国への医療協力というものを見てみたいという思いからだった。国の医療を支援していくというのは、どんな人たちがどんな思いを持って関わっているのか興味があった。幸運にも選考に通ったとき、就活のこの時期に長い間日本を離れる現実に一瞬躊躇したが、国際医療について深く学べる、今しかない贈り物だろうと、喜んで参加させていただいた。
 そこでの経験は本当に貴重なものだった。この研修で得たものはたくさんあったが、宝物といえば、やはり多くの素晴らしい出会いではなかっただろうか。国内研修では全国から同じ興味を持つ学生たちが集まり、国外研修では実際に現場で活躍しておられる方々の話を聞くことができ、フィリピン大学の勉強熱心な医学生たちや子どもたちと交流を持つ機会もあった。人が大きく成長できるのは、自分以外の何かから刺激を受け、目標となるロールモデルが見つけたときだと思うのだが、今回はそんな出会いに恵まれたなあと実感している。
 考えてみれば、国家試験が終わると一人の医師としてもう医療現場で働くことになるのだが、この11日間の中では、『自分がいったい何をしたいのか』ということを改めて問いかけていた。僕は人の笑顔とか喜ぶ顔を見るのが大好きで、それが大切なモチベーションになっており、ずっと『人を幸せにできる、苦しむ人を救える』技術を求めてきていた。そして、それを追求できる生き方として医師という道を選んだ。しかし、その医師の道も幅広く可能性にあふれていることを教えられた。臨床だけでなく研究や行政、国際医療など、どこのフィールドにおいてもその目指すところは人々の健康・幸福であり、それぞれの世界でみな生き生きと仕事をされていた。振り返って自分はどの分野で頑張っていきたいのか、正直なところ選択肢が増えた分だけ分からなくなってしまったが、2つだけはっきりと教えられたことがある。
 
 『どこの分野でやるにしても自分について深く悩み、本当に好きだと思える幹となるものを見つけ、対等に肩をはれるだけの売りをもっていなければならない』
 僕はこれから自分の売りを作っていくのが課題だ、それを改めて実感した。さまざまな専門家たちとチームを組んで仕事をするとき、自分が自信を持って提供できる力を持っているのは大前提だ。各々がそれぞれの分野でスペシャリストとなり、高いレベルで刺激し合い、職種を超えて同じ目的を共有していく。これが社会に出て何かを成していくということだろう。これから何を目指し、何を身に付けていくのか、identityはまだ漠然としか見えていないが、今回縁のあった人たちと将来どこかのフィールドで、一緒にいい仕事ができるようになりたいと強く思っている。
 
 『命はレントゲンには写らない』
 これから病院で臨床研修を行っていくにあたって、Barua先生の話は医師のあり方を改めて思い出させてくれた。結局、医療とは人と人との関わりの中で行われていくもの、科学技術はそれを手助けするものに過ぎない。相手の問題がいったいなんなのか、そこをきちんと見極め、それに応じた対応ができるようになることはどの分野においても必要なことだ。しかし、人の価値観はさまざまである。それを知るために、人々の中へ入り、人々と関わり、あらゆる人との出会いから相手を知るための手がかりを自分の中で増やしていこうと思う。フィリピンの農村の子ども達の輝くような笑顔は、日本が誇る物質的豊かさから与えられたものではない。何がその人のためになるのかを、常に主観を抜きにして客観的に考えられる目線を持つように意識していきたい。そして、その人が笑ったとき本当の意味で治療がうまくいっていると実感することだろう。
 最後に、このような機会を与えてくれた笹川記念保健協力財団や関係者全ての方々と、素晴らしい学びを下さった現地のスタッフ、先生方、お忙しい中同行してくださった泉さん、西村先生、そして11日間支えてくれた13人の仲間たちに心から感謝しています。
 本当にありがとうございました。
 
UPのカールと
 
バランガイの子供達と一緒に
 
笑顔に包まれた旅を終えて
金子 祥(日本大学医学部医学科6年)
 今まで生きてきた24年間で、一番充実した楽しい11日間を送れた、と言ったら、これまで私の人生に関与してくれた人々は怒るだろうか?
 
 去年の夏、あるOBの方に薦められて、私は初めてこの企画を知った。もともと保健医療行政に興味のあった私にとって、数少ないチャンスであると思い、6年生であるにもかかわらず、応募してみることにした。
 しかし、私には1つの不安があった。募集要項には「国際保健医療協力ないしは保健医療行政に関心をもつ医学部生」とあったのだが、私は行政に興味を持っていたので後者には当てはまるものの、国際的な活動には特に携わったことがなかったので前者には当てはまらないのではないかと感じていたのだ。他のメンバーと違い何の実績もなく、コミュニケーション能力も足りないであろうことは明らかであった。
 一方で、大きな期待もあった。今まで特にWHOに興味があったわけではなかったが、行政を志望する私にとっては、世界の保健医療行政を束ねるWHOで講義を受けられるのは生涯に2度とないチャンスである。また、同じように行政を志望する医学部生に会えるかもしれないという期待もあった。(これだけは結局最後までかなわなかったが・・・。)
 
 そして運よくフィリピンに行けることとなった時、私は始めから特に目標を掲げず、take it easyを貫こうと思っていた。実際、毎日いろいろな訪問先では、予想以上の刺激を受け、こういうことを学びたいというような目標を持たなくても、自分の中に好奇心と発見と感動と充実感が溢れていた。自分が大切だと思うこと、忘れてはいけないと感じたことは、意識しなくても自然と心に残っていった。自分の中に様々な感情が積もっていくことが驚きではあったが、その感情を得られたということは喜びそのものであった。出発前に感じていた不安は全くなくなっていたというのが本音である。
 
 フェローで学んだこととして今言えることは、「自分がどのような人間であるか」が少しわかったということである。それは例えば、自分が何をしたら楽しいのか(尾身先生のお言葉をお借りすると、この場合の「楽しい」は、毎日笑って過ごすということではなく、死ぬ間際に心の底から充実するということである。)、将来何がしたいのか、何が足りないか、というようなことである。そして現在、私はまだフェローから学び続けている最中なのではないかと感じている。日々の生活の中にも確実にこの経験は生きてきているし、自分の基礎にしっかりと根付いているのを感じるからだ。短期間に頭がパンクしそうなくらい多くの経験をしたが、今は無理に心の整理をつけようとせず、考え続けることで消化していこうと思っている。
 
 最後になりましたが、13人の仲間、西村先生、泉さん、講義をして下さった先生方、関わって下さった全ての方に、心から感謝申し上げます。
 この旅を企画してくれた泉さんは、頼りないリーダーであった私を本当に暖かく見守って下さいました。
 みんなの知識の源であった西村先生は、私の個性を理解して下さり、相談にのって下さいました。そして、いつもみんなの中心で旅を盛り上げて下さいました。
 人見知りをする私にも自分を出すことを躊躇させない本当に暖かな仲間からは、かなりの刺激を受けました。まだまだ行動力に欠ける自分に気付かされましたし、楽しむことの重要性、リーダーシップとは何かなどを教わりました。(フェローの前の日まで、みんなと仲良くできるか心配し、胃薬を飲んでいたのに!)
 本当に心の底からの充実感と楽しさをありがとうございました!
 
バランガイの子供達と
 
懇親会にて


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