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3.2 高速旅客船による実船実験
 株式会社 淡路開発事業団のご理解と全面的なご協力を得て,淡路島洲本港(兵庫県洲本市)と関西国際空港(大阪府泉佐野市)を結ぶ高速旅客船「パールブライト2」(総トン数:73トン)で乗り心地評価のための実船実験を実施する機会を得た。計測項目は,船体運動と被験者の心電図および表情である。また,気分に関するアンケート調査も実施した。
 船体運動の解析については別に述べる11)が,本論文では,荒天時に乗り物酔いを発症した被験者の表情を用いて乗り心地の評価を試みた。
 2004年10月21日(木)洲本港14:50発,関西空港15:39着の上り第5便で,乗り物酔いを発症し嘔吐した被験者2名の表情に適用した結果をFigs. 2,3に示す。
 図は,横軸に出港後の時間を取り,縦軸には6つの基本感情の度合いを取って,その時間的変化を表している。出港直後の表情を「平静」として,出港後5分ごとの表情の変化を調べた。
 Fig. 2は,出港後28分過ぎに嘔吐した被験者MF08の表情評価結果で,(a)と(b)は,それぞれ内部モデル(表情判別モデル)と外部モデル(表情評価モデル)によるものである。内部モデルでは,10分後に強く「悲しみ」と評価されているが,その後「嫌悪」や「悲しみ」,「恐怖」の評価が高くなっている。外部モデルでは,全体的に「驚き」の評価が高いが,25分後以降「悲しみ」と「嫌悪」が高くなっている。
 Fig. 3は,出港後26分過ぎに嘔吐した被験者K009の表情評価結果である。(a)に示す内部モデルでは,「悲しみ」と「嫌悪」の評価値が高いことがわかる。15分後と嘔吐直前の26分後に「幸福」と評価されているが,これはアンケート記入後に作り笑いを浮かべているためである。(b)の外部モデルでは,「悲しみ」,「恐怖」,「怒り」と評価されており,15分後以降「嫌悪」は低くなっている。
 15分後と嘔吐直前の26分後に「幸福」が少し高くなっているが,内部モデルのように顕著ではない。
 次に,乗り物酔いを発症しなかった被験者の評価結果の一例をFig. 4に示す。図の見方は,Figs. 2,3と同一である。2005年2月21日(月)洲本港14:50発,関西空港15:39着の上り第5便で計測された表情である。図より,乗り物酔いを発症しなかった被験者では,(a)に示す内部モデルで「悲しみ」や「驚き」が高いものの,乗り物酔いを発症した被験者に比べると「嫌悪」は明らかに低く評価されていることがわかる。この被験者は乗り物酔いを発症していないが,乗船中,緊張した面持ちであったため,特に(b)に示す外部モデルでは,全体的に「恐怖」が高く評価されている。また,乗り物酔い発症者に比べると「嫌悪」は低く評価されていることがわかる。
 
Fig. 2  Time histories of facial-expression evaluation by the models (SUBJECT: MF08 who felt sick).
(a) Int. Model
 
(b) Ext. Model
 
Fig. 3  Time histories of facial-expression evaluation by the models (SUBJECT: K009 who felt sick).
(a) Int. Model
 
(b) Ext. Model
 
Fig. 4  Time histories of facial-expression evaluation by the models (SUBJECT: MY02 who did not feel sick).
 
(b) Ext. Model
 
 実船実験では,表情計測用のヘッドセットを装着した状態で5分ごとのアンケート調査を課せられているので,自然な表情を保つことは容易ではないと考えられる。しかし,それにも拘わらず,提案した表情評価の手法を用いて実際に乗り物酔いを発症した被験者の表情を解析すると,「悲しみ」や「嫌悪」,「恐怖」といった基本感情として評価されること,および乗り物酔いを発症しなかった被験者では「嫌悪」の感情は低く評価されているということから,提案する表情評価手法によって乗り心地や乗り物酔い発症の推定・評価が可能であると判断することができる。
 
4. 結言
 本研究では,これまで量的な表現が困難であった表情の解析にフーリエ記述子法を適用することによって表情要素の特徴表現を行い,心理学分野における6つの基本感情を表出した表情からその感情を推定・評価するための表情評価モデルを構築して,表情を客観的な生理指標とする新しい乗り心地評価手法を提案した。
 本論文では,乗り物酔いを発症した被験者の表情に表情判別モデルと表情評価モデルを適用して乗り心地の評価を試みた。表情判別モデル(内部モデル)は,表情からその人の心理的状態を推定・評価するためのモデルで,表情評価モデル(外部モデル)は第三者による評価をモデル化したものである。そして,乗り物酔いを発症した被験者の表情では「嫌悪」や「悲しみ」が高く評価されたことは,表情を乗り心地や乗り物酔い発症の評価指標として用いることの可能性を示したもので,本研究が提案する表情評価手法が妥当なものであると結論づけることができる。しかしながら,モデルの構築過程では,基本感情を意図的に表出した20名分の表情データを用いてパラメータの同定を行ったために,現段階では実際に乗り物酔いを発症した被験者の表情を完全に評価できると断言することはできない。また,乗り物酔いを発症した被験者の表情データが少ないため,提案した表情判別モデルおよび表情評価モデルによる推定結果から乗り心地を定量的に評価するには至っていない。今後,実験データを蓄積することによって,乗り心地の定量的評価が可能な普遍的なモデルのパラメータを得ることができると考えている。
 また,本研究で提案した手法は,船舶の乗り心地や乗り物酔い発症の評価という船舶海洋工学分野の問題解決にとどまらず,新しいヒューマン・インターフェイスの構築に有効である、個人の生体認証技術や医療機関における患者モニタリング,交通機関の運転手/大規模プラントの操作者の体調管理,ドライバーの居眠り防止技術など応用対象は多く,社会的ニーズも広範囲に亘ると考えられる。
 
謝辞
 船体動揺模擬装置を用いた動揺暴露実験に被験者として協力して下さった大阪府立大学および大阪大学の学生諸君に改めて感謝する。
 また,高速旅客船の乗り心地評価実験に対してご理解と全面的なご協力をいただいた株式会社 淡路開発事業団の森脇明宏部長および洲本パールライン「パールブライト2」の乗組員,関係各位に厚く御礼申し上げる。
 
参考文献
1) C. T. Zahn and R. Z. Roskies: Fourier descriptors for plane closed curves, IEEE Trans. on Computers, Vol.C-21, pp.269-281, 1972.
2)池田和外, 有馬正和, 細田龍介:表情による快適性の評価に関する研究(第2報)―表情と心理状態の関連―, 関西造船協会論文集, 第242号, pp.155-160, 2004.
3)有馬正和, 太田直幸, 池田和外, 細田龍介:表情による.快適性の評価に関する研究(第3報)―乗り物酔い発症時の表情の特徴抽出―, 関西造船協会論文集第242号, pp.161-166, 2004.
4)P. Ekman, W. V. Friesen(工藤力訳):表情分析入門, 誠信書房, 1987.
5)池田和外, 有馬正和, 細田龍介:表情による快適性の評価に関する研究(第4報)―表情の特徴抽出による基本感情の評価―, 関西造船協会論文集, 第243号, pp.153-157, 2005.
6)例えば, 室伏俊明, 菅野道夫:ファジィ測度論入門[VII], 日本ファジィ学会誌, Vol.4, No.2, pp.244-255, 1992.
7)有馬正和, 池田和外:乗り心地評価のための表情評価モデルの構築, 日本船舶海洋工学会論文集, 第1号, pp.145-150, 2005.
8)細田龍介, 岸光男, 山田智貴, 有馬正和, 中島武士, 桜井秀一:大阪府立大学海洋システム工学科乗り心地シミュレータについて, 関西造船協会誌, 第220号, pp.145-151, 1993.
9)有馬正和, 平井達之, 細田龍介:船舶の乗り心地評価に関する研究(第4報)―乗り物酔い発症時の表情の変化―, 日本造船学会論文集, 第184号, pp.603-609, 1998.
10) Golding, JF and Kergulen. M.: A comparison of nauseogenic potential of low frequency vertical versus horizontal linear oscillation, Aviation. Space and Environmental Medicine, 63, No.5, pp.491-497, 1993.
11)有馬正和, 田村裕貴:高速旅客船の乗り心地評価に関する研究(第1報)―船体運動の計測と解析―, 日本船舶海洋工学会論文集, 第2号, 2006(印刷中).


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