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特集「剣詩舞の研究」
石川健次郎
 
「群舞再考」―(二)
〈複雑だが面白い個別振り〉
 前月号の“舞踊の形態”の群舞で述べたように、群舞作品の振り付けで、全員が同じ振り付け(揃い振り)ではなく、同時に複数の振りが混合して構成される場合を個別振りと称しているが、具体的にそれらの振り付けの種類(数)が同時にどの位が適当なのか、またそれぞれの振りの演技者は幾人位にすべきかと云った基本点から、作品構成の問題点などを考えてみよう。
 群舞コンクールの詩舞で五人が、全員それぞれが異った5種類の振りで演じた場合は全員個別振りだが、実際の振り付け例としては、最初からでも途中からでも、二人と三人が組んで2種類の振りで演じる場合もある。この組合せは全く自由であるが、一見個別振りに見えるが、実際には二組の揃い振りが五人で演ずる個別振りと揃い振りの合体振りであることを確認して置こう。
 
〈群舞で見せるドラマ〉
 剣詩舞で表現しようとする作品の内容には、多くの場合その中にドラマ(筋立て)が述べられていることに気付かれると思う。ドラマとは人間と人間との葛藤の記録だから、この様な作品を一人で表現(独舞)する場合は、当然役柄の変化(役変り)が必要になってくる。
 しかし最初から複数の演技者による群舞の場合なら、それぞれの役を分担して上演すれば、演技者も一人で二役も三役も演じ分けるわずらわしさがないばかりか、見物人も自然な感じでドラマの進行を見守ることができる。勿論舞踊はお芝居ではないのだから、日本舞踊の「素踊り」にある一人で多くの役替りを見せる技法には深い味わいがある。しかし例えば「曽我兄弟」(松口月城)の場合を考えてみても、最初から五郎と十郎が別々な演技者によって個別な振り付けで夜討ちの物語りを表現した方が、独舞の役替りよりわかりやすいことは確かであろう。更に他の人達によって、例えば詩文前段の富士の裾野の情景などを抽象的な“雨”“風”の振りで、これも個別に演じたり、又は揃い振りを交えて演じることで、群舞特有の効果が期待されると思う。
 
〈群舞の人数〉
 前月号では、揃い振り群舞の舞台上での人数について特に説明をしなかったが、一般に揃い振りの場合は舞台での基本体形が決まれば、後は安全空間(詩舞で一間四方、剣舞で一間半四方位)との関係で人数を割出すことが出来る。
 しかし個別振りを中心にした群舞の人数を考えるときは少々事情が変ってくる。再び「曽我兄弟」の場合を例にとって説明すれば、基本になる人数は、五郎と十郎の二人だけでもよいのだが、これに周囲の情景や、事件の進展を表現するための要因として、その他の人数が通常の舞台なら一〜四人位必要になる。実際にこの人数は、作品の構成振付の重要なポイントになるから慎重に計算して決めなければならない。なお特に対立的なドラマ性を強調する場合は、奇数より偶数で二組に分かれやすい体形を効果的に準備するとよい。また主題が、月、太陽、富士山、と云った象徴性の高いものならば、奇数の配員が振り付けしやすい。従って群舞は、その内容(主題)によって人数も奇数、偶数を決めればよい。
 
〈個別振りの分析〉
 前項で述べたように、ドラマ性のある作品などは、役柄にもとずく振り付けが役の数だけ必要とされるが、情景などを抽象的な振り付けによって演舞する人達は、数種類の振りを同時進行で展開することが出来る。この振りの種類や人数は、作品内容や上演する舞台の広さなども計算に入れながら、テーマとそれをいろどる数種の情景に分けた振りが、それぞれの演技者によって調和のとれた美しさを見せ、時には互に反応して更に強い表現力を持たせるように組立てていく。
 次に情景を中心にした個別振りを分析した三種類のサンプル図を示すが、個別と云ってもその形態はさまざまだから、全員の振りがすべて別々の場合もあるが、表現すべき内容の複雑さを避けたり、或いは強調する目的で部分的には揃い振りともとれる様に構成して、合体振りの効果も考えたい。
 
〈個別振りの分析〉
 
 一般に抽象的な群舞では、群舞の体形は常に変化するものだから、その変化の美しさが振り付けでは重要なポイントになり、更に個々が表現しようとしている振り自体もまた常に変化するものである。例えば表の「2組個別振り」で『富士山』を演じたとして、■印グループが山を現わす振りを考案し、○印グループは「雲」から「鶴」になり「煙」になり「霞」になると云った絶えず変化する形容的な振りを見せて、雄大な富士山の広がりを表現する。
 さて、次に個別振りによる群舞の作品傾向について(具体的な振り付けは省略する)考えてみよう。
 
〈人間模様を詠んだ作品考〉
 『曽我兄弟』『大楠公』『不識庵機山を撃つの図に題す』『太田道灌蓑を借るの図に題す』等々、人間関係がはっきりしている作品の振り付け構成は、それらの内容、詩文の字面(じづら)に対して直接的な影響を受けやすいが、詩文にべったりと沿った表現(当て振り)は、必ずしもドラマの全貌をとらえているとは云えないから、種々の表現を汲みとって複数の振りの調和を計り、詩文を上回った創造性のある個別振りで群舞の面白味をあじわいたい。一例だが、太田道灌に配する少女を姉妹にして、三名で道灌の心緒を描く個別振りを創作するのも意表をついて面白い。
 
〈精神的な訴えを詠んだ作品考〉
 『日本刀』や『寒梅』などのように、内容が抽象的になるに従って、主題とそれにからむ個別的な振りを常に調和のとれた形で展開して欲しい。それはちょうどゼンマイ時計の歯車のように、それぞれ回転速度や回転方向が異なっていても、全体の動きが美しいアンサンブルを見せるのと同様である。また「寒梅」などの擬人化された詩文は、なるべく人間的な表情を避けて作品をとらえる必要がある。例えば梅の花を、始めは一人で堅い蕾を見せ、他はこれに対立する自然現象(風、雪、雨など)を様式的な動きで見せる。次に蕾から開花するまでを踊り手の人数の変化(増加)で表わし、最初に風雪を演じた人達が次第に花の表現に移り変ればよい。細部の振りも、日本舞踊の独舞でよく見かける扇や手先の表現を避けて、体全体の動きを工夫する。
 
〈風景を詠んだ作品考〉
 『江南の春』や『峨眉山月の歌』のような風景詩を個別振りの群舞で表わす場合は、一般的には作者と、作者の眼に映った情景の振りを並行して展開する。一般論だが作者の振りは人間的な表情や感情が振りを支える要点にもなるが、あまり芝居がかったりすると全体とのバランスを崩すから、最初から作者の眼を観客に委ねて(ゆだねて)、情景だけで群舞を構成することも出来る。
 さて、以上揃い振りと個別振りに分けて述べてきたが、実際にはこの両者が作品の中で共存する例が多く、またその方が変化に富んだものになる。そして結論としては、剣詩舞の群舞の振り付けは、創造性が豊かなもの程決め手になると思う。


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