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'06剣詩舞の研究■7
一般の部
石川健次郎
剣舞「越中覧古」
詩舞「折楊柳」
剣舞
「越中覧古(えっちゅうらんこ)」の研究
李白(りはく) 作
 
〈詩文解釈〉
 作者の李白(七〇一〜七六二)は盛唐を代表する詩人で、都で玄宗皇帝に仕えた期間を除いては多く遍歴(へんれき)の旅に費し、自然の山河を詠い、また日々酒を愛しては詩作に耽った。
 この詩も、李白が越中(越の国の都で会稽(かいけい)のこと、現在の浙江省紹興県)を旅した折に、春秋時代の呉越の戦いを偲んで詠んだものである。詩文の意味は『春秋時代の越の国の王である勾践は、ついに宿敵の呉を打ち破って凱旋した。従軍の勇士たちは故郷に帰り、王から賜わった錦の衣服を着て勝利に酔い、宮中の女性達もまた花の様に着飾って春の宮殿を賑わしたことであろう。然し今のこの地には、悲しい声で鳴く鷓鴣(しゃこ)(うづらに似た雉の一種)が飛びまわっているだけである』というもの。
 
越の会稽山にある部族神(竜神)の社
 
 さて越王の勾践が呉を破ったのが西歴前四七三年十一月のこと、李白がこの詩を詠んだのが推定で西歴七五〇年頃と思われるから、当時から約千二百年も昔のことになる。
 
〈構成振付のポイント〉
 この詩文を分析すると、結句だけが作者と同時代のことで、起承転の三句は千二百年以前の勾践の全盛を懐古したものである。然も承転句については、詩文の記述以上に具体的な描写が見当らないので、次に参考のために呉越の戦いのあらましを述べて置こう。
 この戦いは父子二代の約三十年にわたるシーソーゲーム的な戦争だった。西歴前四九六年に呉王・闔閭(こうりょ)は大軍を率いて越に向け南下したが、越軍の決死隊の逆襲で、呉王は毒矢に当って退去し、死の間際に子の夫差(ふさ)を呼び“越王の勾践が汝の父を殺したことを忘れるな”と遺言した。やがて呉王になった夫差は二年後に大軍を率いて太湖の南に進撃してきた。越王は重臣の范蠡(はんれい)が応戦は慎重にと提言したが聞きいれず、敵を侮った(あなどった)ために大敗してしまった。越王勾践は残った兵士と共に越人の部族神である雷神をまつる会稽山にこもり、呉王に対し「勾践つつしんで君の臣となり、わが妻は君の妾となりて仕えまつらん」と降伏した。滅亡をまぬかれた勾践は薪の上に寝て、朝夕に苦い(にが)胆をなめて、自分自身に“会稽の恥を忘れるな”と復讐を誓った。「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の二十一年を過した(すごした)勾践は西歴前四七三年、大軍を引きつれ遂に呉王夫差を姑蘇(こそ)山に追いつめた。今度は呉王が投降を申し入れてきたが、范蠡(はんれい)が反対したために自殺し、呉越の争いは終決したのである。
 さて勝利した越王は余勢をかって華中に兵を進め、覇王と呼ばれて得意の絶頂にあったが、范蠡は“飛鳥尽きれば、良弓は蔵せらす”とつぶやいてどこかに立去ったと云う。
 それでは本題に戻り、こうした呉越の戦史を参考にした剣舞構成の一例を次に述べることにする。
 前奏は勾践が会稽山の竜神社頭に刀を捧げて(ささげて)復讐の祈りを見せる。起句は密かに小刀(扇)を研ぎ懐に隠すと、突然向き変え呉王に激しく突いて攻撃して倒す。承句は馬に乗って凱旋する勾践の勇姿を剣技で見せると、転句は彼を迎える臣下達の大仰(おおぎょう)な拝礼に対して勾践は、扇と刀で戦勝の舞いを舞い、その扇を大盃に見立てて祝盃を呷り(あおり)深酔いする。結句はうたた寝していた作者に役変りして立上り、悲しげな雉のなき声に気をとられ、飛び去った方向に視線を向け、次に捨て置かれた刀と小刀(扇)を取り上げて感慨深く見詰めると、気を取り直し後奏で退場する。
 
〈衣装・持ち道具〉
 構成振付によっていろいろ役変りするが、主体は越王の勾践だから、着付は黒、茶、紺、グレーなどの紋付に調和した袴を選ぶ、女性の場合は同様。扇は黒骨の銀無地、又は竜の墨絵模様でもよい。
 
詩舞
「折楊柳(せつようりゅう)」の研究
楊巨源(ようきょげん) 作
 
〈詩文解釈〉
 作者の楊巨源(八〇〇年頃)は中唐の詩人だが生没年不詳。長く宮中や地方の役人を勤めながら優れた作品を世に出した。
 ところで「折楊柳」とは楽府の題で、通常は“別れ”がテーマである。中国では古くから別離の際に柳の枝を折って贈る風習があるが、その理由として、言葉の響きが「柳(りゅう)」と「留(りゅう)」とが同じことから、別れないで留めて(とどめて)置きたいと云う心の表現。また柳の枝を環(わ)にして渡す場合は、両端が再び結ばれることから、別れても又会えると云う意味を相手に伝えることになる。なお言葉の響きとしても、環(かん)と還(かん)から“早く還って(かえって)きて下さい”の意味にも通じる。(さし絵参照)
 
遣唐使「折柳の別れ」(守屋多々志筆)
 
 ところで楊巨源の場合は、この楽府題が必ずしも別離一辺倒ではなく、柳に吹く春風を擬人化しているのが面白い。さて詩文の意味は『岸辺のしだれやなぎは、今一斉に若芽を吹き始め、その枝の周囲は緑の靄(もや)に包まれているようだ。私は馬をとめて、君に柳の一枝を折ってもらったが、その柳の枝を春風が惜しむかのように、枝を持った手の中にまで風がゆっくりと吹き抜けて来た。』というものである。
 
水辺のしだれ柳(イメージ)
 
〈構成振付のポイント〉
 詩の前半は情景、後半は抽象的な内容だから、特に後半の振り付けのイメージを明解に表現して欲しい。次にその一例を詩文に沿って考えてみよう。まず起句は、水辺のしだれ柳が風にそよぐ景色を扇を使って表現する。承句は具象振りで、若者が友人を馬に乗せ水辺のほとりにかかる。若者は友人に別れの贈りものとするために柳の枝を折ってもらう。転句は抽象振りで、若者が手にした柳の枝(扇の見立て)が、どうしたことか春風に煽られて(あおられて)元の幹の方向に靡いて(なびいて)いく。結句は若者の心象として、自分は今日友人と別れるのが辛く(つらく)寂しいが、この手にした柳の枝も同じように思っているのだな・・・と感傷的な気分で柳を見つめて終るか、又は後奏で柳の枝に引かれる様に退場する。
 
〈衣装・持ち道具〉
 衣装は春らしい明るいもの、男性ならブルー系、女性ならイエロー系などがよい。扇は芽ふき柳の明るいグリーンのぼかしなどがよいが、造りものの柳の枝を利用する方法も考えられる。


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