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月刊「吟剣詩舞」2005 11月号

 事業名 通信衛星による吟剣詩舞の普及振興
 団体名 日本吟剣詩舞振興会 注目度注目度5


'06剣詩舞の研究◎6
一般の部
石川健次郎
剣舞「九月十三夜陣中の作」
詩舞「海を望む」
剣舞
「九月十三夜(くがつじゅうさんや)陣中(じんちゅう)の作(さく)」の研究
上杉謙信(うえすぎけんしん) 作
 
〈詩文解釈〉
 この詩は、上杉謙信(一五三〇〜一五七八)が能登の畠山義春を攻めて七尾城を落としたときに詠んだものである。
 まず作者の上杉謙信について述べておくと、謙信はいう迄もなく武田信玄と並んで戦国時代の名将として知られているが、謙信は越後(新潟県)の守護代(領主)長尾為景の二男に生まれた。その後上杉憲政の家督を受け、上杉輝虎と称し、関東管領職を与えられた、よく知られる謙信の名は出家名で不識庵と号した。彼は幼少から勇気があり又学問を好み、長じては戦略にすぐれ勢力を広げた。
上杉謙信像
 
 最も有名なのは武田信玄との川中島の合戦で、天文二十二年(一五五三)から永禄七年(一五六四)までに五回の合戦を試みた、因みに両雄の激しい争いがあったのは四回目であった。
 一方上杉謙信は、戦国の武将として天下統一を成し遂げるため、京都に上る望みを抱いていたが、越中の武将たちが武田信玄と共に阻んで(はばんで)いた。しかし信玄が天正元年(一五七三)に病死したので、謙信は直ちに越中を平定し、更に能登、加賀に進出しようとした。
 天正四年、上洛の前に立ちはだかる能登の七尾城(畠山義春)を攻めたが、ここは織田信長の後ろ盾で一向に動じない。しかし翌五年秋、城内にクーデターが起こって七尾城は遂に落城した。
 一方、七尾城を支えていた織田信長軍も退却を始めたが、加賀湊川の増水で逃げ場を失い大打撃を受けた。上杉謙信は翌春にも信長と雌雄を決すべきと、一旦帰国したが、天正六年三月十三日、謙信の急逝によってこの目的は果たせなかった。
 さて以上上杉謙信について述べたが、次に本題の詩に戻ろう。天正五年九月十三日、兵力三万を率いて七尾城を攻め落とした謙信は、十三夜の月が輝く陣中で次の様な内容の詩を詠んだ。『十三夜の月に照らされた連中は霜で真白、またその冷気で体は引き締まる思いがする。真夜中の空を仰げば雁が列をなして飛んで行った。自分は今戦いに勝って、越中越後の山々と、手に入れた能登の景色を眺めて満足感に浸っているが、故郷の家の者たちは何も知らずに、この自分の身を案じていることであろう。』
 
七尾城地図
 
〈構成振付のポイント〉
 詩文からもわかるように結句以外は自然の情景が述べられているから、剣舞よりも詩舞的な感覚にとらわれがちである。しかしこの作品は、作者の上杉謙信が武将として、戦勝の感激を込めた上での情景詩だから、舞踊表現のテクニックとして刀を情景描写の持ち道具として活用する必然性は充分にある。
 その一例として、前奏で馬に乗った作者謙信が登場、起句では月光を浴びた馬上で抜刀し、月にかざす。地上に降り立つと、その凍り付くような刀の冷気を舞台いっぱいに広げる様な剣技を展開する。承句で述べられる雁の列を、刀身の縞模様に“見立て”の手法で処理し、刀に向けた視線を次第に中空に移して美しいポーズを見せる。転句は詩文を間接的に扱い、越中・能登に遠征した戦い(たたかい)を迫力のある剣技で見せる。結句も間接的ではあるが、前句をうけて勝利の満足感と郷愁を、刀と扇を使って表現するとよい。
 
〈衣装・持ち道具〉
 上杉謙信の陣中の拵えとしては、衣装の着付けは黒紋付に袴が一般的で、振付によっては鉢巻でアクセントをつけることも出来る。刀以外の持道具としては、天地金か銀無地の扇がよいが、軍扇模様でもよい。
 
詩舞
「海(うみ)を望む(のぞむ)」の研究
藤井竹外(ふじいちくがい) 作
 
〈詩文解釈〉
 作者の藤井竹外(一八〇七〜一八六六)は江戸末期の詩人で、名は啓(ひらき)、竹外は号である。摂津(大阪)高槻藩の名門に生まれ、頼山陽の教えを受ける。七言絶句を得意とし、「芳野懐古」「花朝澱江を下る」などは有名で自然の情景の表裏を巧みに描写する。おおらかな性格で酒を好み、晩年は官を辞し悠々自適の生活を送った。
 処でこの詩は作者藤井竹外が海と向かい合ってその思いを述べたもので『無限とも云える遠い水平線を望んで、水と空とが連なる辺りの、いったい何処に無人の島があるのであろうか。よく見れば、風を追う様に、荒れ狂った波が勢いづいた馬の様に海上を渡って来るが、突然に波が海面すれすれの暗礁にぶつかって砕け、一瞬、煙が立ち昇った様に見えた』と云うものである。
海を望む(イメージ)
 
〈構成振付のポイント〉
 自然の風景描写を得意とした作者らしく、海の情景が彷彿と浮かんで来る。但しこの作品を舞踊(詩舞)として構成する場合前項でも述べた様に、或るいは詩文の出典はかなり意訳した方がよいと思う。(安達漢城作「太平洋上作有り」が参考になる)この作品でも壮大な海の描写には「荘子」逍遙遊篇ほかの語の引用で、例えば起句の一文でも海を飛ぶ鵬が幾千里の翼を持つことや、無人の島についてもフィクションとして巨大なエネルギー源の形容語に止めておこう。
 そこで、次に詩舞にふさわしい、壮大な海を様々に描いてみた。
 先ず前奏で作者の登場、当時南蛮渡来の望遠鏡(扇で代用)を携えている。『起句』は望遠鏡を両手でかまえ広い範囲を見渡す最中に、足もとが浸水して来て慌てて飛び去ると、扇を開いて足もとの満ち潮の様子を二重・三重と表現する。次の『承句』にかけては、沖の鴎が天に飛び交う様子を二枚扇で見せ、茫々とした沖の空に消え去っていく。
 『転句』は鴎が飛び去った空に、静かに風が流れると、帆掛け舟が緩やかに海上を行く。
 ところで『結句』は海上の様相が一転し、荒波が折り重なる様に激しく動き、白い波が黒い暗礁に砕けて、一瞬の間に白い噴煙の如く立ち上った。後奏は再び作者に戻って静かに退場する。
 
〈衣装・持ち道具〉
 登場する人物は作者の藤井竹外だけ。表現する事柄は空と海と波が主役。從って衣装の着付けは紺系がよく、袴はグレー系がよい。持ち道具(扇)は銀無地。
 
今月の詩(3)
平成十八年度全国吟詠コンクール指定吟題から
【幼年・少年の部】(絶句編)(3)
大楠公 徳川景山
 
【大意】あの獣の豹でも死んだ後に、美しい皮を残す。まして人間が死んで美名をこの世に留めるのは偶然であろうか。決して偶然なことではない。忠義を全うすれば、死後その名は永く人に記憶されて、いつ迄も世に残るのである。南朝の忠臣楠木正成公の戦死を遂げた湊川の遺跡に来てみれば、川の流れが遙かに遠く天に連なっている。人の生涯には限りがあるが、立派な人物の名前はこの川の流れのようにいつ迄も尽きないのであって、楠公の純粋な忠義は、万古にわたってわが国民の間に伝えられることであろう。
 
【青年の部・一般一部・二部・三部】(絶句編)(3)
立山を望む 国分青
 
【大意】日本三霊山の一つである富山県・立山の麓に宿泊した翌日のあけがた、その山容を望んで感激を述べたもの。
 名山にあこがれて、四十年来、この立山を夢にまで見つづけてきた。きのう暮れがた山麓に着き、宿から眺めたが、雲や靄が一面にかかって何も見ることができなかった。今日天が明け、日が出て山の姿が現れだしたので、驚いて思わず丁寧に会釈すると、潔らかな雪に輝く連峰が、ならび立つ仙人のように目前に迫っているのであった。
(解説など詳細は財団発行「吟剣詩舞道漢詩集」をご覧ください)


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