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審査委員
芸術監督 審査委員長
岩淵 龍太郎教授
ヴァイオリニスト
 日本音楽コンクール入賞後、ローゼンシュトック指揮の新響(現在のN響)の1940年定期公演の独奏者としてデビュー。1949年から1956年までNHK交響楽団のコンサートマスターとして活躍する一方、独奏者としてシューマン、バルトーク、エルガーなどの協奏曲を日本初演。また、1953年プロムジカ弦楽四重奏団を結成し、その第1ヴァイオリンとしてベートーヴェン、バルトーク等の全曲連続演奏をはじめ多彩な室内楽活動を行い、我が国の室内楽の発展に大きく貢献する。桐朋学園大助教授を経て、1962年より京都市立芸大教授、1988年より音楽学部長を勤め、現在京都市立芸大名誉教授。また、1981年より神戸室内合奏団音楽監督を勤める。現在、日本弦楽指導者協会会長をはじめ各種団体役員を勤める。芸術選奨文部大臣賞、神戸市文化賞などを受賞。1992年「京都市文化功労者」の称号を授与され、1995年京都コンサートホール館長に就任し、引き続き現在は名誉館長。同年ポーランド共和国文化功労勲章を、また1998年には勲三等旭日中綬章を受章。2000年、第18回京都府文化賞特別功労賞を受賞する。
 
ミッシェル・アリニョン教授
クラリネット奏者
 フランスを代表するクラリネット奏者。16歳でフランス国立パリ高等音楽院に入学が許され、U.ドレクリューズにクラリネットを学ぶ。18歳で同音楽院をクラリネットと室内楽のプルミエ・プリを得て卒業、その後アメリカのミシガン大学で研鑽を積む。1978年、ピエール・ブーレーズ率いる「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」のソロクラリネット奏者として創立時より83年まで活動。ここで20世紀のレパートリーの殆どを録音する。そのかたわらオルレアン国立音楽院の教授を務め、1984年から89年までパリ・オペラ座管弦楽団の首席奏者として活動。1989年、フランス国立パリ高等音楽院教授に就任し現在に至る。モーツァルト以前のクラリネットの為の作品から現代に及ぶ幅広いレパートリーを持ち、その超人的な技術と共に現代音楽の演奏解釈には定評があり、多くの著名な作曲家から作品を献呈されている。活発な演奏活動と共に、数多くの録音も手掛けている。また、世界各地の講習会及び著名コンクールの審査委員に招かれ、後進の育成にも情熱を傾けている。
 
ザハル・ブロン教授
ヴァイオリニスト
 1947年旧ソ連のウラルスクに生まれる。ブリュッセルのクィーン・エリザベート国際コンクールやポズナニのヴィエニァフスキ・コンクール等著名なヴァイオリンコンクールの優勝者である。初めにオデッサのストリアルスキー音楽学校で指導を受け、モスクワのグレスィン音楽学校で、ボリス・ゴールトスタイン教授のもとで研鑽を積む。その後、チャイコフスキー音学院でイゴール・オイストラフ教授に師事し、在学中に優れた演奏能力が認められ、教授補佐となる。
 また、多数のCD録音に際し、その才能が世界的なレベルであることを示している。更には、グリンカ(ノボリビスク)、リュベック、ロッテルダムの各音学院やロンドン、マドリッドの音楽アカデミーで、教育者としての才能を発揮している。彼のマスタークラスヘは世界各国からの多数の申込みがあり、そのことを物語っている。著名な国際音楽コンクールの入賞者の中に彼の指導した生徒がいつも入っている。その中には、日本の樫本大進、木嶋真優等が含まれている。
 近年では指導者としての能力が買われ、世界各国の国際コンクールの審査委員に招かれる。また、日本、ポーランド、ブルガリア、ロシアでの教授を勤める一方、1998年以降はケルン音楽大学教授に就任している。
 
ミハエル・フリッシュンシュラーガー教授
ヴァイオリニスト
 ザルツブルグ出身のソリスト、室内楽奏者、ヴァイオリン教育者。ヴァイオリン、指揮、音楽学をザルツブルグ、ケルン、ウィーン、ローマの音楽院や大学で学ぶ。テオドァ・ミュラー、アンドレ・ゲアトラー、フランツ・サモヒール、ユーディ・メニューインに師事。オーケストラで音楽経験を得た後、ソリスト及び室内楽奏者として積極的に演奏活動に励み、コンサートをヨーロッパ各国、北米、アジアで行う。1971年以来ウィーン音楽大学教授となり、優秀なヴァイオリニストを数多く排出する。1984年弦楽部門の部長就任後、同大学副部長となり、1992年〜1996年同大学学長、現在同大学名誉学長。彼のマスタークラスやゼミナールには多くの学生が集まるとともに、ヴァイオリンや室内楽の著名なコンクールの審査員を勤める。またウィーンのフリッツ・クライスラー国際コンクール会長を勤める。1990年プラハ・ウィーン・ブダペストでの国際夏季アカデミーを設立し、その理事長となる。またヨーロッパ弦楽指導者協会のオーストラリア本部会長や国際音楽コンクール世界連盟の副会長も長年勤めている。
 
チャーミャン・ガッド教授
ヴァイオリニスト
 オーストラリア出身。1960年シドニー音楽院卒業。1962年オーストラリアのA.B.Cコンクールで1位入賞を果した後、渡米。これまでリチャード・ゴールドナー、ヨゼフ・ギンゴールド、ヘンリク・シェリングの各氏に師事。ヨーロッパで活動後、アメリカ・ピッツバーグのデュークエンス大学、後に西海岸の西ワシントン大学の教授に就任。
 ウィーン・ヴァイオリン国際コンクールに入賞。フィラデルフィアのエンマ・フェルデマン賞を獲得。
 これまでに三つの著名なピアノトリオのメンバーとして演奏してきた。1960代はラズロ・ヴァルガ氏、イストヴァン・ナーダス氏とトリオ・コンチェルタンテを結成し、1970年代はパトリシア・バール氏、フリッツ・マッグ氏とトリオを結成。最近ではカスリン・セルビー氏、ミハエル・ゴールドシラーガー氏との3名でオーストラリア・マクワイヤー・トリオを結成している。
 1980年に帰国し、現在シドニー音学院及びキャンベラ音学院の弦楽部長、オーストラリア音楽院のセレクティヴプログラムの芸術監督を務める。
 
金 昌国教授
フルート奏者
 大阪生まれ。神戸高校在学中にフルートを始め、東京芸術大学に進む。大学院在学中に日本音楽コンクール第1位、1969年に渡欧し、ジュネーブ国際音楽コンクール2位(1位なし)。1970年より、ドイツ、ハノーヴァー国立オペラ管弦楽団首席奏者を勤める。1981年に帰国し、東京芸術大学に勤務、現在に至る。1968年のデビューリサイタル以来、一貫してソリストとして活動を続けている。日本、ドイツをはじめとするヨーロッパ、アメリカ、アジア各地でオーケストラとの協演・リサイタル・音楽祭等に登場している。1986年「アンサンブルofトウキョウ」を結成し、室内楽活動の主要な基盤としている。また指揮活動も開始し、この「アンサンブルofトウキョウ」をはじめ「大阪チェンバーオーケストラ」「九州交響楽団」「アンサンブルさいたま」で指揮する機会も多い。神戸国際フルートコンクールの審査委員長の他に、大阪国際室内楽コンクール、ミュンヘン国際音楽コンクール、ブダペスト国際音楽コンクール、ニールセン国際コンクールの審査委員を勤める。現在、東京芸術大学教授、富士山麓国際音楽祭音楽監督、やまなみ国際音楽祭デイレクター、アンサンブルさいたま音楽監督。2001年神戸市文化賞受賞。
 
ロバート・マスターズ教授
ヴァイオリニスト
 ロンドン王立音楽院教授、特別研究員を歴任し1981年の引退までメニューヒン学校の校長を勤めるとともに、40年間メニューヒン卿と共に音楽活動に努めた。1958年〜1978年メニューヒン・フェスティバル・オーケストラのコンサートマスターを勤めるとともに、メニューイン卿と世界各地でのコンサートツアーで共演する。
 彼自ら25年以上もピアノ四重奏団を主宰する等、室内楽で重要な役割を果たしてきた。また、長年ロンドン・モーツァルト・プレーヤーズのコンサートマスターを勤める。1983年〜1995年フォークストーン・メニューイン・ヴァイオリンコンクールの音楽監督他、世界各国の著名な国際コンクールの審査委員を勤めている。
 
中川 良平教授
バスーン奏者
 京都生まれ。東京芸大卒業後、1963年米国エール大学院を終了し、マスターオブ・ミュージックの学位を得る。レオポルド・ストコフスキー指揮のアメリカ交響楽団、ニューヨーク・シティ・オペラ・オーケストラ他の各首席バスーンを歴任。室内楽分野では、マルボーロ音楽祭をはじめニューヨークの数々のグループで活躍した。1978年より20年間にわたり、米国3大音楽祭の一つアスペン音楽祭の教授/首席奏者をつとめた。管楽器のための室内楽編曲の分野にも卓越した才能を示し、その編曲作品はカール・フィッシャー、テオドール・プレッサー、(株)杉原書店、音楽之友社から出版され国際的に高い評価を得ている。1976年帰国。東京都交響楽団、新日本フィル、愛知県立芸術大教授を歴任。1994年西洋音楽史上初のコンセプト「現代音楽器によるJ.S.Bach演奏」を提唱し「東京バッハバンド」を創立。ライブCDシリーズ「Merry Xmas to 0nkel Sebastian!」(1995年)、「J.S.BACH with his Italian and French Friends」(1999)、[R.Nak & nie "Tokyo BACH-BAND" sings Lullaby of Bach-Land](1999)は国際的に高い評価を受けた。(株)杉原書店から「ピアノと木管五重奏のためのニッポンの歌、心の歌」全20曲の楽譜とCD、新編成室内楽「ピアノとバッハバンド・カルテット」全22曲、世界でも類を見ない165曲収録のバスーン2重奏曲集、「一人ぽっちのBn吹きのためのバッハ曲集」、「一人ぽっちのBn吹きのためのヴェニス謝肉祭」等を出版している。
 
ミラン・シュカンパ教授
ヴィオラ奏者
 1928年プラハに生まれる。ミラン・シュカンパ教授は最も著名なチェコの教師およびセヴシック学校の主要な主唱者と共にプラハ芸術院でバイオリン研究を終える。1950年代、彼は更にプラハのチャールズ大学から音楽学の博士号を取る。バイオリン奏者としての10年間のキャリアを経て、楽器と理論の両面の優れた才能の点から同教授は1956年、世界的に名高いスメタナ・クァルテットより、ヴィオラ奏者として、また、音楽面のアドバイザーとして誘いを受ける。このユニークな提示は、彼の芸術に対する志向と完全に一致したため、同教授は躊躇なくヴィオラ奏者へと転向し、わずか数ヶ月でクァルテットのレパートリーをマスターする。
 その後33年間のスメタナ・クァルテットのメンバーとして、約120の録音と54国で約3400のコンサートを開く。1966年以来、プラハ音楽院でヴィオラと室内楽を教え、1990年からフローレンス音楽院で弦楽四重奏を指導する教授となる。彼は主としてレオシュ・ヤナーチェクの弦楽四重奏曲の研究を精力的に行う。1980年代の初め以来、彼の実践的・理論的な数十年間の経験を利用して、同教授は、しばしば世界中の弦楽四重奏、ピアノトリオ、ヴィオラ、ヴァイオリンのマスタークラスを指導し、弦楽四重奏の国際コンクールの審査委員として熱心に活動している。
 
安田 謙一郎教授
チェリスト
 1944年生まれ。1955年より斎藤秀雄氏に師事。1959年桐朋学園高校音楽科入学。1966年第34回音楽コンクール第1位大賞、海外派遣コンクールで特別表彰を受ける。1966年第3回チャイコフスキー国際コンクール第3位入賞。ガスパール・カサドに師事。1968年よりフィレンツェおよびケルンにてピエール・フルニエに師事。1969年ルツェルン・フェスティバル合奏団のソリストとなり、同合奏団のヨーロッパ、日本、アメリカ、カナダ演奏旅行に同行する。1969年より1973年までにフルニエのアシスタントとして、チューリッヒの夏期講習会に同行。その後、ヨーロッパ各地でリサイタル、コンチェルト、レコーディングなど多方面で活躍。1974年にはサンフランシスコで小澤征爾指揮サンフランシスコ響と共演。プラード・カザルス、サン・モリッツ、モントルー、グスタード・メニューインなどのフェスティバルに参加。1986年には安田弦楽四重奏団を結成、クワルテットの活動にも多くの力を注ぎ、80曲におよぶハイドンの弦楽四重奏全曲演奏、ベートーヴェン年代順室内楽作品の演奏会など貴重なコンサート活動を続けている。現在、桐朋学園大学の特任教授を勤める。


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