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吟剣詩舞だより
岳精流日本吟院
全国吟道大会
平成十六年六月二十七日
川崎市教育文化会館(大ホール)
岳精流日本吟院
平成十六年度の全国吟道大会を開催
 岳精流日本吟院の「平成十六年度全国吟道大会」が、去る六月二十七日、川崎市教育文化会館大ホールにて開催されました。
 
式典で挨拶される横山岳精宗家
 
 梅雨の時期でもあり、天候不順が気がかりでしたが、幸い雨は降らず、なによりでした。
 当日、大会への参加者は、全国の会員が約一、七〇〇名、宗家の後援会の方々を含めて総数一、八〇〇名に上り、午前九時二十七分から、プログラムに沿って行事をこなし、午後五時十八分、すべてを終了しました。盛大かつ、厳粛なうちに、参加者全員に“本日は満足して帰っていただけた”との感を強めることができました。
 さて全国吟道大会開催につき、財団法人日本吟剣詩舞振興会からは、大会の後援を頂き、かつ河田和良会長からお祝辞と生花を賜りました。
 平成十六年度の全国吟道大会は、昨年の経験に学び、開催時間の圧縮(計画に対し十二分早く終了)とスライドつき構成吟の企画準備に早くから取組み、会員各位の好評を得たことが、一つの特色でした。
 また式典では、宗家・横山岳精先生が、笹川良一財団創始会長の“日本は物で栄え、心で滅びる!”今こそ吟を拡げなければ・・・という点を改めて強調されました。また横山岳精後援会長・加藤丈夫様のご挨拶と長年功労のあった諸先生一〇名への、宗家先生から総伝授与(雅号=精)がありました。
 岳精流日本吟院は、平成十六年四月から会員増強のキャンペーンをはじめました。全国吟道大会の盛会ぶりは、会員増強に大きな刺激を与えたと、確信しております。
(岳精流日本吟院総本部 広報部長 福島赳風)
 
第十七回北紋総連盟吟剣詩舞道祭
平成十六年六月十三日
遠軽町福祉センター大ホール
 
 公認・北海道北紋吟剣詩舞道総連盟では平成十六年六月十三日午前十時より、遠軽町福祉センター大ホールで表題大会が開催されました。
 
「月夜荒城の曲を聞く」岳翠流(紋別)の合吟
 
 修禮に続き副大会会長前崎國戒が開会の辞を宣言、国歌斉唱、財団会詩合吟後吟剣詩舞第一部開演、蘇軾作「春夜」の独吟に始まり粛々と、また絢爛に会場に起こる万雷の拍手のうちに進行。静凰流の構成吟「李白を詠う」峨眉山月歌他六題の独吟で第一部を終了。式典は大会会長佐藤岳稜理事長の式辞に始まり、開催地、遠軽町より歓迎と敬意溢れる祝辞を頂き、財団河田和良会長よりの祝電を大会委員長斉藤岳鷹が披露して終了しました。昼食休憩後、第二部は歌謡吟詠詩舞で再開。当総連近年の特色として財団伴奏集の積極的採用等音楽的吟詠の取組み、また、大会役員間の連携も密で進行上滞る事なく、プログラム五六番組を定刻通り午後二時三十分、盛会裡に終了しました。
 いよいよ二十回の節目に向け一同更なる研鑽を誓い、散会しました。
(北海道北紋総連盟事務局)
 
伯人青年も勇壮な詩舞
舞台に生きる伝統文化
飛び入りもあった全伯吟剣詩舞大会
 ブラジル吟剣詩舞連合会(住田定男会長)主催による第四回全伯吟剣詩舞大会が、六月六日午前十時からサンパウロ・岩手県人会館大サロンで盛大に開催されました。
 戦没者へ一分間の黙祷が捧げられた後、住田会長は「今年三月にマリンガ市で詩吟のご指導に活躍された窪田博夫先生がお亡くなりになり、ブラジル吟界もますます寂しくなって参りました。しかし、こうした先輩の方々が残してくださった大和精神や姿勢を重んじ、見習い、日本の伝統文化の継承と普及のために努力するという重大な責任が我々に求められていると痛感しております」と挨拶されました。
『サンパウロ新聞』より転載
 
ブラジル青年たちの勇壮な詩舞
 
がんばれ現役
高野秀子さん(八十七歳)
(ブラジル邦字新聞『サンパウロ新聞』より転載)
 
 
 第四回全伯歌謡吟剣詩舞大会で仲間三人と見事な詩舞を披露したのが高野秀子さん、一九一七年(大正六年)十一月二十五日生まれの八十七歳。宮崎県出身。背筋をシャンと伸ばしキリッと足を運ぶ姿は若々しさが溢れている。
 高野さんがブラジルヘ移住したのは戦後のこと。宮崎県の住んでいたところが新田原(にったばる)飛行場の真下で戦前は東洋一といわれた空軍基地だった。戦争が終わっても飛行場はそのまま残ることになり、高野さんの耕地は返してもらうことができなかったため「こんな日本にいてもしかたない。広いブラジルで再出発しよう」と政府の大宣伝を信用して五十五年に家族で移住した。
 入植はカフェランジャ。伯人の経営するコーヒー農園は樹が古く、しかも前年にブラジルを襲った大霜で、樹は灰色に枯れていた。将来大きな収穫の見込みもなく耕地を諦めて、一年でサンパウロに出てきた。当時の様子を高野さんは「私たちはまるで奴隷のようだった」と語る。
 サンパウロの近郊イビウナで野菜つくりを始めた。やっと軌道に乗った六年目に夫が五十三歳で他界、高野さんは四十六歳で未亡人となり小さな六人の子供たちが残された。
 「本当に苦労しました。どん底の生活も経験したんですよ」と微笑んだ高野さんの顔からは苦労の跡は見えない。持ち前の朗らかさと頑張りでこの苦難を一歩一歩乗り越えてきた。
 農業を十年間経験して、長男が聖市で小さなスーパーを開店、一時は繁盛したが、だんだん治安が悪くなり、強盗などの被害もあってとうとう店をたたんだ。
 高野さんの踊りの経歴は長く、かれこれ四十年以上だ。知り合いから「踊りに行きましょう」と誘われたのをきっかけに日舞をはじめた。二十五年前、祥流の宗家松永悠楓さんがブラジル公演をしたのをきっかけに、詩舞の魅力に取り付かれた。
 現在のように簡単に飛行機で日本へ習いに行くことが出来なかった時代で、普及し始めたビデオを使って練習に励み、自分の踊りも宗家へ送って評価してもらうということを何度となく続けた。
 詩舞の魅力を「詩舞は吟じる詩に含まれる意味がすばらしい。それが解っていないと踊れませんよ」と。
 一世でこのまま終わるのではないかと心配されていた詩舞も同じ祥流、加藤イツ子さんの支部に新しく二十人以上のブラジル人生徒が入会し、これからの成長が期待されている。
 祥会の詩舞は純然たるボランティアで月謝も免許申請も無料で行なわれている。現在、高野さんは祥流名誉会長に就任しており、なにわ会館で二十年以上教室を開いて、毎週月曜日の午前九時から午後四時まで後輩の指導に当たっている。
 高野さんの自慢は六人の子供たちがそれぞれりっぱに成長して現在二十二人の孫とひ孫二十三人に恵まれていることだ。これからも身体の続く限り日本人の心を詠う詩舞を踊り続けて行くと生涯舞踊家現役を貫く意気を見せていた。


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