日本財団 図書館


'05剣詩舞の研究◆6
青年・一般の部
石川健次郎
 
剣舞「暁に発す」
詩舞「山行」
剣舞
「暁(あかつき)に発す(はっす)」の研究
月田蒙斎(つきたもうさい) 作
〈詩文解釈〉
 作者の月田蒙斎(一八〇七〜一八六六)は江戸末期の儒者。肥後の出身で少年の頃から勉学を好み、近在の田代是宗の塾に学び、一九歳で熊本の辛島塩井(からしまえんせい)から指導をうける。さらに天保元年には京都の千手旭山(せんじゅきょくざん)の塾に入り、北陸、江戸と旅して実理を学び、天保大飢饉の実態などを見る。天保四年に江戸を去り島原を経て故郷に帰った後、熊本藩の時習館訓導になるが、さて此の詩が作られたのは、同年陰暦八月に帰省の途中、浜松辺りで詠んだとされている。詩文の意味は『西の空にまだ月が残っている早朝に出立すると、朝露がしっとりと袂をぬらし、また明け方の風が髪に吹きつけてきて、ひんやりとした秋の冷気を感じさせる。ふと気がつくと、行く手に大きな蛇が道に横たわっているので大いに驚き、とっさに刀を抜いて切り捨てようとしたが、よくよく見れば、それは松の古木がうつした影であった』というもの。
 
〈構成・振付のポイント〉
 今から百七十年程前に、作者の月田蒙斎(当時二十七歳)が東海道浜松辺りの松林を旅した様子が、時代劇の映画や芝居を見ているように彷佛(ほうふつ)としてくるが、後半は松の影を大蛇と見違えて斬りかかったとテーマは急展開する。通常の剣舞に登場する武人像とは一と味異った極く自然な人物描写が面白いが、この出来ごとをコミックに扱うことは剣舞の性格上賛成出来ない。また作者は学者だが、実技上は武人の人格をそなえるべきであろう。さて詩文中心に舞踊構成を考えてみると、前半は初秋の情景描写に尽きてしまうので、詩文に述べられてない部分まで範囲を広げ、前項で述べた作者像をオーバラップさせながら剣技を進展させるとよい。たとえば前奏は無念無想の雰囲気で登場、起句は中央で居合の抜きつけの型を演じ、抜刀のまま月光にかざして、朝露のしたたりを払う様な抽象動作を経て納刀、その動きに続いて両袖を強いタッチで振り払って一先ず納める。承句は扇で風の描写とそれを受ける旅人が笠を飛ばされない様に両手で押さえる対比の動きを考える。転句は前句の流れを受けて勢い(いきおい)付いたはずみに、大蛇を発見した思い入れがあって、驚いて笠(扇)をとばし抜刀の構えを見せる。結句は身構えを遠くから次第に近間ににじり寄り間隔を詰め、刀の構えも上段から下段へと移行する。影を実像と見違えた思い入れの後、納刀したら扇を出して見違えた影の場所から松の枝の方向へと検証の動作を指してそのポーズで終り、退場は登場と反対の方向に進む。
 
錦絵「東海道五十三次」浜松(部分)
 
 以上の構成例より更に考え方を押し進め、後半の松の存在を、作者が江戸で見た幕府の権威などが、その実体は本物ではなく影の様なものだ・・・と置き変えることも出来るが、そうした場合は抽象的な振付と更に構成も変ってくるだろう。
 
〈衣装・持ち道具〉
 表現の内容が色々に変化するが、作品の発端は作者が故郷に帰る“旅”の出来ごととして考えれば、衣装は旅にふさわしい地味な色目の紋つきに袴がよい。扇は薄茶の無地などが無難であろう。
 
詩舞
「山行(さんこう)」の研究
杜牧(とぼく) 作
〈詩文解釈〉
 作者の杜牧(八〇三〜八五二)は晩唐の詩人で、三十代前半まではエリート官僚として洪州・宣州・揚州・洛陽などに勤務した。後半は弟の面倒を見るために栄達のコースからはずれて五十歳で没したが、その間杜牧は軽妙な持ち味で「江南の春」など七言絶句に優れた作品を残した。この「山行」を詠んだ時期や場所は不明だが、秋の日に山を歩いた杜牧が、そこで美しい紅葉を見つけた感激を見事に捕えている。
 詩文の内容は『遠く続くさびしい山道を登って行くと、石ころの多い小道がななめに折れ、その先には白い雲がたな引き、人家が見えた。車からおりて気ままに夕暮れの楓の林を眺めていたら、ふと目の前に霜(しも)のため紅葉した楓の葉が夕陽に映え、春の花より一層赤味を増して美しかった』というもの。
 
〈構成・振付のポイント〉
 この作品は前半だけを読むと、詩文の意味は作者の杜牧自身が徒歩で山道を登って行き、承句の白雲生ずる所までたどり着くといった“山歩き”のイメージを描くことができる。しかし次の転句の「車を停めて」の詩文になると、作者は最初から車に乗っていたと云う設定になる。勿論車と云っても挿絵の様な小型の人力車を想定したい。
 
「山行」の図
 
 そこでまず前奏はのどかな山脈(やまなみ)の風景を扇で流れるように描きながら登場し、起句は途中から二本扇を車輪に見立てて回しながら石ころの多い山道を進む。承句の「白雲」は棚引く雲と解釈し、「人家」の存在も山小屋風な幽玄な山の情景として展望して、再び車を進める振にする。さて転句に変ったら作者はそこに見事な紅葉を発見して車を止めて降り立ち、好奇心にかられながら美しい楓(かえで)の林の中をそぞろに歩く。結句は色の美しさに圧倒された作者の心象を、夕陽とその光に染まった楓を、真紅の二枚扇で抽象的な扇のテクニックで盛上げ、最後は扇を再び車に見立てて退場する。
 
〈衣装・持ち道具〉
 主役が作者なので“杜牧”のイメージになるが、この作品は秋の情景を舞うことが主眼だから、演技者の個性を活かした衣装・小道具・髪型を考えればよい。男性の衣装の例としては茶系の紋付に袴。扇は車輪の見立てに茶の無地と、紅葉の真紅の無地を用意したい。振付によっては扇の表裏で使い分けてもよい。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION