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対談:
海の沿岸域に棲む生物とIMOのバラスト水管理条約
東京大学 アジア生物資源環境研究センター教授
福代 康夫(ふくよ やすお)
聞き手:日本海難防止協会 海洋汚染防止研究部長
菊地 武晃(きくち たけあき)
はじめに
菊地 本日は、水産分野のほか海に棲むプランクトンに詳しい海洋生物学者である福代先生に、バラスト水で問題となっている生物や国際海事機関(IMO)の管理条約について、ご専門の立場からのお話を聞かせていただきたいと思います。
福代 よろしくお願いします。
菊地 さて早速ですが、現在のわが国の外来種生物の研究や繁殖状況は、どうなのでしょうか。
福代 まず、外来生物に対する認識、あるいは環境・社会生活に及ぼす影響に関する日本の研究は、ほかの国に比べて遅れていると思っています。特に、海洋生物に関しては遅れています。
 日本では沿岸漁業が盛んですが、養殖漁業の場合はその場所にいる魚や貝ばかりでなく、よその地方で採れるおいしいもの・価値のあるものを新たに持ってきます。
 たとえば、西日本に東日本にしかいなかった二枚貝を持ってきて養殖する。牡蠣がいない砂浜などの場所で、イカダを組んで牡蠣を養殖する、ということは従来から行われていたことで、沿岸に新しい生物が入ってくるということに、その土地の人もさほど抵抗感や問題意識はありませんでした。そのため、外来種によって生態系が乱れているという問題が起こっても、なかなか問題であるという意識にならなかったという背景があると思います。
 
取り込まれる1兆個の生物も長期航海では多くが死滅
菊地 大型原油タンカーや大型コンテナ船などのバラスト水には、どれほどの生物がいるのでしょうか。
福代 バクテリアは1mlの中に1万個、研究者によっては100万個と言う人もいます。仮に、バクテリアを除いて考えたとして、1mlの中に生物が100個しかいない水は、きれいな水との印象を持ちがちですが、1にすると生物量は10万個にもなります。最近はバラスト水を使う船が巨大化していますから、1cm四方の大きさの水の中に100〜1,000個以上の生物がいたとしても、1隻あたりに換算すると膨大な数にのぼることになります。
 
聞き手の菊地海洋汚染防止研究部長
 
「バラスト水問題はこれからが正念場」と熱く話す福代教授
 
菊地 タンカーだと6〜8万トンといったところでしょうかね。
福代 そうですね。ですから、1兆個を超える生物が排出されているとしても不思議ではありません。ただ、バラストタンクの中は棲みやすい環境ではなく、植物プランクトンなどの生物は、1週間も経過すると90%くらいが、2週間もすると95〜98%が死んで数が減ります。
 海は、ケシ粒くらいの植物プランクトンがすべての生物の基盤になっており、1匹の魚には、1,000個の動物プランクトンとその1,000倍、すなわち100万個の植物プランクトンが必要だといわれています。
 しかし、バラスト水の中では光合成できない植物プランクトンは死にやすいため、航海が1週間を超える船では、たとえば1対1,000対1,000といった比率で植物プランクトンに対し動物プランクトンが多いアンバランスな状況にあると考えられます。
 
外来種の代表格はムラサキイガイ
菊地 なるほど。では次に、日本にいる外来種の代表的なものを紹介ください。
福代 沿岸では、ムラサキイガイが代表的な例でしょう。
菊地 ムール貝と呼ばれる貝ですか。
福代 ムール貝というのは、ミチルス・エデュリスという種類だと思いますが、これは日本にはいないようです。日本のイガイの仲間は、大きく3つに分かれるといわれています。日本に古くからいた種。本州に広がっている種。九州南方にいる種です。日本にいた種は北海道周辺にしか見られません。
 
 
菊地 北海道以外は外来種だと考えてよいのですか。
福代 研究室にある昭和初めの図鑑の写真に、ムラサキイガイは写っておらず、昔はいなかったと思われます。しかし、ムラサキイガイがバラスト水によって移動してきたのか、船底に付着して移動してきたのか、ほかの方法で移動してきたのかは不明です。
 実は、外来種である・なしの判断は難しいのです。日本は、北海道の冷たい海から沖縄の暖かい海までありますから、沿岸に棲む海藻でも外国の2〜3倍の種類があるといわれています。
 日本沿岸の外来種といわれている生物がいつ日本に入ってきて繁殖したのかという研究は、最近、始まったばかりなのです。
菊地 運ばれてきた生物で食用などの有効利用できるものはないのでしょうか。
福代 もちろんあります。東北や北海道でムラサキイガイはシュウリ貝という名で販売されています。見た目がよくないので、ブイヤーベースなどの具材として調理されることから、知らずに食している人も多いと思います。
 温泉地でのお刺身は、和名が和泉鯛という外来種のテラピアが多いのです。鯛ではなく淡水魚を調理しているのです。
 温泉地では、結構多くの所がテラピアを特産にしたいと望んでいます。この魚は淡水のほか、海水が混じった沿岸でも飼育が可能です。通人の話では、多少海水の混じった方が、身がしまって美味しいそうです。
 
 
かつては進んで持ち込んだ外来種も
菊地 害ばかりではないわけですね。
福代 もともとそこにないものを持ってきて順化させるわけです。病気が広がったりした時、その場所にいる種だけを使っていると全滅する危険があるので、わざわざ強くするために他所から似たものを運んできて雑種を作ることもあるのです。
 ホタテガイの場合など、他県の貝を持ってきて地元の貝と交配させ、病害に強い貝を作るのはあたり前に行われています。
菊地 外国においても、外来種を持ち込むという方法は、広く行われているのですか。
福代 かつてアメリカで牡蠣が病気で全滅したそうです。その時は、大慌てで日本から持ち込んだそうですよ。ヨーロッパもそうですね。
 しかし、牡蠣は問題に取り上げられずに、牡蠣に付着して持ち込まれた海藻がその後に問題になるなど、考えてみればずいぶんエゴイスティックな感がしますね。
 
遺伝子を使っての研究が進歩
菊地 外来種の生物が、本来どこの国のものだったのかという研究も、進んでいるのでしょうか。
福代 そういう研究は、最近の新しい技術によって方法も変わってきています。従来の方法は、学会に発表されている論文などを調べ、自分が見つけた以前に別の場所で発見されているかどうかを探って原産地を解明するという方法です。
 日本では、沿岸にどういう生物が棲んでいるかは、明治時代に広範囲に調査されています。ほかのアジアの国においては、同じレベルの調査が同じ時期に行われているわけではありません。
 ですから皮肉なことに、この生物はどこからきたかは不明だが、日本に古い記録があるのだから日本に棲んでいたのだ、と言われることもあるのです。
菊地 古くから調査が進んでいたばかりに、諸外国から加害国と言われることもあるのですね。
福代 その通りです。ただ最近の方法は、その生物の遺伝子を調べます。簡単に言うと、ある場所とほかの場所の生物から採取した遺伝子を比べて調べるのです。遺伝子の中には、4種類の塩基といわれる物質が並んでいて、その順列やA塩基がBの塩基に置き換わっているといったことが比較的簡単に分析できます。そして、ある場所の生物は5番目の塩基が置き換わっていたが、ほかの場所のは7番目が置き換わっていた。そうやって置き換わった場所を比べていくと、親(おおもと)が分かるのです。人間の顔をみると、目鼻立ちで親子や兄弟がわかるのと似ています。
 この研究は、バクテリアの分野で進んでいます。南米で大発生し多くの人命を奪ったコレラ菌が、もともとどこからきたのかを突き止めていますし、南米から二次的にどこかに移って、どのように変化しているかということも突き止めています。今の鳥インフルエンザやサーズのおおもとがどこだったのか、どういう生物の体内にいたのかを調べる研究も進歩しています。
菊地 バラスト水以外の経路でわが国に運ばれ、繁殖した生物もあるのでは。
福代 南からの海流が強いと、岩手県や青森県といった三陸沿岸に熱帯魚のコバルトスズメが現れることがあります。
 
 
 冬の海水温の低さから、コバルトスズメが定着することはありませんが、同じ海流で運ばれたさまざまな生物がそこに棲むことは考えられます。航路から外れて船が入港する港もないような沿岸域に外来種がいた場合は、自然の影響によるものだと考えられます。
 船に起因しているのは、バラスト水と船体付着によるものですが、貝の輸入などで付着物の海藻や赤潮の発生原因となるプランクトンなどが運ばれ繁殖することもあります。


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