日本
江戸時代、2代将軍秀忠の発案により、3代将軍・家光によって寛永12年(1635)に建造された巨船。船内の豪華さは、日光の東照宮を例にひかれたが、あまりに巨大すぎたために、天和2年(1682)に解体されました。緊急時の徳川家の海上の根拠地、つまり浮城として造られたものと思われます。家光の海上の御座所として、「ロイヤル・ヨット」といえる存在と造りでした。
寛永7年(1630)、幕府の御用船として、徳川3代将軍・家光が伊豆で建造した。いわば徳川家の「ロイヤル・ヨット」でした。
安政3年(1856)に英国(ヴィクトリア女王)で「日本国皇帝」(当時、孝明天皇)に贈るロイヤル・ヨット“エンペラー”として建造されたと言われています。日本訪問の船団3隻の1隻として、品川沖に来航。幕府が受贈。その後、幕府の榎本艦隊に加わって北海道へ。
“蟠龍丸”の後身“雷電”(山高五郎画)
明治7年(1874)、英国で建造された1000総トンの帆装蒸気船。灯台視察船とされましたが、建造当初から、天皇の座乗のための船内装備がされ、諸外国からは「天皇のロイヤル・ヨット」と認識されていました。明治30年(1897)に高等商船学校の練習帆船となり、現在は重要文化財として東京海洋大学(江東区越中島)に陸上保存されています。
函館港に停泊する“明治丸”。船尾後方の二本の煙突の船が“テーボール”ではないかといわれています。
練習船時代の“明治丸”
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