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責任を追及して、処罰するのが一番いい
 民営化の話をすると、尼崎の市会議員と一緒に中国へ旅行に行ったときのことです。旅行している間は、みんなほんとうのことを言ってくれるものです。ちょうど神戸で災害がありまして、そのとき周りの消防自動車が神戸へ行ったけれども、まったく使えない。口金の寸法が違うから、消防自動車のホースがつなげられない。それで役に立たなかった。
 消防はそれぞれ自治体の仕事になっているから、自治体で相談して統一すればいいのですが、そんな相談はしません。尊い地方自治の精神が生きています。東京都でも調布だったか府中だったか、あの辺りの三つだけは自治体消防で、オール東京消防ではないのです。そこだけ口金が違うと言っていましたから、あの辺に住む人は覚悟して住まなければいけません。
 尼崎も全然違っていて使えなかった。「統一したらどうですか」と言うと、「それができない。全部業者が決まっている」という返事です。
 「ごみ集めの民営化という話がありますが、それはどうですか」と聞くと、「市では一生懸命考えて、必ず黒字になりそうな中心部は市が直轄でやることにし、家が少なくて赤字になりそうな周辺部を、民間委託に出した。しかし三年たってみると、民間はみんな黒字で、市は相変わらず赤字だった。一番条件のいいところでも市がやると赤字になる」。「市会議員なのだから頑張りなさいよ」と言ったら、「頑張っている。そのために特別調査委員会が設置されて、その委員をやっている」と言う。「もう何年間やっているのですか」と問い詰めると、「いや、その委員手当というのがバカにならない金額で、だからいつまでもやっているのがいい」と(笑)。
 そんなことをみんなが知って、もうこれ以上させないように再発防止へと持っていってもらいたいと思います。そのためには国民のレベルが上がることが第一です。それから、やった人の責任を追及して、処罰するのが一番いいと思うのですけれども、日本人はそういうことはしない。十七条憲法に「和をもって貴しとせよ」と書いてあるから、済んだことは許してあげる。そのかわり気をつけろよ、というやり方でうまく来たのですけれども、このごろはダメなのです。「今後気をつけます」と言っても気をつけない人がいっぱいいる。それならやはり厳罰にしなければいけない。十七条憲法を改正して十八条憲法にし、「時には厳罰にする」というのを加えねばなりませんね。
 一番いい例は、少年に対する刑罰です。今までの少年法の考えは、まだまだ前途のある子供だから、名前は報道してはいけない。刑務所に入れてもいけない。保護監察にして、誰かがじっと見まもって、立ち直ってもらうのがよい・・・でしたが、そのような美しい理念に乗じて、いっそうタチの悪い子供が増えてきたらどうするのかということです。
 実際、だんだん世間が厳しくなって、子供でも名前は公表、顔写真は掲載、本屋で万引きをしたときは親にその金を請求する、というように急に変わってきました。だから、来年の日本はずいぶん変わって、理非曲直、正邪の区別が厳しい日本になるでしょう。この傾向はこの一〇年ずっと進行してきたのですが、どうやら今からドッと来るような気がいたします。
 だから、国会議員の人に「だんだんそうなるから、さっさと服罪してしまいなさい。ごねていると、もっともっとひどい目に遭う」と言っていたのですが、ほんとうにそうなってきました。
 
 公務員もその時代の流れを大分わかって、「みんながやっているからいいだろう」という理屈はもう通らないと、遠慮するようになりました。
 しかし、せっかく公務員になったのに、何も楽しいことがない。それを後輩が見て、だんだん公務員志願が減ってくる。「月給がきちんともらえるから、それが魅力的だ」という無気力な人ばかりが国家公務員になる。そういう崩壊現象がありますから、根本的な解決としては、「役人は汚職してもよい」と言えばいいと思っています(笑)。立派な仕事をしてくれるほうが重要で、汚職の定義を緩和して三倍働くという人を採用しろ―これのどこが悪いのか、と思っています。
 そちらにお座りの岡田英弘・東京外国語大学名誉教授の本に詳しいのですが、中国ではもう二〇〇〇年も官僚制度をやっていて、役人というのはどんなに検査しようが、監督しようが、必ずワイロを取る。それでは、ということで編み出した対策が、立派な人には大きな仕事を任せる、くだらない人には小さな仕事を任せるのだそうです。「下のほうは、取りなさい」なのです。しかし、権限が小さいからインチキしたって大した被害はない。
 それで上級、中級、初級という公務員試験ができた。上級の人には人物試験がある。琴棋書画というのですが、試験官の前で琴を弾き、碁を打ち、字を書き、絵を描いて感動させなければいけない。「お手本どおりにうまくできました」ではいけない。合格すると最後は皇帝の前へ行って、面接試験を受けて、合格した二五人は皇帝代理ともいうべき大きな権限を持つ。その二五人以外は小さな仕事しかやらせない、というふうに分けていたと岡田英弘さんの著書で拝見して、ああ、現実的だなと思ったのです。
 それから、官吏の「吏」は、官が雇っている雇い人のことです。だから皇帝に雇われているわけではない。この人たちにはあまり給料をやらないで、自分たちで業者から手数料を取る。つまり受益者負担なのですね。一般の税金は使わない。便宜が欲しい人が、お金を出してその人から許可をもらいなさい、という受益者負担はまことに合理的です。
 これをワイロと言うのか、実費というのか、手数料、あるいは受益者負担というのか、名前はいろいろ何とでも言えるわけで、呼び方はともかく現実にはよく合っている。しかし新聞や評論家は「ワイロは一円でもいけない」と言う。
 
 同じような例が不良債権問題です。不良債権と名がつけば、それは償却したほうがいいに決まっていると言うが、では不良債権とは何ですか。それから誰が決めるのですか。金融庁の人が決められるのですか。
 それを決められる人などは、日本中捜してもいません。話は未来なのですからね。不良債権か優良債権かは未来になって初めてわかることで、今わかるはずが絶対ない。当たり前のことです。
 最近のわかりやすい例を言えば、日産自動車は日本興業銀行の一大不良債権でした。誰が見ても不良債権。そのため日本興業銀行は傾く、と口に出しては言わなくとも、内心思っている人はたくさんいた。ところが、塙社長がなかなかの人物だったのか、カルロス・ゴーンという人を連れてきて、自分は会長になって取引先へ行って頭を下げる専門で、ゴーンさんは切り捨て専門で、ともかく日産はよくなった。立派な優良債権になったのですが、こんなことを、誰があらかじめわかりますか? 塙社長がゴーンさんを連れてきた時点では、ホームランかどうかはわからなかった。しかし、今は逆に誰にでもわかるホームラン。これが実業の世界です。
 それを金融庁にいる人が会議して、これは優良債権、これは不良債権と分けたとき、そのことにどう責任を取るかと言いたい。
 未来はわからないのだから、それでも決めるときは、決めた本人が責任を取るのが一番いい。民間人であれば、本人が破産なり辞職をします。武士であれば切腹します。こういう秩序で千年、二千年と人間はやってきた。ところが、今の公務員は切腹はしないわ、責任は取らないわ、しかも何でもかんでも自分が決めるとしゃしゃり出る。
 もういいかげんにしてくれと、国民はお役所から逃げるようになった。もう日本からも逃げたい。ぶら下がるのならこの国が一番いい。だから、ぶら下がる若者が増えてきた・・・または逃げる。
 
 逃げる人は「風流人」と言って日本の伝統です。したがって、その風流な若者はきっと今にいいことをすると思っています。日本中の産業が非常に風流になってきたからです。
 日本は芸術国家であり、もともと日本人は一人一人が芸術家なのです。それをアメリカ人が感心して、日本の自動車は風流だ、ハイテクではなく芸術だ、工業製品を一段超えていると言うようになった。
 これから日本は風流産業で景気が直る。
 これは思いつきですが、そう思って見ると、なるほどという話が出てくる。ソフト化経済センターが、そういう風流な例を集めてきました。徳島県の山奥に上勝町という町があります。こんな山奥の小さな町では何もすることがないと村民はあきらめて、することは、県庁へ行って陳情して、補助金をもらうだけ。あきれた息子と娘が大阪へ行って帰ってこないから、ますます過疎になる。
 そこへ一人の男がやってきて、「ここには素晴らしい資源がある。これを東京、大阪へ売りつけて儲けよう」と言った。素晴らしい資源とは、葉っぱなのです。モミジやイチョウ、カキの葉っぱや落ち葉やらを集めて、料理屋へ刺身を飾るつけ合わせに売ろうじゃないかとやったら、これが大成功。
 三年目になるそうですが、去年は二億五〇〇〇万円の売上があったという。葉っぱや落ち葉を拾ってきて売るとお金になるとは、アッと驚きます。狐の小判ですね。調査に若い人が行きますと、農家のおばあさんが「見なさい。この庭先に木が一本立っとるやろう。あの木一本で去年五〇万円稼いでくれた。それに比べりゃ、うちの息子は何の役にも立たないから、うどの大木」と言ったそうです(笑)。
 これに解釈をつけますと、おじいさん、おばあさん一人一人が、「この落ち葉は美しい」「これは美しくない」と、全員がそういう風流の心を持っている。それを透明なパックの中へきれいに並べて、クロネコヤマトの宅急便に渡すと、徳島空港というほとんどムダだった空港が今や生きてきまして、一日で東京へ届く。飛ぶように売れる。
 面白いと思うのは、村の人に芸術の心があり、輸送に関する社会資本が世界一整備されていて、それから、料亭、レストランが、「これはよい、お皿の横に並べたらきっと高く売れる」と思う。さらにはお客が「いいね」と言って買う。アメリカ人にこの話をしたら、「食べられない葉っぱに何で高く金を出すのか」と言われましたが。そういうお客が日本中にたくさんいる。
 私はこれを風流産業と呼びます。これからいろいろこういうのが出て、やがて輸出産業にもなるでしょう。
 これをビジネスモデルとして考えると、シビアな工夫がいろいろついています。村の人たちを全部勤務評定するそうです。あなたの葉っぱにお客がついて、先月はひと月で売上は八〇万円でした、あなたは七〇万円に減りましたという統計を全部とって、勤務評定をパソコンでその人にだけ教える。村中には教えない。その人にだけ「あなたは村で一番でした」と順番も教える。
 この辺が面白いところですが、そうするとものすごく働くというのです。一番になった人があるとき二番に落ちたら、身も世もなく嘆くそうです(笑)。とにかく村中がよく働くようになった。
 そんな面白い話がいくつかありまして、日本もすてたものではないなと思っています。ムダなものが新しい資源になる工夫もあるなと教えられます。







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