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動機を見て看破せよ
 そこで、国民は看破力を持たなくてはいけない。その看破法ですが、
一、動機で見る
二、結果で見る
三、関係者で見る
四、理論づけのインチキを見る
 といった方法があります。順番に説明いたしましょう。まず第一は、動機で見る。つまり、国民のため、日本のためと言っているが、ほんとうの動機は違う。動機が不純なところを見る。
 たとえばアメリカを喜ばせる。アメリカを喜ばせていないと政権が危ない。これは上のほうの人が実際にそう言います。あるいは通産省の例で言えば、アメリカは日本の新聞記者を集めて、某審議官を名指しで「よくない交渉相手である。あんな人が来ると、まとまる話もまとまらない。日米通商から外せ」と悪口を言った。しかし、これは話が逆です。その審議官が日本のために頑張ったから、アメリカは毛嫌いした。したがって、このときこそ通産省の上の人は、かばわなければいけない。「よくやった。アメリカに嫌われるぐらい頑張った。よし、昇進させてやる」と言わなければいけない。ところが、「物議を醸すやつだ、ちょっと引っ込んでいろ」となってしまった。上役の動機は、アメリカと物議を醸したくないというだけです。そんな心がけで通産行政をして、日本国家から給料を受け取っていいのかという話です。
 動機で見ると、いろいろ見えてくるのです。私が銀行員だったとき、地域開発ブームが地方に浸透して、工業団地やレクリエーション基地を半官半民でやる第三セクターブームがありました。第三セクターの初期はまじめにやっていましたから、まあまあ赤字ではない。でき上がったものはきちんと利用されている。ところが、後期になるとだんだんひどいのが出てくる。みんなが信用するようになったら、その信用を悪用して、第三セクターと言えばもう何をしてもよいというブームになってしまう。それで今は第三セクターと言えば、必ず悪いものだというように常識が変わった。
 その切りかわりのころ、私は銀行でそんな仕事をしていましたから、いろいろな思い出があります。県庁から「これに出資してくれ」という話が山ほど来る。聞いてみると向こうは説明がうまい。しかしインチキはインチキですから、相手の顔をつぶさないように「どうしてこの場所なのですか。こちらの場所でもいいはずですね」とやんわり聞くと、だんだん本音がでてくる(笑)。「ここは県知事の生まれたところです」とか、「この前、県の北でいい仕事をした。今度は県の南のほうで何かしなければいけない。県内バランスです」などなど。
 こういう場合はいくら良い忠告をしても絶対結論が変わりません。「県の南でこんなことをやって、成功すると思っているのですか」と言ったって、絶対通りません。利用者のことは考えません。県知事サマのお気持ちに沿って働くのが県庁の役人です。“将来の利用者推計は三万人”とか書くだけですましていました。三万人あるかどうかを検討しないで断りました。実際、その後を聞くと一万人以下でした。
 
 もう一つ思い出を言えば、運輸省で観光レクリエーションの委員をしていたときです。その制度は、運輸省が「ここは観光レクリエーション地区だ」という指定をすると、補助金がついてしかも税金が負けてもらえるというので、各県が名乗りを上げてくる。それを審査するのですが、現地視察に行くと下へも置かぬ歓待をしてくれる。うたい文句はいつも「大都会で一生懸命働いているが、しかし月給が安いから家族連れの旅行などはめったに行かれない、そういう人のための事業です。ここなら安いし、景色もいい」ということでした。国家としても、大都市で勤勉に働いている人を、たまにはゆっくりさせてやりたい。だから税金を使いましょう、というわけです。
 ところが県庁は、県の一番北端とか、一番南端の、どうにも不便なところにつくると言う。それでは大都会から行けるはずがない。だから「これは精神に反しているじゃないか。こちらに変えるべきだ」と言うと、返事はいつも地元の都合です。
 さて、その先を言いたいのは、動機が不純で始まった仕事はやはり失敗する。必ずとは言いませんが、八割ぐらい失敗する。だから、銀行の審査能力研修では、担保がどうだとか面積や交通手段を見よと書いてあるが、そんなことはどうでもいい。動機が不純かどうかだけを見ていれば簡単である(笑)。動機が不純なものには無理があるから、銀行は金を貸してはいけない。
 具体的な事例の思い出が尽きないので困るのですが(笑)、某県のほんとうに景色がいい場所、日本国民の財産だと思うような場所に保養施設ができた。見に来てくださいと言うので行ってみると、最初に言っていたこととまるで違うものができている。
 まずは、晩御飯が食べたければ六時までに入らなければいけない。六時以降に入ってきた人には、そこに自動販売機があるからそれですませろというサービスです。「なんだこれは」と言うと、「町営ですから、公務員が六時まで残業するなんて大サービスです」といった調子です。
 「こんなことでは、指定なんか取り消しだ」と言っているのは私一人。しかも、そう言っていると、逆に私が委員をクビになる。本当ですよ。再任されないときはヤレヤレ助かったと嬉しいですね。
 つまり、もともと県知事におもてなしの心がない。だから町長にもない。だから役人にももちろんない。当然お客は二度と行かなくなる。だからさびれている。そうすると、お客が来ないとはラクでよいと喜んでいる。ソ連の国営ホテルと同じです(ロシアになってからは民営化ですが、日本は変わらない)。
 それが最近ようやく「民営化だ」「サービスだけはどこかに委託しよう」となりましたが、やはり町の役人は働かないで、たんに委託しているだけだから、月給がムダです。「そういう第三セクター係も廃止したらどうだ」と言うが、「地方交付税で給料がもらえるからいいんです」と言って減らさない。減らしたら地方交付税も減ってしまう、という事情になっている。
 だから、交付税はいちいちこと細かに調べてやる必要はないのです。まったく簡単に、外国のように面積割り、人口割りでパーンとやってしまえばいい。それをいちいち「お仕事は何ですか、それなら半分見ましょう」と、そこまで口を出さなければ自治省は仕事がないのですね。今は総務省になりましたが。
 「天下国家のためには、そんな仕事はないほうがいいでしょう」と言うと、お役人も一人ひとりは賢いから「そうです」と賛成する。きちんとわかっているのです。しかしそのあとに「私の行く先はどうしてくれますか」と続く。
 だから、本気で行政改革をしたければ、「行く先」をまずつくればいい。それがないから抵抗するのです。
 そういう状況で一〇年、二〇年たって、いまや赤字がたまりにたまって、さすがに身動きがとれない。ところが国民の怒りは高まらない。だから、まだまだ先延ばしが横行しているという状況です。
 
 つぎに看破法の二、結果で見る。
 利用者がないものはムダでしょう。これは誰でも言っていますね。地方の道路はタヌキしか通っていないじゃないか。こんな道路は閉鎖しなさい、新たにつくるのももうやめよう、と、そういう気持ちが国民の間で高まっております。
 エピソードを申しますと、田中角栄という人はほんとうに偉い人でした。よく先の見える人で、こう言ったのです。道路をつくりまくって、いまにもう要らないというときが来る。そのときどうすればいいかというと、「道路関係者はメンテナンスで食べていくとよい」。道路を補修したり、手入れをしたりのメンテナンスでお金をもらうことになる。すると、新潟県で一番いいのは雪をどけることで、除雪作業なら毎年必ず雪が降る。しかも除雪して東京と同じにすれば工場は来る。・・・実際はそんなに来ないのですが、それはともかく「除雪予算というのをつけよう。最初はちょっとつけておけばよい、だんだん増やせばよい」と、田中角栄さんはそう言っていた。
 だから、道路公団も道路族も、全部そのように切り替えていけばよかったのです。建設ではなく、メンテナンスで食べていく。しかし、その切り替えをしていない。だから、企業努力が足らないわけで、結果としていま苦しんでいるのも無理はないと思います。
 そこで私の知っている小さな会社は、企業努力をしました。それは道路の真ん中にペンキで線を引く会社です。道路によく「スピード制限」とか「わき見するな」と書いてありますね。あれもおかしいんです。必ず景色のいいところにそう書いてありますからね。景色のいいところで横を見るなとは(笑)。
 これは道路公団総裁を囲む委員会でも、そう言ったのです。道路をつくる初めのふれ込みは産業道路だった。だから、能率一点張りで道路をつくった。しかし今は日曜ドライバーだらけである。観光道路であって産業道路ではない。気晴らしで景色のいいところへ行くのが目的で走っているのに、「横を見るな」と書いてある。関門海峡で橋を渡って、ああ、これは素晴らしい景色だと思って横を見ると、「わき見運転をするな」とか(笑)。
 これでははるばるドライブして行く価値がない。それで「橋の真ん中を膨らませて、駐車場にして景色を見せろ」と言ったのです。「それはムダだ」と言うので「ムダではない。それが目的なのだから。ヘビが卵を飲んだような道路をつくれ。そして駐車料金を取ればいい」と言いました。そのアイデアが実現したのが「海ほたる」です。あそこだけいつも満員です(笑)。道路はたんに走るものではなく、目的地へ行くもので、目的地は道路そのものでもいいのです。
 それはともかく、道路にペンキを塗る中小企業の社長は、自動車が走って摩滅したら次の注文が来る。けれども、わが県の道路では自動車が通らない。タヌキしか通らないのでは、すり減らない。これでは我が社は倒産すると、同業者を集めて運動しました。
 すり減ったらまた書くというのはよくない。一年一度、毎年五月には必ず書き替えるという規則をつくるのが良いと運動して実現した。規則改定の理由は「利用者の安全」ですがウソですね。その結果、全然すり減っていないのに、五月になるとまた書く。「これで、我が社は安泰です」とおっしゃるのは、それは民間経済としては偉い。頭を使ってやっているなと感心するわけですが、国民から見ればたまったものではありません。藤井道路局長にはやっぱり責任がありますね。







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