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私はこう考える【中国について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1999年12月号 治安フォーラム
建国50周年を迎えた中国の軍事力
杏林大学社会科学部教授
平松茂雄
1 50周年軍事パレード
 今年は中華人民共和国が誕生してから50周年に当たる。10月1日の建国記念日には, 北京の天安門広場で記念式典が挙行され, 江沢民国家主席が記念演説を行い, 中国軍を観閲した後, 軍事パレードが行われた。84年の建国35周年を記念して行われて以来の軍事パレードであった。
 どこの国でも, 軍事パレードはその国の軍事力を国の内外に向かって誇示することを目的として行われる。とくにその時点で新しく編成された部隊や新しく装備された兵器が展示されるので注目されている。中国における過去の事例として, 1959年の建国10周年のパレードでは, T59型戦車が初めて登場して注目された。この戦車はソ連のT54を国産化したもので, すでに旧式とはいえ, 中国が初めて国産化した戦車であった。その後ソ連の軍事援助が打ち切られ, 通常戦力の近代化に重点が置かれなかったところから, 長い間, この戦車およびこれを改良したT69戦車が中国陸軍の主力戦車であった。
 先に述べたように, 今回の軍事パレードは84年に開催されて以来のものであるから, 84年のパレードと比較することによって, その後の15年間の中国軍の変化ないし成果および将来の発展方向を知る手掛かりをうることができる。
 84年の軍事パレードは二つの点に特徴があった。一つは, 戦略核戦力の構築である。中国は建国以来, 通常戦力の近代化を後回しにして, ひたすら戦略核戦力の構築に全力を投入してきた。そして64年秋の核爆発実験以来原水爆の弾頭の実用化が着実に進み, その運搬手段である弾道ミサイルの開発も準中距離ミサイル・中距離ミサイルと徐々にではあるが進展し, 80年代に入ると大陸間弾道ミサイル, 通常型潜水艦ではあるが, 弾道ミサイルの水中発射, 一基のロケットによる複数の衛星打ち上げ, 静止衛星の打ち上げ, 原子力潜水艦の就航などに成功し, 80年代中葉までに, 第一世代核兵器の開発を完成し, 最小限核抑止力を保有した。84年の軍事パレードでは, それらの弾道ミサイルが初めて公開された。分かっていたとはいえ, 改めて中国の核兵器保有を見せ付けた衝撃的なパレードであったといってよい。
 もう一つは, 通常戦力の近代化に着手したことである。中国は限られた財源・資源という条件の下で, 総力をあげて戦略核戦力の構築に最重点をおき, 通常戦力の近代化を後回しにしてきたが, 80年代に入るとともに通常戦力の近代化が小平によって断行された。これは翌85年の「百万人の兵員削減」による中国軍の全面的な再編成となって具体化するが, その方向への転換は80年代に入るとともに, 徐々にではあるが進行していた。その片鱗が84年の軍事パレードに現われていた。それまでの毛沢東の人民戦争思想に基づいた軍事力から, 近代戦争を前提とした軍事力への転換が進行していることが窺われたが, パレードに登場した兵器の多くはT59・T69戦車, トラックに牽引された榴弾砲・加農砲, タイヤ式対戦車砲などの旧式の兵器がほとんどで, 比較的新しい兵器として装甲兵員輸送車, 多連装備ロケット砲, いくつかの自走砲などが登場したにすぎなかった。
 84年の軍事パレード以後の15年間に, 中国軍がどのように改革され, 発展したかという観点から見る時, 今回の軍事パレードにはいくつかの見所があった。初めに軍事パレードの概要を記す。
 午前10時建国50年記念式典が開始され, 江沢民主席が84年に小平主席が搭乗した同じ国産自動車「紅旗」で部隊を観閲したが, 主席が終始にこやかに受閲部隊に挙手していたのに対して, 江主席は緊張しているように見えた。観閲を終えた江沢民主席は天安門楼上で記念演説したのに続いて, 10時30分から軍事パレードが始まり, 12時に終了した。1時間30分に及ぶ大パレードであった。
 儀仗隊に続いて, 国防大学, 陸軍学院・学校, 海軍学院・学校, 空軍学院・学校, 第27集団軍(北京軍区), 第63集団軍(同軍区), 海軍水兵, 海軍陸戦隊, 空軍航空部隊, 空軍空挺部隊, 女性兵士部隊, 武装警察部隊, 特別武装警察部隊, 予備役部隊, 男子民兵, 女子民兵の17の徒歩部隊・1万1,000人に続いて, 次のような440余両の車両隊列が続いた。88B型戦車, 88C型戦車, 86型キャタピラー式歩兵戦闘車, 89式キャタピラー式兵員輸送車, 92式タイヤ式戦車, 対戦車ミサイル, 89式122ミリ自走榴弾砲, 89式120ミリ自走滑瞠砲, 89式152ミリ自走榴弾砲, 紅旗7号地対空ミサイル, 25ミリ4砲身キャタピラー式自走高射砲, 81式122ミリ車輪式自走ロケット砲, 122ミリ牽引式榴弾砲, 35ミリ双砲身高射砲レーダーの14種類の陸戦兵器, 陸軍地対空ミサイル紅7号, 紅旗61Bミサイル, 二種類の艦対艦ミサイル, 空軍地対空ミサイル, S300防空ミサイルの6種類の戦役・戦術ミサイル, 東風11号短距離弾道ミサイル, 東風15号短距離弾道ミサイル, 東風21号中距離弾道ミサイル, 東風31号長距離弾道ミサイルの4種類の弾道ミサイル。車両隊列に続いて, 航空機が飛来し, 轟6中距離爆撃機18機, 空中給油機六機, 殲7戦闘爆撃機7機, 強5戦闘爆撃機12機, 殲7戦闘機30機, 殲8戦闘機24機, SU27制空戦闘機12機, ヘリコプター24機の8種類・133機の航空機が参加した。
2 戦略核戦力の著しい発展
 今年の軍事パレードで第一にあげるべき点は, 戦略核戦力の著しい発展である。84年では戦略弾道ミサイルの巨大な姿に圧倒されたが, 今回は同じ戦略弾道ミサイルといっても, 非常に小さい。だが性能は格段と向上している。
 84年の時点で, 中国の戦略核戦力は第一世代の兵器が一先ず完成し, 次世代戦略核兵器の開発が進展していることが示された。第一世代戦略核戦力は飛んで爆発するだけの核兵器である。メガトン級の大きな破壊力を有する核弾頭を搭載して, 命中精度はそれほど高くなくても, 破壊力で精度を補う戦力であった。これは米ソについても, 第一世代の核戦力は大同小異であった。ところが中国が第一世代戦略核戦力を開発している過程で, 世界的な技術革新を経て米ソの戦略核戦力は急速に高度化した。命中精度が高まり, 破壊力は小さくなり, ピンポイントを狙うところにまで精巧になっている。そのためには弾道ミサイル制御能力の向上が何よりも必要とされるが, 核弾頭, 弾道ミサイルの小型・軽量化が大前提となる。軍事偵察衛星で常時監視されているので, 迅速な発射と生き残りが要求されるようになり, ロケット推進力の液体燃料から固体燃料へ転換, ミサイル発射台の移動式化, 生き残りという点では原子力潜水艦が最も有望ということになる。原子力潜水艦に搭載するには, 弾頭もミサイルもさらに小型・軽量化される必要がある。さらに米ソの戦略核兵器は「多核弾頭」(MIRV)といって, 一つのロケットで発射された弾道ミサイルが途中で複数の弾頭に分かれて, それぞれ異なる目標に着弾するところにまで発展している。複数の弾頭をそれぞれ着弾地点まで正確に誘導するには, 高度のミサイル制御能力が必要となり, そのためにも小型・軽量化は不可欠である。またこうした戦略核戦力を常時展開し維持するには, 精密な軍事偵察衛星が必要である。
 こうした高度な軍事技術が必要な次世代戦略核戦力の構築を中国は80年代に入るとともに, 着手している。今回の軍事パレードで, そのうちの「東風11号」(射程300キロメートル)と「東風15号」(射程600キロメートル)の短距離弾道ミサイル, 「東風21号」(射程2,000キロメートル)中距離弾道ミサイル, 「東風31号」(射程8,000キロメートル)長距離弾道ミサイルが初めて公開された。これらはいずれも道路移動式で, 自動化されている。すなわち指揮・情報・通信などすべてコンピューターで制御される。「東風21号」は82年に水中発射に成功した潜水艦搭載弾道ミサイル(SLBM, 「巨浪1号」, 射程1,700キロメートル)を地上発射式に転用したもので, 中国軍で最初の固体燃料を使用した移動式の自動化された弾道ミサイルである。それに続いて開発されたのが「東風11号」と「東風15号」で, 二つのミサイルは元々小平の指示により, 外貨を獲得する目的で輸出用として開発され, それぞれM9, M11とも呼ばれ, M9はシリア, M11はパキスタンに輸出されているとの疑惑がある。
 「東風15号」は先年の台湾総統選挙の際, 台湾近海に発射されたミサイルである。命中精度は相当の水準に達していたとされており, その後精度はさらに向上しているばかりか, 当時数十基であったこれら弾道ミサイルは, 現在では150〜200基に増加し, さらに数年後には600基に増加すると見られている。これらの弾道ミサイルだけで台湾に対して十分の威嚇を加えることができるが, さらにロシアやイスラエルの技術を導入して開発されていると見られる巡航ミサイルが完成すると, これらのミサイルで台湾の空軍施設を先制攻撃して, 台湾海峡の制空権を掌握することが可能となる。
 「東風31号」は去る8月2日, 発射実験に成功した「新型ミサイル」であり, 射程8,000キロメートル, 米国本土西部に辛うじて到達できる。パレードではどういうわけか発射筒に格納されていたため, 外形を見ることができなかった。「東風31号」は「巨浪2号」潜水艦搭載弾道ミサイル(SLBM, 射程8,000キロメートル)に転換が可能なように設計されているといわれているが, 「巨浪2号」が完成したとの情報はこれまでになく, 今回のパレードにも登場していない。このミサイルを搭載する原子力潜水艦が建造されているとの情報もないが, ロシアから旧ソ連時代の原子力潜水艦タイフーン級を購入するという情報が最近流れている。
 このほかに今回のパレードには出現しなかったが, 中国は米国本土東部に到達できる「東風41号」(ICBM, 射程1万2,000キロメートル)が開発されていると見られている。完成は来世紀になると推定されるが, 「東風31号」「東風41号」および「巨浪2号」が完成し実戦配備されると, 中国は米国に対して威嚇する能力を持つことができる。
3 通常戦力近代化の顕著な進展
 今年の軍事パレードのもう一つの見所は, 通常戦力の近代化の顕著な進展である。中国の通常戦力はつい最近まで, 世界の先進諸国から見ると20年から30年後れた水準にあった。84年の軍事パレードを見て, 中国軍の通常戦力はまことにお粗末であり, いまだにこんな兵器を使っているのかと笑う人がいるくらい, 時代後れであった。著名な軍事評論家の先生方が「こんな兵器を使っている国がどうして軍事的脅威か。中国が軍事大国になることはない」と主張するのには, それなりの理由がある。中国軍の通常戦力が時代後れである理由は, 中国の財力と資源に限度があったことから, 核ミサイル兵器の開発に重点をおき, 侵略された時には人民戦争戦略で戦うという, 毛沢東が革命戦争を戦って勝利した人民戦争戦略に回帰した結果として, 通常戦力の近代化に重点がおかれなかったことによる。金をかけなかったのであるから, それは当然の結果であり, その代わりに戦略ミサイル核兵器は米国・旧ソ連に比べると水準は低いとはいえ, 最低限度のものは出来上がり, すでに台湾を威嚇するまでに至っている。その点に注意しないと中国の軍事力を見失うことになる。
 今回の軍事パレードには, 小平時代に入ってから開発された主として陸軍と空軍の兵器が公開され, 中国軍の通常兵器が一新されている事実が明らかとなった。2種類の88型戦車, キャタピラー式の歩兵戦闘車・装甲兵員輸送車, 各種自走砲, 対戦車火器, 対空火器, 多連装備ロケット砲などの陸戦兵器, 陸海空の各種戦役・戦術ミサイルなどが展示された。だが中国が通常戦力の近代化を実現することは簡単ではない。通常戦力はあらゆる種類の兵器を装備し, かつ相当数保有しないと有効でない。中国は国土が大きいばかりか, 非常に多様な国であり, 一律に国防政策を考えても意味がない。
 小平の進めた通常戦力の近代化は, 大規模戦争は起きない, 将来戦は局地的な短期戦であるが高度に進んだ兵器が投入されるとの認識に立って, 部隊の数は少なくても水準の高い機動力のある通常戦力を構築することを目的として進められている。近年中国軍が「ハイテク条件下の局部戦争」に対処できる軍事力の構築を目指していることを中国軍が機会あるたびに鮮明にしている。
 85年に小平は「百万人の兵員削減」を断行し, それまで兵員の数に依拠してきた人民戦争と決別して, 中国軍の全面的な再編成に着手した。それは一言で説明すれば, それまで歩兵中心であった陸軍を戦車・機械化歩兵・自動車化歩兵・砲兵・対空などの部隊(師団または旅団編成)を基本とし, 部隊の必要に応じて工兵・通信・防化学・電子戦・へリコプター等々の技術部隊(連隊・大隊規模)から編成される部隊であり, 合成集団軍と呼ばれた。合成集団軍は全部で24個編成されたと見られているが, 合成集団軍に相応しい兵器を装備し, またそれらの兵器を使って部隊を運用できる軍人が配置されている部隊(重点合成集団軍)は数個軍であり, 残る大多数は言ってみれば看板だけの合成集団軍と推定される。ほかに数は少ないが空挺部隊やヘリコプター部隊による即時対応部隊, 重点合成集団軍による緊急展開部隊が編成されている。また一部ではあるが, 海空軍力の近代化が急速に進展している。
 84年のパレードでは, 徒歩部隊として制服に銃剣を抱えた陸軍歩兵部隊の隊列が続いたが, 今回の軍事パレードでは, 迷彩服を着た北京軍区の二つの合成集団軍が参加したほかに, 海軍陸戦隊・空軍空挺部隊の新しく編成された兵種が参加した。また「量から質への転換」は, 平時における後備力の蓄積を前提としており, 今回のパレードで予備役部隊が初めて参加したことは, 予備役の役割が重視され, その整備が進んでいることを示すものとして注目される。
 84年には数種類・10数機の旧式航空機しか参加しなかった空軍部隊では, 今回殲7戦闘機, 轟6の旧型航空機に加えて, 80年代に開発された殲8II戦闘機のほかに, SU27戦闘機と空中給油機が飛行して注目された。SU27は90年代に入ってからロシアから購入した世界でも最新鋭の戦闘機で, 米国のF15に匹敵する。完成機として数十機を購入したほかに, 近年からライセンス生産が始まり, 約200機が生産される計画である。行動半径が広く, 空中給油機が使用されるならば, 台湾海峡はいうまでもなく, 南シナ海を制空する能力を持つことになり, 同海域を通っているシーレーンに影響することになるばかりか, 将来東シナ海にも進出して来ることになろう。SU27はこれまで何回か公開されたことがあったが, 空中給油機が公開されたのはこれが初めてである。ソ連製の中型爆撃機を給油機に改良し, ロシアやイスラエルの技術を導入して開発されているとの情報がこれまでしばしばあった。
 ヘリコプターは陸海空軍の偵察・武装・攻撃・救難など各種の機種が展示された。中国軍は「空中軽騎兵」と呼んでヘリコプターを非常に重視しており, いくつかの合成集団軍にヘリコプター部隊が編成され, また海軍艦艇にヘリコプターが搭載されている。ヘリコプターが参加する陸海空の共同訓練・演習が頻繁に実施されている。海軍航空部隊からは「海豹」と呼ばれる戦闘爆撃機も参加した。陸軍航空部隊と海軍航空部隊も新しく編成された兵種である。
 このように通常戦力の近代化には目を見張るものがあったが, 西側先進諸国の水準と比較するとまだかなり低い。中国軍自身そのことを十分承知している。軍事力整備, 兵器生産の基本方針は, 少量の兵器を開発・生産・配備して, 試験を重ね, さらに水準の高い兵器を目指すというものである。中国軍はそれまでの前近代的な兵器を大量に生産し配備してきた方針を「消耗型」として批判し, 上述した方針を「増殖型」と呼んで, 戦時に大量生産に転換できるように平時において配慮しておくことを重点としている。これは平時には兵員を減らし, 予備役を蓄積しておき, 戦時に動員するとの方針と合致する。
 江沢民時代になってから, 中国軍は「軍事力の質的建設」の段階に入り, 着実に遂行している。中国の国防費が急速に増加したのは「質的建設」の段階の開始とほぼ一致する。中国政府は軍事力の近代化にかなりの経費を支出しているとみられる。しかも中国経済は急速に成長を続け, それに伴って国民総生産は増加し, 国家財政規模も年々大きくなっている。
4 姿を見せた劉華清
 建国記念日直前の9月19日〜22日, 中共中央委員会会議が開催され, 中共中央政治局常務委員・中央書記処書記・国家副主席の胡錦濤氏が中央軍事委員会副主席に就任した。胡錦濤氏は江沢民主席の後継者の一人と見られている政治指導者である。同氏の軍事委員会副主席はもとより江沢民主席の指名によるものであり, 中国軍の主要な指導者の支持をえていることは間違いない。同氏の中央軍事委員会副主席就任は前回の中央委員会会議で取り上げられたとの情報があったが, 定かではない。今回の就任は建国50周年の軍事パレードを念頭においていたかどうかについては分からないが, パレードのテレビ放映でほかの最高指導者達を映した際に出てきただけであった。小平が, 中共総書記の地位は最初から胡耀邦, ついで趙紫陽に譲り, 国家主席が復活しても就任しなかったが, 中央軍事委員会主席の地位は最後まで手放さなかった。江沢民氏も同じように, 国家主席や中共総書記の地位を譲っても, 中央軍事委員会主席の地位は最後まで手放さないであろう。そして胡耀邦と趙紫陽の先例があるように, 中央軍事委員会副主席に就任したからといって, 主席になるわけではない。
 天安門の楼上でパレードを見ていた人物のなかで, 誰よりも筆者の目を引いたのは劉華清氏であった。軍服を着用し, 勲章を沢山付けた前軍事委員会副主席劉華清上将が, 何回か映し出された。革命時代から小平主席の隷下にいて, 建国後海軍に移籍し, 82年に小平に抜擢されて海軍司令員となり, 中国海軍の海洋進出を指導した後, 天安門事件で誕生した江沢民の後見人として同政権を支えてきた重要人物である。97年の中共15回大会で引退して以後政治の世界に出ることはなかったが, 健在であることが確認できた。
 江沢民政権が遂行した目覚ましい軍事政策・成果は, もとより江沢民自らの政策でもなければ, 江沢民自身の力で遂行したものでもなく, 小平が設計したグランド・デザインに基づいて, 小平が配置した軍事指導者たちによって, 遂行されている。その中心的指導者が劉華清氏であったし, 多分現在でもそうであろう。劉華清氏はこの日の軍事パレードを誰よりも感慨深く見ていたであろう。
平松茂雄(ひらまつ しげお)
1936年生まれ。
慶應義塾大学大学院修了。
防衛研究所研究室長を経て現在、杏林大学社会科学部教授。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








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