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私はこう考える【中国について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2004年9月号 東亜
中国政治体制の行方
慶應義塾大学教授・慶應義塾大学東アジア研究所長
国分良成
政治体制研究の現段階
 この数日、異常な暑さが続いておりますが、本日このように多くの方々にお集まりいただきまして、それだけの価値のあるお話ができるか、非常に不安であります。
 ただいまご紹介にありましたように、私は中国研究を大学二年のときに始めてからちょうど三十年を超えまして、三十一年目に入りました。
 振り返ってみますと、三十年前の文化大革命の時代、中国研究では中国の新聞発表での名簿の順番がどうであるとか、会議での入場の順番がどうであるとか、あるいは写真の中の位置がどうであるということが、かなり重要な意味を持っていました。ところが現在になっても、例えばことしの全国人民代表大会で最初に入場してきたのが江沢民であったことに注目したり、また党の大会があるたびにその序列を考えてみたり、あるいは中央政治局常務委員会の九人のメンバーは、それぞれ誰の派に属するのか、江沢民派は何人で、胡錦濤派は何人でという感じで、実は中国研究は昔も今もそれほど変わっていない部分があるわけであります。
 つまり、経済の変化に皆さんは目を奪われがちでありますけれども、政治の変化というものは、経済に比べるとかなり緩やかであります。中国の政治には経済ほどの躍動感は見られません。
 実は政治と経済というのは一体関係があります。この二つ、あるいは外交も含めてこれらの関係がどういうふうになっているのかということをきちんと読み解いていかないと、現在の中国の姿がわかってこないということであります。つまり、経済のある側面だけを見て中国を考えることはできないし、中国の外交のある側面だけを見て中国を論じることはできない。また、中国の政治のある側面だけを論じて全体を論ずることはできないという、いわば中国自体のグローバル化といいますか、こういう現象が起こっているわけで、そのあたりの連関性というものを念頭におきながら考えていかなければなりません。政治の変化は緩やかであります。しかしこの部分の関連性を丁寧に見ておかないと、判断を誤ります。
 きょうのお話は中国の政治体制でございまして、私の本来の仕事であります。最近は、いろいろなことに手を広げすぎましたので、ややもすると自分の中国研究の所在というものがわかりにくくなることがありますけれども、やはり私の発想の原点は中国の政治体制と民主化にあると思っております。
 中国ではこの課題はいまだほとんど手がつけられていません。ある意味で、現在の中国の最大の弱点は、まだ民主化を実現していないということだと思っております。これを実現することの意味と、危険性やさまざまな難しさを考えると、一言で結論は言えないわけであります。民主化の良し悪しは別としても、このテーマというものは不可避の課題でありまして、中国自身が将来どこかで取り組む瞬間が必ずあるわけであります。
 私は、政治改革や民主化が持っている意味ということを中心に、きょうはお話をしてみたいと思うわけですが、単純に民主化すればそれで解決ということではないのです。と申しますのは、それがもたらすさまざまな難しさも容易に理解できるからであります。そうした難しさを踏まえて、われわれはどのように現在の中国の政治体制を考えたらいいのかということを、きょうは皆様に問題提起する形でお話をしてみたいと思います。
 天安門事件が起こってすでに十五年であります。天安門事件が起こったときはさまざまな議論がありました。中国は、もう崩壊するのだという議論もありましたが、十五年たっておりますけれども、なお健在であります。こうした事実に直面するときに、なぜ変わらないのか、なぜ安定しているのかということも、われわれは一つの大きなテーマとして取り組まなければいけないわけであります。最後の部分で、この問題についても少し考えてみたいと思います。
 私が中国研究者としてやっていく際の一つの発想の原点は政治学で、関心はつまり、中国の政治体制を政治学的にどうとらえるかということであります。この点に関してはやはり天安門事件の影響が大きかったことは否定できません。天安門事件が起こった瞬間から分析の枠組みの多くが、いわゆる国家・社会論というものになりました。つまり、国家と社会というものを対峙させて、社会やそのべースとしての個人の自立性というものが国家との間にさまざまな矛盾や葛藤をつくり出していく。社会が国家とさまざまな局面で矛盾や衝突を起こし、そのことによって社会自体がさらに変わっていく。いわゆる市民社会論のような議論が、欧米の中国研究の中でもかなり盛んになった時期があります。
 それはつまり、民主化運動に見られたような社会あるいは個人の自立性がやがて生まれつつある広範な中間層などを取り込んで、それが民主化をもたらすのだということであったわけであります。
 ただ最近では、欧米でも市民社会論の視点から直接に中国を分析する人は非常に少なくなりました。かつての研究は、分析ではなくて主観的な期待ではなかったのかというのが最大の問題であったわけであります。つまり、中国社会の構造を分析しているよりは民主化すべきだ、あるいはあってほしいという期待の表出ではなかったのか、このような面に対する反省もその後大分生まれたわけであります。
 そのような研究の流れの中で、中国をどうとらえるかという政治体制論のいまの主流は、いわゆる国家コーポラティズムというものになってきています。あるいは権威主義的コーポラティズムという概念を使う人もいます。コーポラティズムというのは、本来は多元社会というか、民主主義社会を前提に議論したものでありますけれども、権力の安定性を論じたものであります。それはつまり、国家が権力の安定を図るためにさまざまな社会層を取り込んでいくという体制であります。既存の体制に対抗しそうな可能性のある社会層を権力の中に取り込んでいくというプロセスであります。
 この議論を応用して、例えば台湾のかつての国民党の統治を権威主義的コーポラティズムとか国家コーポラティズムとして、台湾独立を唱えるような若者たちを国民党の中に取り込んでいくことによって権力の安定性を図ったと論じるものが多数ありました。そしてこうしたことが実は現在の中国でも行われているのだというのが最近の研究の主流であります。ただこれに対する反論もかなり大きいわけです。これは単に権力の側の論理と権力が行っている取り込み作業のエリート主義的分析であって、ここには社会の側の分析が欠けているというのが最大の問題であります。つまり、労働者、農民をきちんと分析していないではないかということであります。労働者、農民という社会の側からの問題をここに組み入れていったとき、権威主義的または国家主義的コーポラティズムは成り立つのかということであります。
 小平にせよ、また趙紫陽にせよ、さまざまな政治改革を行おうとしました。そして、江沢民時代も、やはり同じように政治体制改革の議論は出てまいりました。しかし、八〇年代と九〇年代を比較したときは大きく違います。八〇年代の政治体制改革は、十三全大会の趙紫陽報告の中に端的に出ているわけですが、一言でいうと党の役割の相対化、つまり党と政府の機能を分離させる、あるいは党と企業の機能を分離させることによって党の過度の干渉を廃すという作業が行われました。これはもちろん、経済改革を実践するために政治改革をやらなければいけない、そのときに党の過度の干渉をどうやって排除するかというときに出てきたものであります。しかし、これはご承知のように八九年の天安門事件の伏線となったわけで、その後の大きな教訓となり、党の指導を弱体化させることの危険性を感じるようになったわけであります。
 九〇年代に入りますと、一つの大きな前提が入りました。それは何かというと、党の指導を強化する形ですべての政策を展開するということです。そのことで、党に対する改革作業が遅れた、あるいは手がつけられなくなってきたということであって、かわりに国家公務員制度など行政管理改革の方は進みました。その結果、政府は小さく効率的に、そして党は指導力を強化する形で市場経済を展開するといった方向へと向かった。それが社会主義市場経済です。
 それまでの民主化運動は、基本的には上からの体制改革が起こった瞬間、あるいはそれとの関係の中で連動するかのように運動が起こってきました。つまり、制度を通じた形での政治改革では十分な民主化が実現できないと不満を抱く社会層によって運動が展開された。制度を通じない形での民主化というものが運動という形で出てきたわけであります。その担い手が学生や知識人でした。ところが彼らは観念の世界に終わっていた。つまり、現実が伴っていなかった。これが中国知識人の問題性ということで、天安門事件の後に大きなテーマになりました。
 今後、中国はますます国際システムに組み込まれ、市場化が進展すると、やがて利益集団がさまざまなセクターにおいて台頭し、それぞれが「義務」の以前に「権利」を主張するようになると、社会はますます多元化するでしょう。そうした現象が政治権力への影響も含めて中国の政治体制に何をもたらすのか、丁寧に見届ける必要があると思います。
政治体制問題の重要性
 現在の政治体制を考える上で大事なことは、政治と経済と外交というものがどのようにリンクしているのかということであります。現在の政権の究極目的は政治にあります。つまり国家体制の維持、共産党指導体制の維持が最終目的であります。それを実現する方法、あるいはその支配の正当性は何なのか。この「正当性」の字が違うのではないかという議論があるかもしれませんが、最後にお話をしてみたいと思います。
 結論から言えば、正当性は経済成長しかあり得ないわけであります。経済成長があれば政治的安定が実現できるというのが小平の結論であったわけであります。これがソ連の解体を見た小平の結論であり、南巡講話であり、社会主義市場経済です。
 経済成長があれば、どこかでどうにかして利益の一部を社会的貧困層に回すことができるということが起こるわけでありまして、そうすると権力は安泰である。経済成長ではもちろん私営セクターが重要でありますけれども、しかしもっとも重要なのは、最近よく言われているように、貿易と直接投資であります。つまり、海外の直接投資がこれだけ膨大に行われている国家というのも珍しいわけですが、そのことによって中国の経済成長が起こっている。中国は輸出で外貨をもうける。しかし、その輸出の約六〇%が外資系企業であるというように言われていますから、その原動力になっているのが直接投資である。直接投資が入ることによって中国の技術革新をもたらしているし、産業化を起こし、そしてそのことで経済成長が起こっているというパターンであります。
 したがいまして、その根幹にある外資の重要性ということを考えれば、必然的に外交は決まるわけです。つまり、協調的な国際関係をとらない限り中国の経済成長はあり得ないということになります。であれば、中国の政治的安定のために国際協調路線をとらざるを得ない。中国がいかにパフォーマンスで大きな声を出そうと、行動そのものとしては、論理の世界では合理的に振る舞わざるを得ない。ある意味では協調的な低姿勢の外交政策をとらざるを得ないという側面があるわけであります。
 いずれにせよ、こうした枠組みの中で、決定的に重要な役割を果たすのが共産党であります。党が七千万人の党員を抱えつつ、どこへ行くのかということであります。これ自体が一つの巨大な利益集団であることは間違いありません。軍、企業、全人代、政府機関、こうしたところにももちろん党の組織と人事は入り込んでいますが、実は利害関係は必ずしも一致しないという部分がかなりあるわけであります。そうした一つの利益集団としての党という側面もあるわけでありますが、存在としては他を圧倒しています。
 ただ、圧倒しているけれども、党が政策的な方向性を本当にリードしているのかどうか、かえって邪魔しているのではないかという議論も多く出ています。そうなってくると、党というのは一体何なのかということの意味が問われることになります。つまり、党は権力維持のためだけの装置なのか、党は政策的にリードできる機能を持ち得るのかどうかということであります。そのあたりが非常に弱いわけであります。
 政治腐敗も深刻です。共産党が指導する市場経済ですから、許認可権限を最終的に握っているのは共産党です。しかも政治腐敗は上にいけばいくほど依然として摘発しにくい体制にあるわけであります。つまり、党をチェックする機能というものが存在しないという現実が最大の問題になっています。
 今後の共産党の方向性に関しては、集約すると次の三つの意見があります。第一に末端に至るまで党の指導を強化すべきであるという議論。二つ目はもうそういう時代ではない、全面的に手を引いた方がいいという意見。すなわち最終的な権力に対する対抗の部分だけをチェックするのであって、後の細かい指導はすべて下でやらせた方がいいという議論。三つ目に党は仲介役として入るべきだというもの。つまり現場においては、指導部と一般労働者や職員との間に矛盾が起こる。そこに入って調停役としての役割を果たすべきだという議論であります。しかしこの意見を否定する議論もかなり強い。大体、調停役はたたかれるようになり、どちらへ行っていいかわからなくなる、というのです。ですから、党は全面撤退した方がいいという議論もかなりある。しかし、そのときの権力の保障をどうするのか、体制の保障をどうするのかというところがあるわけであります。
 党の役割は何かといえば、それは基本的に分配なのです。つまり偏在している富をどうやって平等に分配するか、それができるかどうか。今、胡錦濤政権が言っている「公正なる分配」ができるかどうかということです。社会的弱者を救えるかどうかということになるわけです。格差が広がる、あるいは農民、労働者が苦しい、こうした貧しい人たちの利益を代表するのは一体だれなのかということであります。中国の場合、中央指導者のほとんどだれ一人として地方の選挙区から選ばれているわけではありません。中央指導者は、中央の人間関係の中で抜擢されるわけでありますから。そうなると、彼らの政治的命運と地方の農民や労働者の利益とは一致しません。
 朱鎔基が音頭を取り、あれほどパフォーマンスがうまくて日本も刺激を受けたFTA(自由貿易協定)の問題にしても、今やどこを見ても不満が渦巻いています。当局は人権について生存権、発展権を重視するのに、なぜ農民の利益を大事にしないのだという議論が公の論文の中にもたくさん出ています。FTAやWTOで中国の農業を開放していいのかどうかという議論が出ているわけです。ただこの人たちの利益をだれが代弁するのかというと、やはり共産党しかないわけであります。
 ということで、党は股裂き状態です。社会主義時代は、上からの分配機能がきつすぎて悪平等になり、国全体として潤わなかった。今度は、これを市場の原理に任せて格差是正も市場の原理に任せているわけですが、格差は開く一方であり、党は一体何をしているのかという話になっています。いずれにせよ、実質一つしかない政治指導集団だけに、党の役割は重要です。
政治体制の諸問題
 現在の中国の政治体制が抱える諸問題をもう少し具体的に考えてみましょう。まず第一に権力継承と権力闘争の問題です。権力継承について、江沢民から胡錦濤への権力移譲が平和的に行われたということを賛美する人たちも結構ありました。しかし、私は権力継承が制度化されていないという現実をまだ忘れてはいけないと思います。結局、前任の指導者が後の指導者を密室で決めている。今回の場合は、小平が胡錦濤による後継を決めたわけです。それは国民によって選ばれた指導者ではないわけですから、選び方のメカニズムは政治学的にいうと未成熟と言わざるを得ない状態です。
 近年では村民自治ということが行われていますけれども、このままでは中央も含めて全体に完全に普及するにはあと五十年や百年は待たなければいけないということになる。確かに村長は選挙で選ばれるようになっているけれども、よく調べてみると、党と相反するような人が選ばれた場合にはさまざまな矛盾が起こっている。あるいは、その場合、内部で調整作業が行われるという報告が出てきております。結局のところ、上が変わらないとだめなのではないかという部分が強くあります。
 権力構造ではこのところ、軍が発言力を拡大させている傾向があります。軍は党の中枢部分でポストをあまり確保しなくなっているけれども、プロフェショナル化することで、声が大きくなっている。一つの巨大な利益集団として存在し、党と一定の距離を置くということによって逆に発言力を増すという状況が起こってきているわけであります。これは今の中国では特別の意味を持ちます。なぜかというと中央軍事委員会の主席は依然として江沢民であるからです。江沢民に対する不満は、もう聞き飽きたというぐらいに聞きますし、たとえお膝元の上海でも同じ状態です。そうであるだけに、彼としても必死でしょう。
 では胡錦濤指導部はどうなのでしょうか。彼は「科学的発展観」などのスローガンを出していますが、余りセクシーな訴えではありません。江沢民の「三つの代表」などもそうですが、何を言っているのかよくわからない。それを皆が何を言っているのかと読み解こうとするのです。これ自体がセクシーではないわけです。ですから、胡錦濤の言っていることも正直言うとまだよくわからないし、どうやるのかもまだわからない。ただ、江沢民に対する反発が胡錦濤に対する期待と支持になっているという点で、私は胡錦濤はある種のメリットがあると思っております。
 胡錦濤指導部がさかんに言う「以人為本」、人間本位というのでしょうか、人間を大事にしたい、社会的公正だということ。恐らく胡錦濤体制が権力的に安定していったときに、それを具体的にどうやっていくのかというビジョンの問題、そのときに党の役割は何なのかということが問題となる。胡錦濤はほかの指導者に比べれば確かに政治改革については関心があるし、その可能性は随分あるというふうに思いますけれども、しかし現実はそれほど簡単ではないということを申し上げておきたいと思います。
 最近、人権問題にも変化がありました。人権尊重ということが憲法に挿入された。恐らくこれも胡錦濤などの役割が大きいのかもしれませんが、ただ現実には一九九七年の第十五回党大会の文言の中から、人権尊重は言ってきているわけであります。これを憲法規定したのが今年の三月でありますから、ということは必ずしも胡錦濤だけが考えたというよりは、国際配慮もあったでしょうけれども、歴史の潮流であると考えた方がいいだろうと思います。
 中国はすでに二〇〇一年の段階で国連の人権A規約を批准しています。いわゆる生存権とか発展権とかに関係する内容ですが、もう一つの国連人権B規約、市民的自由に関するもの、これはまだですが、一応前向きな姿勢を表明しています。批准をするかどうかは、まだ時間がかかることは間違いありません。生存権と発展権が中国の重視する人権であるということは、九一年の『人権白書』以来一貫して言っていることであります。今でも基本的には変わりありません。現在でもこの『人権白書』を年に一回のぺースで出しています。これも好ましいことだと思いますが、自己正当化であって、実際大事な部分のところは出てこないことがあるわけです。ただ最近、農業の問題などにおいて、先ほど申し上げたように生存権・発展権にすらさまざまな意見が出ているということを申し上げておきたいと思います。
 WTO加盟も人権問題と関連があります。例えば中国では今、外国人が三十万とか四十万とかいるわけであります。外国人の権利保障などは確かに今後問題になるのだろうと思います。また、一般労働者の労働基準の問題もWTOの中ではやはり大事なテーマでありますし、労働者の権利、保護の問題、あるいは労働組合なども精緻化していかなければなりません。
 政治体制に関連して香港問題も重要です。九七年以来、香港問題は一国二制度の中で中国の国内問題になりました。ところが昨年と今年で五十万人規模のデモが二度も起こったということは、中国国内で五十万人のデモが頻発しているということになるわけです。現在中国では、各地方が中央に対してさまざまな問題を提起し要求をしている事実があるわけですから、香港が一つの地方であると考えれば深刻です。
 香港での住民の要求とは、行政長官が余りに無能なので、直接選挙をさせろというような内容ですが、北京にとってはそれを何がなんでも抑えなければならない。これが香港の一国二制度との関係でどうなのか。香港は経済的には上海にポジションを取られ、ますます意味が薄れてきているけれども、香港における民主主義は根づいてきているわけであります。もともと民主主義のなかった香港がいまや民主主義を根づかせてきているという現実の中で、香港の住民たちが北京に声をあげるという状況が出現しています。これは、一国二制度の限界です。これをうまく処理しないと台湾問題にも響きます。
 台湾問題を政治体制との関連で言えば、今後中国自身が台湾との統一を目指して政治体制に関してどのような提案を出してくるかということがあります。中国は最近、台湾問題に関して手詰まり状態ですから、内部でこれをめぐって大変な議論が起こっていると言われています。その中には連邦制の議論まで出ているということを聞いています。連邦制については表面的にはタブーですが、内部ではいろいろあるようです。例えば一国二制度は連邦制なのかどうか。マカオだって中身が香港と少し違うわけですから、実際は一国三制度。さらに台湾に広がると一国多制度だということになり、これは結局、連邦制にあたる。ただ、中国国内の他の地域に連邦制が適用できるのかどうか、そのへんは大変な問題ですし、道はまだ遠そうです。
 最後に、多様化するメディアについて触れておきます。インターネットが言論の自由かどうか、私は「擬似民主」と考えています。一種の民主であることは間違いないが、もちろん管理はある。これは上から意図的に一種の自由空間を作っているともいえる。党に対する批判、政府に対する批判以外のところに空間をむしろ作ることによって、矛先をかわすという方法です。これ自体は一種のシンガポール化というような感じがするわけです。一種のガス抜きになります。ガス抜きの対象として使われやすいのが日本とか台湾です。この二つを批判しても誰も損をしないと考えるからであります。
 中国共産党がなぜ政権を取ったのか。それは、日本の侵略に対抗したのだという抗日戦争の「正統性」。これは過去からの正統性であるわけです。それから、台湾の問題についても国民党との競争において勝ったわけであります。ですから台湾統一により、中国共産党は最終的にその歴史的任務を終える。こうした二つの歴史的正統性に力点を置いてきました。過去との比較において自分は正しいのだいう部分であります。しかしこれも使いすぎて、今はなかなか使いにくくなってきているという面があるのではなかろうかと思います。
 ただ、実際にインターネットを見ていて、日本よりも台湾よりも、最も多いのはやはりありとあらゆる形での社会不満です。中国社会に不満がこれほど多いのかと思うくらい膨満している状態であり、暴言と皮肉の掃き溜めという感じです。われわれは見ていて、そういうものを強く感じます。正直言って日本批判というのはそんなにいつもいつもたくさんあるわけではなくて、むしろ少しずつ関心を失っているのかなというぐらいに思います。そういう中国のメディアの使い方そのものに功罪があります。これがいつかは自分の首を締めかねないということにもなりうるわけであります。
米中関係と政治体制
 米中関係において人権問題はしばしば大きな争点として持ち上がってきましたが、九・一一以後、米中は反テロを中心にさまざまな分野で協力関係にありまして、人権問題はやや後ろに下がった感があります。少数民族に関していえば、アメリカはもともと新疆地域やウイグル族の過激派の独立運動の問題にはイスラムヘの関与の危険からあまり関心を示しませんでした。むしろ九・一一を契機に、アメリカはこうした過激派に対する捜査に関して中国と協力しております。
 チベット問題に関してアメリカはかなり強い関心を示してきました。ただこれもテロ以後、アメリカはやや抑える傾向にありました。中国はこのところインドとも関係をかなり修復しておりますので、現在、ダライ・ラマの立場というものも微妙になっているわけであります。ただアメリカも大統領選挙が近づくと、政治のゲームとして人権を言わなければならなくなります。したがいまして、ことしに入ってからアメリカと中国は人権問題でいろいろぶつかりますが、それも見ていると何となくゲーム感覚という感じがいたします。
 民主党候補のケリーは、過去の発言録を丁寧に洗っていくと中国に対して非常に厳しいわけであります。特に人権問題に非常に関心が強いようです。それは、私が調べたのではなくて中国の人たちが調べたわけです。中国の人たちに言わせると、ケリーは中国に非常に厳しいということです。ケリーが当選すると関係の再構築まで時間がかかるかもしれないということで、どうも中国の友人に聞くと、ブッシュのほうがいいと言う人が多い。テロの問題がこれからもしばらく続く、最低四年は続くというふうに仮定すれば、ブッシュのほうがチャンネルも沢山できていてやりやすいと言っている知識人がほとんどです。ただケリーでも、「戦略的パートナーシップ」を形成したかつてのクリントン時代のブレーンが多く入閣すれば、関係修復も早いかもしれません。
 最近の動きをお話ししましょう。このところ、米中は人権批判をお互いにやり合っています。まずアメリカ国務省が二月下旬に国家別の人権白書を出したわけです。その中に中国の人権問題が結構書かれていて、民主化のタイムテーブルが明確でない、香港の民主化も深刻な問題であるとされていた。これは、議会や国民向けの一部大統領選絡みかなという感じもします。つまりブッシュも人権問題をきちんとやっていると。それに対して、中国が三月一日、これで五回目だと思いますけれども、アメリカに関する人権問題を報告書として発表しました。アメリカの人権もいかにひどいかという内容です。アメリカは世界で殺人事件が最も多く、発生率が世界一だ、人種差別も激しい、刑務所の犯罪者に対する暴力も多い、貧困対策が遅れている、などの点を取り上げ、中国側が逆に問題提起しているわけです。こういう人権白書競争みたいなこともあります。
 その後、中国では憲法の中に人権尊重というものがはじめて規定されたわけでありますけれども、三月下旬に、今度はアメリカが、ジュネーブの国連人権委員会で対中人権非難決議を出したわけであります。たぶんブッシュの対議会配慮でしょう。これに対して日本も一応同調するということで、アメリカに従ったわけであります。その直後、中国はアメリカとの人権対話を中止することを宣言しました。この非難決議は、最終的には否決されました。アメリカの出した案は、日本も共同提案しているのですけれども、結局中国の不採決動議に対して賛成が二十八票、反対が十六票、棄権が六ということで、この非難決議は簡単に葬り去られました。中国の大使が面白い皮肉を言っています。「中国も問題を抱えている。しかし、アメリカは自分の人権問題はどうなのだ。中国は決して豊かな国ではないけれども、アメリカに鏡を一枚プレゼントしたい」とか、そのようなコメントでした。
 その後、五月、例のイラク兵捕虜の虐待問題が暴露されると、これに中国は喜んで、連日大きく報道したわけです。それみたことか、アメリカはこんなことをやっているではないかということです。それ以後、両国間の人権問題は沈静化しました。ただ、これから大統領選挙は近づいていきますので、恐らくブッシュもいろいろな形でケリー陣営から弱いと指摘されている人権問題を出さざるを得ないということが出てくるだろうなと思います。そういえばチベット問題について、最近また出てまいりました。これも久しぶりなのですけれども、大統領報告として中国に対してチベット問題を改善せよという内容でした。
 このような一種の政治ゲームは、米中の間で昔からずっとやってきたことでありますが、テロの問題で若干収まっていたのがまた大統領選挙絡みで出てきているなという感じがいたします。ですから、これは米中間の本質的な問題には恐らくならないだろうというふうに思います。
 米中関係に関して、中国の中でいろいろおもしろい論文があります。最近人気のある『戦略と管理』誌などを読んでおりますと、例えばこういう論文がありました。米中関係は、いずれにせよこれからの根幹の問題であることは間違いない。その場合、台湾問題だけが中心の問題ではない。アメリカとの関係を長期的にきちんとした形で構築するためには、中国自身の民主建設ということを含めて考えていかないと結局はだめだという議論でした。
 それに関連して、外圧の功罪をめぐっても中国では大分論争があるようです。つまり、外圧はプラスかマイナスか。もちろん外圧に対して非難をするけれども、外圧がないと中国は変わらないのだから、一定のそれがあったほうがよいのではないかという議論です。要するに外圧をどう利用するか、しないかの問題です。アメリカの研究者などでもそういう議論を昔からしていて、中国に対してはある程度の圧力を出して改善を促したほうがいいという立場で、そのほうが何もしないより人権改善に少しでも前進が見られるというのです。
おわりに
 最後に、これまでのお話をまとめたいと思います。
 第一に市場経済と政治体制の相関関係が重要であるということです。まさにマルクスの言ったように、下部構造は上部構造を規定するのか、つまり経済構造はそれ以外の政治・思想領域まで規定するのかという問題、この部分の可能性は少しずつですが増大しつつある。ただ軽々な議論は、やはり控えた方がいいということです。安易に中国の民主化に期待したり、あるいは解体を望むような議論がよく出てまいります。最近では、中国のバブル崩壊から解体するのではないかなどの議論があります。ただ日本もそうですが、バブルが崩壊したり、経済的に破たんしても、その国が国家として破たんするかというと、必ずしもそうではないのであります。経済の崩壊と政治的な解体とがどう連動するかというと、そこの相関関係を丁寧に分析しないといけないわけです。そのときの権力状況と政治体制がどうなのかということをきっちり分析しないといけない。
 いずれにしても、経済構造の変化が政治的に大きな意味を持ってきていることは間違いない。しかし、簡単に変化が起こるわけではないということです。しかも、権力の側は手をこまねいて見ているだけでなく、対処法を常に考えている。最終目的が体制の維持なのですから。つまり共産党の側も学習効果を持っているということです。
 第二に、いずれにせよ共産党に課されている課題はきわめて大きい。党に必要なのは「正統性」の確保から「正当性」の確保への転換です。つまり、だれに比べて私が正しく、自分しかいないという歴史的な意味での支配の「正統性」は、もうそろそろ卒業すべきです。そうではなくて、自分たちが本当に今、国民を豊かにさせる政権党であるのかどうかが問われなければいけないということ、つまり支配の合法性であり「正当性」であります。多くのエリートはわかっているのですが、これを詰められるとまずい。そこからこれまでは、過去との関連で安易に日本や台湾をターゲットに使う傾向があったのです。
 その場合、党はリーダーシップをどう発揮するのか、あるいはリーダーシップはもう発揮しないのか。このままいくと、中国社会は一種カオスのような状況になっていくかもしれない。そのときに党の役割は重要であります。政治腐敗におぼれている状況などではない。とはいえ、この一つの党しかない状況下で、本当に信頼できる政党として存立できるのですかというところが問われるわけであります。
 最後に、にもかかわらずなぜ体制や政権は変わらないのか。つまりこれだけ経済が変わり、社会が変わったにもかかわらず、なぜ政治体制は覆らないで、安定しているのか。
 一つの最大のポイントは、やはり経済成長です。今後も経済成長が続く限りは大丈夫ということであります。中国の場合、経済成長の維持にはもちろん外国との関係が順調でないとだめです。ただ今後、WTOのルールがさらに強化されていく中で、どうやって自分自身を変えていくか。しかしそれを変え過ぎると、今度はまた新たな問題が浮上するでしょう。ともあれ、経済成長が維持されるかぎり、政権はどうにか安定しているでしょう。
 第二に、市場経済が中途半端だということです。「マクロコントロール」という実質的には強力な行政指導、あるいは強権主義がまだ効く部分があるということです。これが効かなくなったときは、それこそカオスが生まれ、難しいかもしれない。現在でも、何かあれば警察や軍隊が飛んでいってすぐにそこを差し押さえる。そういうことが人権の観点からは問題だけれども、現実には一定の功を奏しているという部分がある。
 第三に、体制エリートの既得権益化。天安門事件のデモに出た人たちが今どういう状況にあるかというと、三十代半ばで皆多くが権力やビジネスの中に入り体制化しているわけです。これでガラガラポンしたときに、自分たちの今の立場よりさらに上に行けるかどうかというと、危険だということになります。「昔、僕たちは若かった」と、どこかで聞いたことのあるような現実が中国にもあるわけです。
 第四に、権力の側の学習効果による物理的強制力の強化。つまり公安機関、人民武装部隊、軍、などの国内治安機関の強化というものを徹底しているということです。しかも、そういう部分については諜報機関も含めてかなり近代化しているわけでありまして、人や財力を割いてやっているということがあります。
 第五に、中国と国際社会との相互依存です。小平はなぜ中国と国際社会との一体化をつくったのでしょうか。大混乱が起こって一番困るのはもちろんその国の国民かもしれませんけれども、実は海外企業や諸外国も困るという状況が生まれてきています。つまり、中国の不安定は国際社会の不安定になってきているわけであります。国際社会を取り込むという小平のこうした発想は現実のものになったのです。そのことによって共産党と国家体制の安定化を図ることができたのです。というのは、中国共産党の利益と国際社会の利益が一致するという段階に持ってきたということです。これが現実になってきている。このあたりに、米中関係や日中関係で波風が立ちますが、本質的な問題にまでならないという構造があるわけであります。
 こうした中国の国際的相互依存はわれわれがそれを望んでいましたし、中国自身もその方向に動いて来たわけであります。問題は、ここまで国際化した中国がさらに大国化して図体が大きくなったときに、中国がどういうふうに自分自身を説明できるかという、その説明責任にあります。従来のような、自己正当化の公式見解を繰り返すだけではイメージは悪化するばかりです。説明責任はもちろん国際社会においても重要ですが、同時に国内においても重要な意味を持っているということだと思います。中国の経済・社会は、もう上からの一方的な一元的政治体制だけでは治まらなくなっているのが現実です。
 予定時間をオーバーしてしまいました。ほぼ私の作戦通り、質問の時間もなくなったと思いますので、そろそろ終わりたいと思います。ありがとうございました。
(本稿は平成十六年七月二十二日の定例午餐会における講演の記録である。 文責 編集部)
国分良成(こくぶん りょうせい)
1953年まれ。
慶應大学法学部卒業。慶応大学大学院修了。
慶応大学法学部助教授を経て現在、慶応大学法学部教授。慶應大学東アジア研究所所長。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








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