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私はこう考える【中国について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1999年8月号 諸君!
中国の歴史認識を問う!
加地伸行(かじのぶゆき) 大阪大学名誉教授
 
 昨年、中国の江沢民・国家主席が来日した際、繰りかえし歴史認識を問う発言をした。この江沢民の発言に日本人は戸惑い、かつ度が過ぎると不快な思いをしたが、日本と中国との歴史認識が根本から違うことを考えれば、それはある意味で当然のことである。
 第一、「認識」ということば自身、もともと中国人にしてみれば、「あの人を知っている」とか「理解(understanding)」とかいう風に、どちらかと言えば、知識の有無という感じである。しかし、日本語で「認識」となると、知識から進んで解釈や心構えといったものを含む感じがある。それはさらに、責任とか対応へと広がる可能性を含む。日本語としてはむしろ「歴史意識」に近い。ここに、もはやずれがある。とすれば、江沢民の言う「歴史認識」をさしあたり「歴史意識」と置きかえたほうが、議論の混乱を避けることができよう。
 そこで歴史意識の本質を探ってみると、中国人は長い歴史の中で培った独自のものをもっている。
 まず、インドと対比をしてみると、時間・空間の考え方がちょうどインドと対照的になっている。インドの時間の場合、輪廻転生なので、魂は、悟りを得て解脱して仏になる以外、死後、無限に六道(ろくどう)を廻っている。時間と空間とは連動しているから、時間が無限ならインド人の空間観念も無限である。
 それに対して、中国人は時間も空間も有限としている。五感で感じることしか信じないので、目に見える天空と大地という有限の半円球の世界が空間感覚なのである。そうすると必然的に時間も有限になる。中国人は自分の生命はインド人のように無限とするのでなく、自分の家の「始祖」というある一点から始まっていると考えるため、時間は有限である。始祖が誰であるかということが非常に重要である。
 この有限の時間感覚は、中国の王朝についても同じである。歴史書における王朝の始まりについて、王朝を建てた人は自分の祖父や父に対して大変な敬意を表わす。始祖から現在の自分に至る過程が重要視されるからである。
 さて、始まりが有限なら、当然終わりがある。王朝が永遠に続く保証がないことを彼らは感覚的に理解しているのである。
 日本人は、天皇制は何となく永遠に続くものと思っている。しかし、中国の王朝は、いかに自分の権力・権威を継続させるかということに全力を尽くす。中国の王朝が非常に政治主義的なのは、自分の王朝に対して有限だという時間感覚があるからである。
 さらに王朝の正統性にこだわっている。そのために前の王朝がどのようにして滅んでいったかをつぶさに史料で記述して、必然的に自分の王朝に移ったという正統性理論を形成しようとする。「正史」はこのようにして歴代王朝によって積み重ねられてきたのである。
 権力者は自分の王朝が滅びたときには、次の王朝によって「正史」が書かれるという覚悟ができている。正統性の観念は、日本の感覚と本質的に違う。日本では権力者の交替はあっても、王朝の交替はない。鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府はどれも形式的にはあくまでも奈良・平安時代以来の律令制下の天皇の臣であって、東北アジアの政治理論からいえば、政権の委託にすぎず、正統性はない。
 中華人民共和国の政権担当者が、自分の正統性を主張するのは当然のことである。この正統性というのは自分で言うだけではなく、周りのもの特に自国人に認知せしめないといけない。台湾で今の中華民国政府が、自分たちが正統であると言い続けているのも同じことである。民国政府は「自分たちにとって台湾は仮の住まいだ。いずれ大陸に帰るんだ」と堂々と主張している。また、「中華人民共和国」という国名は絶対に使わず、昔は「共匪」、現在は「大陸」「中共」などという言葉でしか表現しない。
自らの正統性を主張
 大陸は大陸で中華民国を認めず、あれは逃亡した連中の集団にすぎないとしている。台湾はあくまでも自分たちの領土の一つであるという思想を持っているから、公的には中華民国という言葉を絶対に使わない。つまり、お互いに堂々と自分の正統性を主張するのが中国的な感覚なのである。
 もし台湾が中華民国政府という名前を捨てて、別の名前で独立宣言をしたら、それに対して、大陸側は正統性をどう主張するかという扱いが難しくなるだろう。
 現在の大陸・台湾両政権は自己の政権を守り継続させていかなければならない。そのためには自分たち以外は認めないという態度を見せている。これは、今に始まったことではなく、歴代王朝がみな言い続けてきたことである。これは他国との関係ではなく、自己の論理から発するものである。王朝が替わるごとに自分たちの正統性を断固として主張する態度は、現在も今後も中国において変わらないであろう。これは中国人と日本人の歴史意識の大きな違いなのである。
歴史を知恵として見る
 また、中国人の特徴の一つに、歴史を知恵として見るということがある。まさに歴史を「鑑(かがみ)」とするのである。日本でも『大鏡』や『増鏡』という書名があるが、これは中国人の〈歴史を「鑑」とする意識〉から来ている。古典の中の古典、『書経』がその始まりであるが、たとえば宋代には『資治通鑑(しじつがん)』という書があり、これは毛沢東の愛読書でもあったが、この書の歴史物語やエピソードなどは非常に教訓的である。
 日本人は歴史の教訓を学ぶといっても、たとえばせいぜい山岡荘八の『徳川家康』などの小説本を読むくらいで、『古事記』や『日本書紀』という代表的な古典自身から知恵を取り出すという習慣はあまりなかった。
 ところが、中国人は正史の原本そのものを読んで「鑑」とする。モデルは常に歴史にあるということを感覚的に知っているのである。それに、歴史書の中の出来事は、千年も二千年も前の話は別にして、ここ百年に起こったことについて実感することができる。
 中国人と話をしていると、西欧的教養がある人でも、ほとんど西洋の例を挙げずに、自分たちの国の歴史の例を挙げる。中国人は歴史的事件をもう終わったものとは見ずに、それを現在に引きつけて考えるため、日本は以前中国に攻めてきたから再軍備して攻めて来るかもしれないという話に対しても、日本では今の若者が鉄砲を担いで戦争に行くとはほとんど誰も考えていないが、中国人の間では案外説得力があるのである。
 「歴史意識」といった場合、「歴史」という言葉の響きで、中国人とわれわれとでは思い浮かべるものが違っている。現代中国人が歴史といったとき、依然として一種の知恵や教訓を読み取るべきものだと思うだろう。彼らは歴史に対して非常に主観的だが、現代日本人は客観的事実として見ようとしている。
 「南京大虐殺」の論争でも、死者の数を日本ではたとえば一万五千から二万人といい、中国は三十万人と食い違っている。日本は学問的に事実を追求して数字を出そうとしているが、中国の三十万というのは別に数えたわけではなくて、「大量の人が殺された」という修辞的意味であろう。
 『史記』の中に、項羽が秦の兵卒を生き埋めにして殺してしまうところがある。このときの死者が二十余万人と書かれているが、正式な数字というよりは「大量の」という意味であろう。そういう種類の記録を『史記』秦本紀から挙げてみる。八十年間弱の話である。
「斬首八万・・・斬首八万二千・・・斬首六万・・・斬首二十四万・・・斬首十五万・・・斬首五万・・・四十余万人尽く(ことごとく)之(これ)を殺す・・・斬首六千、河に流死するもの二万人・・・斬首四万・・・首虜(討ちとった首と捕虜とを合わせて)九万」。
 秦の法では、首を一つ取ると爵(官位)が一級上るので「首級」ということばが生まれたほどであるから、首取り合戦が盛んではあっただろう。しかし誰がいちいち数えたのだろう。
 また、歴史上の事件や人物を評価する春秋学という古典学の伝統がある。たとえば『通鑑綱目』という書がある。これは『資治通鑑』のような歴史物語と違い、歴史上の物語やエピソードに対して、その書きかた(書法)を通じて、これは善で、これは悪というように批評を加えている。歴史はその人の立場によって違うものだから、一面的に評価することはできないものである。ところが中国人はこの批評が大好きなのだ。また、本来、人間は複雑だから、簡単に善だ悪だと言えるはずはないのに、中国人は評価してしまうのである。
 正史の『漢書』には、「古今人表」という人物の九段階ランキング表がつくられている。たとえば、孔子は最上階、孟子は第二、老子は第四、孫子は第五、項羽は第六・・・という調子である。これは、当時の人たちの意識とわれわれのイメージとは全然違うことをよく示している。中国人はエピソードや事件に対する評価と同じように、人間を評価するから、もしかしたら、現代日本の政治家もランキングや偏差値をつけられているかもしれない。
 中国には「案(とうあん)」という個人調書があって、これは十二億五千万人分全部つくられている。手書きで作成していて、職場の異動などと共に本人について回る。それを見ることができるのは上司だけだが、上司はそこにどんなことが書かれているか、本人に一切話すことはできない。本人も見ることができない。案には生まれた場所、両親の職業、親戚にどんな人がいるか、どこで勉強したか、ということのみならず、友人関係、犯罪歴、思想が悪い、右派、反動であるということなども全部記載されている。
 中国で案がついて回ることの意味が日本ではあまり知られていない。案はよく戸籍のようなものと言われるが、その人のもっと細かい個人情報が書かれている。案は近世につくられ、本来は役所用のものだったが、共産党はそれを引き継ぎ、現在に至るまで利用してきている。台湾では現在案はなくなっているが、学歴など個人の情報が記載された戸籍がある。
 文化大革命のときは、父親が大学を出ただけでも出身が悪いと糾弾されたが、そういうことも全部案に書かれていた。個人を告発できる情報を政府側が持っているため、どんな些細なことでも罪に問うことができたのである。
 この案があるかぎり、日本のような〈自由〉は中国では本質的にあり得ない。中国に自由やデモクラシーが認められるには、まず案を廃棄しなければならない。
 天安門事件の成果として、民主化がもたらされるであろうと言われてきたが、中国を本質的に理解していれば、それが誤りだということはすぐわかる。学生がいくら民主化運動をしても、案があるかぎり民主化は不可能なのである。中国がそういう国家であるという基本認識が、日本人には欠けているのではないだろうか。
 中国の場合は、共産党が表向きに掲げる社会主義は、当然個人主義を否定する。一方、家族単位の現実社会では依然として家族主義がある。この家族主義も個人主義を否定する。すなわち、表向きも現実社会もともに、個人主義否定では一致している。そこへいくらアメリカのクリントン大統領が個人主義に基づく人権や民主化を主張しても、まったくかみあわないのである。
 第一、現在の中国では、人民が自由に居住地を移すことすらできない。農村居住者・都市居住者に分ける身分差別がある。多くの人は農村から都市に出てきたがるが、身分によって都市に住むことは制限されている。もっともたとえば、都市の大学に入れば、その学生は都市に居住することが許される。さらには学生の家族も都市に出てくることが許される。そのように都市に行き住むことができる可能性を持つ人民は実際には非常に少ないのである。このように身分によって行動を制限するような国が、民主化など可能であろうか。
 仮に民主主義化するとどうなるだろうか。たとえば十二億五千万人の人民が選挙を行なうとしたら、日本で衆議院議員は五百人だから、総人口の比率からいえば、中国では五千人は議員になる。そんな大人数では議会が成り立たないから、その上に常任議員のようなものをつくらざるを得なくなる。そうすると、結局は今のシステムとあまり変わらないことになってしまう。選挙を行ない人権を守るような民主制度を実行することは、中国の今の地域・人口という状況を考えてみれば現実に難しいことがすぐわかる。
法律は統治者のもの
 また、中国人は(実は日本人も)法に対する感覚が欧米人とは異なっている。欧米人には法律は自分を守る法だという意識があるから、議会をつくり、立法をし、王や僧侶に対抗して庶民の人権を守る法律をつくった。しかし、東北アジアでは歴史上非常に早い時点で統一国家ができた。中国の場合は、西暦前三世紀には統一帝国ができ上がっている。日本も平安期には完全な統一国家ができた。その時点で法は始めから完全に統治者のものだったのである。われわれの法は、欧米と違って、御上の持っておられる法であって、それに違反しないように努力するのがわれわれの法感覚である。人権という場合、いくら法律をつくって人民を守ろうとしても、統治者のための法律だという人民の意識は変わらない。
 中国の場合、伝統的には罪を犯すと罪九族に及ぶ。家族主義だから、犯罪は個人の罪ではない。人間は家族の中の個体であり、家族が連帯責任を負う。北朝鮮では、亡命した人の家族を収容所送りにしたりするが、それもやはり東北アジア独特の法感覚からくるものであろう。
 欧米の意識で考えると、天安門事件は一種の中国民主化への大きなステップとなるが、私は、長い中国の歴史から見ると、天安門事件は一つの政治的暴動にすぎないと思う。
 それよりもむしろ同じ年の秋に、台湾で重要なことが起こっている。選挙で選出された民主進歩党議員が、第一回目の議会で中華民国政府を弾劾した。これは中国政治史上特筆すべきことである。なぜなら政権担当者の目の前で弾劾したにもかかわらず、左遷もされず、クビも切られなかったのは初めてのことだったのだ。日本では当たり前のことだろうが、中国の長い歴史の中で諫言をする人は己の職、時には生命を賭して行なうものであった。この出来事はほとんど注目されなかったが、民主化運動よりも遥かに大きな事件だったと思っている。
 天安門事件後、活動家たちが外国へ行き、民主化運動は事実上凍結してしまった。実際、民主化運動自体が非常に観念的なものになりつつあるのではないだろうか。
 また、現代中国のナショナリズムは二重構造になっている。大陸内部におけるナショナリズムと、外部に対するナショナリズムとの二種類である。
 対外的には、「中国人」「中国民族」という言い方をする。ところが対内的には漢民族ナショナリズムである。
 満州族や少数民族に対しては「五族共和」を唱えているが、この「五族共和」は孫文が言い始めた言葉だ。清朝は満州族の王朝であったから、革命の始めは「排満興漢」と言っていた。しかし、孫文の主張はだんだんに「五族共和」に変わっていったのである。「五族共和」というのは、要するに中国大陸にいる人間を一つのまとまりとして考えるということだから、その中心は漢民族となる。
 漢民族による現政権は、少数民族のことを配慮すると言いながら、チベットをはじめ弾圧しているから、実際には少数民族のことは考えていない。中国の少数民族はナショナリズムという言葉に非常に違和感を感じるだろう。チベット族も満州族も、最近では漢民族との混血化が進んでいるから、純粋なチベット族や満州族はずいぶん減ってはいるが・・・。
 少数民族的なナショナリズムを言い始めたのが台湾である。われわれは台湾人だから、台湾として今後存続していきたいと言っているわけである。これは漢民族を排除しようという論理だから、台湾のナショナリズムを煽れば、台湾の独立ということになりかねない。しかし、漢民族が中心の中国大陸の政権からすれば、そのような台湾の発言は許されざることであるから、台湾と中国とは一つだと強硬に主張しているのである。
 内部にあっては、漢民族が優勢になりたい、外部に対しては少数民族を抱えこんでの全中国人でありたいというのが中国の二重のナショナリズムである。ナショナリズムを中国人に対して論じる場合には、その二つを使い分けしなければいけない。
 中国のナショナリズムを高揚させることは、対外的には効果的だが、対内的には、台湾やチベットの独立という問題があるから具合が悪い。彼らとしてはナショナリズムということを余り言ってほしくないであろう。
 広大な中国大陸においては、漢民族と少数民族とにナショナリズムの違いがあるというだけでなく、北と南の地域では歴史意識も違うのではないだろうか。実際、中国の歴史には昔から南北対立があった。王朝もだいたい南北で分裂している。南はコメを食べ、北は小麦や雑穀などを潰してパンや麺、饅頭を食べるという主食の違いに注目したい。一般的に米を食べている民族はウエットで、欧米人のように小麦を食べている民族はクールなイメージがある。
 政治家も北方系出身と南方系出身ではやはり性格が違うようだ。南方系は孫文のように開発派が多い。世界を見る目を持っていて、昔から船を使って対外的にもどんどん進出している。そのため外のニュースもよく知っているし、考え方や人的関係も開放的である。
 中国人は地縁的な繋がりが非常に強い。政治の中枢にも上海なら上海という同じ出身の者が集まっている。出身地が北か南かということは中国人を理解する手がかりの一つになるのではないか。中国は長い歴史と広い地域があるし、北・南のみならずさらに省単位の地域ごとに異なる感覚を持っていて当然であろう。
半ズボンと長い靴下
 また、中国は儒教の国である。表面的には儒教を否定した時代もあったが、知識人の道徳観はずっとそれであったし、現在もそうであると思っている。それに儒教というのは知識人の道徳観だけではなく、生活や習慣の中に入りこんでいるから、儒教を切り捨てることはなかなかできないだろう。
 たとえば、儒教では肌を出すことは礼儀を心得ない野蛮人のすることであるという考えがある。台湾にいたときのことであるが、暑いので半ズボンをはいていた男の先生がいた。しかし彼は膝まである長い靴下をはいている。不思議に思って尋ねてみると、彼は、半ズボンは涼しくするためにはくけれども、長い靴下は素肌を見せないという礼儀としてはくと言う。つまり、儒教道徳として長い靴下をはいていたのである。
 現在は儒教的な道徳観念がたくさん失われてしまったが、死者の弔いでも、人間関係においても、中国において儒教の精神はまだまだ生きていると思う。
 私が感心したのは、汽車に乗る場合、押し合いへし合いになるのだが、ある若い男性が自分の母親のためにぐっと肘を張って母親が通るまで人の波を押さえている。また、横断歩道を渡るとき、かなり年配の男性だったが、母親の手を引いて渡っていた。きっと日本人だったら恥ずかしがって、反対に両親を急かしたりすることであろう。
 ところが、中国では別に珍しいことでもないし、本人も当然だと思っているから、ごく自然に自分の親に敬意を払うことができる。こういう光景を見ると、中国は変わっていないと思う。
 一方で、血のつながりが公を超えて現れることも儒教の特徴である。共産主義社会であるのに、中国の権力者の息子や娘はさまざまな面で優待されている。縁故主義が堂々とまかり通っているのである。また、それを一般の中国人も不思議に思ってはいないようである。
 ただ、このような権力者の子弟を「太子党」と呼んでいる。これは彼らを軽蔑して言った言葉だが、呼ばれる方はそれを堂々と享受しているところがある。これは儒教文化的家族主義が歪んだかたちで生きているという一例であろう。
 中国の政治組織もまた非常に特徴的である。秦の始皇帝以前は、多くの有力豪族があり、その中で一番大きい豪族が王を称し、大陸を緩やかなかたちで統一していた。
 秦の始皇帝の時代になると、全国的に中央集権化を図り、最頂上に皇帝をすえるというシステムをつくった。しかし、当時は皇帝の下に大きな豪族がまだまだ存在し、中央集権のシステムを理解していなかったためにいさかいが絶えなかった。結局、後漢時代から六朝時代までは、中央集権制といっても皇帝の敵は豪族(貴族)たちであった。この中央集権制には、皇帝の命令を受け執行する官僚が必要になり、官僚を選び挙げるシステムとして選挙制度がつくられた。
 始めは貴族の利益代表が推挙される推薦制の形の官僚制であった。したがって官僚は皇帝にしてみれば自分の臣下という意味では味方だが、利害関係においては敵でもあったわけである。そのため皇帝は貴族をできるだけ排除しようと努力した。
 その結果、貴族の力がだんだんと弱まり、隋・唐時代になると、官僚の選び方が試験制になった。それが科挙である。
 試験制にすれば、官僚はもはや貴族の利益代表ではなく、一般人から出てくるので、皇帝に忠誠を誓う臣下になるから、皇帝の力は強大になっていき、排除された貴族たちは小規模になりながら、その土地の有力者となって定着していった。いわゆる地方有力者である。
 科挙試験に合格した官僚の振り出しはたいてい県知事あたりである。県知事は人口三万から五万ぐらいの町の首長だが、二、三年したら、また別のところに転任していくため、地方に赴任すればその地方の有力者や土着の吏に実務を任せてしまう。このように中央集権制としては皇帝と科挙官僚、地方自治としては科挙官僚と地方有力者や吏という二重構造によって政治が行なわれるようになった。
 これも中国の一つの知恵である。あのような広大な地域に中央から末端まで官僚を派遣することはできない。三万から五万程度の地域の長(官)は中央から派遣して、あとはその土地の土着の吏や地方有力者に任せる方が効率がいいわけである。
 科挙官僚の皇帝に対するモラルが〈忠〉である。科挙官僚は、最後の段階で皇帝自身が試験を出し進士(しんじ)として採用するわけだから、科挙官僚は皇帝に対して忠誠を誓うことで〈忠〉というモラルができ上がった。一方、一般の人々の間における最高の道徳は〈孝〉である。
 中国共産党はこの二重構造を利用し、現在でも同じように中央集権制と地方分権制とが行なわれている。今日の科挙官僚にあたるのが中国共産党員で、頂上に共産党の中央幹部がいるわけである。
 共産党は、日本でたとえると大阪なら大阪市に党委員会をつくり、北区なら北区にもまた党委員会をつくる。北区の区役所が行政として何かを決定しても、北区党委員会の承認がなかったら何もできない。その北区党委員会で決定したことを、大阪市党委員会がもう一度チェックするというように何重もの網が張られているので、結局共産党の意向しか通らないことになる。共産党はこのようにして中国の政治システムのすべてに入りこんでいる。もちろん、企業や学校においても同様である。
 また、共産党員になるには選抜があって、共産党員になりたくても、すぐには入れてもらえない。まさにそれは科挙官僚と同じで、選ばれたる者である。
 天安門事件で民主化運動が起こり、そのうちに少数民族も独立していけば、共産党は潰れるだろうという考えかたがあるが、私は、そうは思わない。
 前述の王朝のシステムは、中国の地域・人口から言えば、非常によくできたシステムで、現在まで約二千年間も改良され強化されてきた。共産党政権も改良の一つであるから、まずこれは潰せない構造になっているといっていい。
 民主派・改革派が、西暦前三世紀からつくり上げてきた巨大で精密なこのシステムに対抗できるだけの新しい政治的なプランを出さない限り共産党は潰れないだろう。これをひっくり返せるだけの組織やプランが今あるのだろうか。また、ひっくり返したとしても、この広大な地域をどのように統治するのか。連邦制にすればいいという意見もあるが、現在の中国が新しいことをゼロから始めるのは非常に難しいことだと思う。感覚的にも政治的にも、人口、土地、税金という現実の問題に対処できなければ有効な手段とはいえない。
 中国共産党は人民解放軍という軍隊を持っているが、これは国軍ではなく中国共産党の私兵である。中国は国家予算を使って私兵を養っている国であるから、共産党を倒そうとする組織に対しては、天安門事件のときのように軍隊が出動してくるだろう。それに対抗できるだけの自己の軍隊をどのようにして持つことができるのだろうか。
 今、中央集権制を止めて、あとは地方で勝手にしろといったときに問題となるのは、官僚の給料である。末端までの公務員の給与を払うためには多額の税金を集めなければならないが、所得の低い中国でそんなことができるであろうか。
 中国では汚職が多いと言われるが、国家が末端の人まで十分な給料を払っていないので、地方の公務員は副収入がなかったら食べていけないのである。昔から地方では汚職によってやりくりをしてきたわけである。賄賂も無闇に取るわけではなく、たとえば自分は日本へ行きたいのでパスポートを早く出してくれという場合、これは個人のメリットの問題だから、早く出してやるから賄賂を出せということなのである。受益者負担ということだ。恩恵を蒙りたい人に対して汚職を行なうのである。汚職はこのようなシステムから生まれた一種の知恵なのである。
 中国人の経済観念はわれわれと少し違う。いまでも中国人は六一パーセントが農民であるが昔はほとんど百パーセントであった。中国人の経済思想の中心は土地である。土地を中心とした経済観が彼らの基本的観念なのであり、それはモノの所有という実感からきている。
 現在は貨幣経済だが、中国人は一万円札なら一万円札を通貨という抽象的観念で見てはいない。それ自身を実感的にモノと考えるために、タンス預金をする。銀行は信用していないから預けない。日本人は、紙幣は単なる紙切れではあるが、その価値を信じて使うという抽象的な通貨感覚を持っている。しかし中国人にとっては皿も、紙幣も同じくモノなのである。皿を戸棚に入れておくのと同じように紙幣をタンスに入れておくということなのである。
 日本の場合、日本銀行が物価との関係を見ながら通貨量の発行調整をする。中国では中央銀行でそれができない。なぜなら、通貨の発行はカネが回っているという前提のもとで行なうわけだから、タンス預金をしている中国では意味をなさない。十出してもそのうちたとえば三ぐらいがタンス預金に入ってしまい、七だけしか回っていないとしたら計画が崩れ、結局、通貨の乱発をすることになり、インフレーションが起こる。そのため実際の通貨量の把握が中国では非常に難しい。これは中国歴代王朝の悲劇でもあるが、今後も中国で通貨による経済政策の舵とりは難しいであろう。
 もし今後、庶民の家からタンス預金が一気に出てくることがあれば、それは中国経済が危機に直面したときであろう。庶民はしたたかだから、危険を察知すると、すぐに紙幣を食料、衣類など生活用品に換えようとし、タンス預金の出動となる。これは経済のバロメーターの一つになるだろう。
「南京虐殺三十万人」は打ち出の小槌
 さらに、今後の中国において深刻な問題はエネルギー問題である。われわれ日本人は貧しい戦後から、生活改革を行ない豊かになった。当然中国人も自分の家に一台ずつテレビが欲しいなどの欲求を持っているだろう。それは人間の欲望だから止めようと思っても止まらないし、中国政府としても、それを抑えることはできない。
 中国人が少なくともテレビは一家に一台ずつ持てるようになったとき、エネルギー消費の増大は必至であろう。しかし、十何億人分の電気エネルギーを供給するには限界がある。中国では、石油は輸入しているし、原発にも限りがある。火力発電も原発も難しいとなると、最後は中国が豊富に持っている石炭を利用するしかない。
 中国が石炭をエネルギー源に使い始めたら、最初に環境汚染の被害を蒙るのは朝鮮半島や日本に間違いない。石炭による環境汚染を抑制するには脱硫装置が必要になるが、中国はおそらく日本に脱硫装置を要求するようになるのではないだろうか。中国は日本に対して「南京虐殺三十万人」などのいわゆる歴史認識の話を出せば、打ち出の小槌のように何でも出てくると思っている。
 中国政府が歴史認識の重視をどれだけ美辞麗句を並べて言いたてようと、所詮はそのあたりにおちつくだけのことである。中国にとって抽象的な議論など意味がない。自分たちがどのようにして生き残れるか、有限の時間をどのように延ばすかという歴史意識(歴史認識)の中で、歴代王朝と同じく、自分たちの権力を維持してゆくために、徹底的に政治主義的な立場に立つだけのことである。政治主義に立つ――それは徹底的な国益のための行動をすることだ。日本はそれが分からず、日本流の歴史認識などという迷路にはまりこんでしまっているのである。
加地伸行(かじ のぶゆき)
1936年生まれ。
京都大学文学部卒業。
名古屋大学助教授、大阪大学教授。現在、大阪大学名誉教授。
 
 
 
 
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