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国吉 佳奈子(くによし かなこ)(昭27.3.9生) 沖縄県島尻郡
 
 東京で育ち、戦争の傷跡の残る沖縄の渡嘉敷島(村)の国吉家に嫁ぎ、夫が急死した後、病弱の義父と3人の子どもを抱え、苦労を重ねながら家業を立派に切り盛りし、島の観光化に尽くして島の人々から信頼を得るとともに、子ども達を立派に育て上げられた。
(推薦者:国吉 晴大)
 
Ms. Kanako Kuniyoshi
(Born on March 9, 1952)
Shimajiri-gun, Okinawa Prefecture
 
 Having grown up in Tokyo, Ms. Kanako Kuniyoshi married into the Kuniyoshi family on the war-torn island of Tokashiki (Village). After her husband died suddenly, Ms. Kuniyoshi managed to run the family business while taking care of her 3 children and ill father-in-law, though being from mainland. She gained the trust of the island's people through her dedication to turning the island into a tourist resort and raised her children successfully
 Recommended by Haruhiro Kuniyoshi
 
 沖縄が本土に復帰して5年後の昭和52年3月、国吉さんは東京から渡嘉敷島の夫のもとに嫁いだ。渡嘉敷島は敗戦間近に日本兵から集団自決を強いられた島であり、本土出身者がそこで味わった苦労は想像に難くない。夫の栄さんは本土復帰後、島の観光立村を目指し、独力で観光業を始め、大型民宿を作り、議会に出、島おこしに尽くした渡嘉敷島のリーダー的存在だった。妻を終始かばい続けた栄さんが14年前、白血病で突然他界し、後には多額の借金と、年子の幼児3人、慣性硬膜下血腫とリウマチ、心臓病を患い、嫁だけが頼りの義父が残された。防波堤の夫に先立たれ、茫然自失、東京に逃げ帰るだろうと島では噂され、やせ細り泣き暮らしていた国吉さんがある日を境に突如変わった。大型バスの運転免許をとり、ペンション経営に精を出し、義父の手を握って励まし、子ども達には何事からも逃げてはいけないと言いきかせ、時として厳しい父親にもなった。よそ者として国吉さんを見ていた島の人々の目は、尊敬を込めた温かい眼差しへと変わっていった。今、国吉さんは島の人々から信用を得て、女性初の商工会副会長を3年務め、現在も続けている。井の中の蛙にならないよう大海を見てしっかり島を守りなさいと、3人の子ども達は全て県外の大学に進学させた。義父と子供と家業を守り、島に尽くした東京っ子の国吉さんは今や全く渡嘉敷島の人である。
 
受賞の言葉
 この度の受賞は感極まりなく感謝で一杯です。
 復帰して32年、戦跡地である南の島に嫁ぎ、観光立村に変動する中、父母や主人の他界が続きました。
 私が今日あるのは、いつも子供達の前向きな姿にむしろ励まされてきたからです。成人した子供達が島に戻って参ります。
 今後は家族が一丸になって観光誘致と並行して、自然保護の領域を見守りながら人作り、島作りの一陣になるよう努力して参ります。
 
民宿から徒歩1分にあるビーチ
 
民宿前で佳奈子さんと末っ子の晴大さん
 
 
 







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